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実際は阿賀松からも逃げているこの状況だ。
けれどこの作戦では、あくまでも俺が阿賀松の近くに居ると思わせることが出来なければならない。そうしなければ会長は俺の言葉に耳を持たないだろう。
「だけど、俺はもう会長たちに関わりたくありません。……こんなことに巻き込まれるのも、迷惑です」
「だから俺に話すのか、あいつの手の内を」
「生憎、この写真はまだ阿賀松先輩の手に渡る前のものです」
「これも」と、俺は封筒の中から調査報告書を引っ張り出す。
伊東知憲の名前が記載されたそれを見ただけで会長はそれがなんなのかわかったようだ、僅かに細められるその目を見据えたまま俺は封筒に調査報告書を戻す。
「阿賀松先輩はまだこのことを知らない。けれど、それも今夜までです」
「なるほど、俺を脅迫するつもりか」
「……否定は、しません。けど、強引な真似をするつもりも俺にはありません。俺は、会長と揉めたくないので」
これは嘘ではない。会長に限った話ではないが、平和的解決が出来るのならそっちの方がいい、と今でも思ってる。
勿論そんな俺の言葉を会長か受け止めてくれるわけがなかった。
会長の反応は薄い。正当防衛とはいえど、会長にやり返した事実も俺にはある。この反応も想定内だった。
「すみません、俺の言い方が悪かったですね」
「会長には今までたくさんお世話になってきました。……なので、これは俺個人のお願いです」策も罠も関係ない、と言い切れない。下心のない清廉潔白な言葉ではない。
だけど、嘘ではない俺の本心だ。
「……一晩だけでいいです。今夜だけ、以前の会長として俺を側に置いてください」
「そうしたら、これを貴方にお渡しします。…… 芳川会長」恐らく、俺は会長のこんな顔を見たのは初めてだっただろう。
困惑に近い、理解できない生き物を見るかのような猜疑の視線。汎ゆるものが混ざったそれを真っ直ぐに受け止めたまま、俺は会長を見つめた。
手を握って体を寄せればすこしは『それ』らしく見えたのだろうが、会長相手にはそれはかえって逆効果な気がしていた。
色仕掛、とは違う。俺は自分自身の感情にまで嘘を吐いたのだ。
俺達には時間がない。多少強引でもいいから、会長の側にいる必要が俺にはあった。
どんな方法でもいい、束縛もされずに会長の隣にちゃんと俺がいると――阿賀松達に、まだ俺と会長が繋がっていると思わせるためにも。
「もし、断ると言ったら?」
「それも……仕方ないことだと思います。そのときは、」
「俺を見捨てる、と」
喉が乾く。全身の水分が汗になって流れているような気がしてならないのだ。
ほんの数秒の沈黙すら永遠のように感じた。値踏みするような視線を向けたまま、会長はゆっくりと口を開いた。
「……なるほど、君が言いたいことはわかった」
多少強引すぎたが、やるべきことも言う事も言えたはずだ。
そう、会長を見上げたとき。会長がソファーから腰を上げる。
「だが、俺は不思議でならない。こんな美味しい餌を俺の前に持ってきて、大人しく言う事を聞くと思ったのかと 」
すぐ目の前、伸びてきた手が、胸ぐらを掴む。
力いっぱい体を引き上げられ、強引に立ち上がらせられる。そしてぐ、と顔が近付いた。
「……俺が、力尽くで奪うと思わなかったのか?」
真っ直ぐとこちらを向く鋭い眼差しに、胸の奥まで射抜かれてしまったみたいに一瞬体が動かなくなった。
「君がこんな大胆な真似をするとは思わなかった。……しかし、お陰で手間が省けた」
「その点は感謝しよう」そう続ける会長。その冷たい声からは感謝の気持ちなど微塵も感じられない。
それどころか、掴んでくる指先の力は増すばかりで。
「っ、く、うぐ、」
襟首が締まり、息が詰まりそうになる。圧迫される器官、脳の酸素が段々と薄れ、指先に痺れが走る。
それでも、これだけは守らなければ。
そう封筒を抱き抱えようとするが、閉められる首に息苦しさのあまり思わず手が緩む。
落ちていく封筒にハッとし、咄嗟に拾おうとしたとき。そのまま俺を突き飛ばした。それも、封筒からは離れた場所へ。
「っ、会長……」
慌てて体勢を整えようとするが、間に合わない。床に落ちていた封筒を拾い上げた会長は、そのまま中に入っていた調査報告書を引き抜いた。
瞬間、芳川会長の表情が険しくなっていくのを見えた。
……ああ、やっぱり。駄目だったんだ、俺のコピーの仕方。
「……すみません、コピー機の使い方がよくわからなくて」
「下の方、粗くなってしまって」潰れた文字は見えないようにと封筒で隠してたつもりだが、やはりコピーだとすぐに気付かれてしまうらしい。
本当はもう少し騙されていて貰いたかったのだけれど、それも難しそうだ。
「あの……でも、原本の方はちゃんと綺麗にとってますので安心して下さい」
「……君は」
自分を落ち着かせるように、深く息を吐いた会長はそのままこちらを睨んでくる。
やはり、会長と向き合うのは怖い。今だって心臓がバクバクしてる。
けれどなぜだろうか。先ほどまでの余裕の会長の態度が崩れたことに酷く高揚を感じている自分がいた。
「……お願いします、俺の言う事を聞いて下さい」
最初からどうなるかくらい分かっていた。会長に奪われることも、全部、想定内だ。
だから俺は全てを志摩に託して手ぶらで来た。
けれど、だ。
「……じゃないと、俺だけではどうしようもないことになるかもしれないので」
どれだけ考えても、いつでも想定外の行動を取るあいつが――志摩が今度こそ何するかは俺にも分からない。
それは俺と会長にとっても大きな賭けだった。
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