152 / 166

42

 ――教室棟三階、男子便所前。 『栫井を拾いにいく』という志摩に着いてやってきた俺は、なんだかただならぬ嫌な予感を覚えていた。  そして、案の定志摩はそのまま男子便所へと足を踏み入れるのだ。 「志摩、本当にこんなところに……」  栫井がいるのか、と聞き終える前に、用具入れの扉を開いた。  え?と振り返ったと同時に俺はその中の光景を見てぎょっとする。 「か、栫井……っ!」  開かれた用具入れの扉、決して広くはないそこに栫井は詰め込まれた。  口、そして腕すらもガムテープでぐるぐる巻にされた栫井は俺達をただ恨めしそうに睨んでいた。  何があったのだ、と聞くまでもない。今俺の横でニコニコしているこの男の仕業だろう。  慌てて俺は栫井を用具入れから引っ張り出し、腕を拘束するガムテープを引き剥がした。両腕の拘束を外せば、栫井は自ら口のガムテープを剥がす。  そして、 「っ、ゴホ……ッ」 「だ、大丈夫っ? 栫井……」 「大丈夫だよ、そいつ生きてるから」  そのまま咳き込む栫井を尻目に、志摩は冷ややかに笑う。  確かに志摩が栫井のことよく思ってないことは分かってたけれど、だけど限度というものがある。 「志摩、なんてことを……」 「だって説明するの面倒だったし、こいつすぐ逃げようとするからさ、こうするしかないじゃん? 齋藤には手を出すなって言われたから『無傷』でそのまま捕まえてやったっていうのにさ」 「だ、だからって……」  もう少しこう他にあったんじゃないのか。こんな監禁みたいな真似をしなくても、他に。 「第一、誰かさんが大人しくしてくれていたらこんなに急いでこいつを捕まえる必要はなかったんだけどね」    そう言われると何も言い返せなくなってしまう。  一度和解したとはいえど、志摩の視線はやはり痛い。もごもごと俺が口ごもっていたときだった。 「殺す……ッ」  ガムテープの拘束から開放された栫井の目は完全に据わっていた。そして、その視線の先には志摩がいた。――それもそうだ、と納得したが、ここで仲間割れするのは不本意だった。 「か、栫井! 落ち着いて! 俺が……俺が悪かったんだ……!」 「……っ、触んじゃねえ……!」 「っぁ、ご、ごめん……」  咄嗟にしがみついて栫井を止めようとしたのはよくなかったようだ。けれど油断すると志摩に今にも殴りかかりそうな気配すらある栫井だ。  俺は身を離しつつ、その腕は掴んだまま栫井を見上げた。 「ちゃんと説明するから、お願い、怒らないで……栫井……っ」  栫井には正攻法しか通用しない。下手に細工をすると不信感を募らせてしまうばかりだ。  ぺこぺこと頭を下げれば、毒気抜かれたように栫井は深く息を吐く。  しがみついていたその腕から力が抜けるのを感じ、一先ず安堵した。  だけど、 「へー副会長さんは齋藤にお願いされると大人しく聞くんだねぇ。……あ、元だっけ?」 「……黙れよ、クソ野郎」  どうしてせっかく栫井が落ち着いてくれたというのに志摩はこうも煽る真似ばかりするのか。 「志摩」と慌てて仲裁に入れば、志摩はやれやれと肩を竦める。 「はいはい、自分の尻拭いは自分でしなよ。俺は今回のことはノータッチだから」 「……分かってるよ」  ここから先はちゃんと俺が話をしなければならない。これからも栫井には付き合ってもらわなければならないから。  そのためにも、ここで怒らせて全てを台無しにするにはいかなかった。 「……栫井、あの、まず栫井に謝らないといけないことがあるんだ」  ぴくりと、栫井が反応する。  恐らく、栫井は俺のしたことを怒るだろう。  それでも、言わなければならない。その義務が俺にはあった。 「ごめん……あの、封筒、八木先輩が持っていったっていうのは嘘なんだ」 「本当は、まだここにある。俺が持ってるんだ」正確には原本は志摩が持っている、のだけれどもそこまで言う必要はない。寧ろ、言ったほうが栫井は気を悪くするに決まっている。  だって、今の俺の言葉だけでもこんなに怒っているのだから。 「……俺を、騙したのか」  突き刺さる視線が痛い。それでも、俺はそれを真っ直ぐ受け入れる。  逸らしてはいけない、そんな気がしたから。 「最初は本当に渡すつもりだったよ、それで……栫井を囮にするつもりだったんだ」 「それなのに、齋藤が余計な嘘ついちゃったからね。せっかくの作戦も台無しだよ」 「……それでも、やっぱり全部栫井に負わせるのは嫌だったんだ」  甘いね、と志摩が溜息を吐く。  志摩にも勝手な真似はしたと思ってる。けれど、自分の判断を間違っているとは思わなかった。 「……囮って、どういう意味だよ」  栫井の声は落ち着いていた。それでも、その奥には怒気のようなものを感じずにはいられない。向けられた怪訝そうな目に、俺は固唾を飲む。  ここまで言ってしまったんだ、言ってしまえ。 「芳川会長と関係がある栫井が封筒を盗み出したと阿賀松先輩たちに思わせようと思ったんだ」 「……何だと?」 「こうでもしなきゃ、阿賀松先輩たちを動かすことが出来ないと思ったから」 「そんなことしたら、余計……」 「分かってるよ。……だから、今、直接会長のところに話をつけてきたんだ」 「直接?」と、栫井の目が見開かれる。  ――問題はどこまで言うべきか。会長を嵌めようとしたことは言わない方がいいだろう。  栫井はまだ、会長のことになると平静でいられないような気がしたから、余計。 「勿論丸腰じゃ相手をしてもらえないから……あれを使って、だけどね」  あれ、という言葉に僅かに志摩が反応する。  栫井も俺の言葉が何を指しているのか気付いたのだろう。コピーも封筒も会長に渡してしまったが、全て原本はこちらにある。会長の手に渡ったところで然程痛手にはならない。 「会長には阿賀松先輩たちの動向の事もどこまで知ってるかも全部、伝えてきた」 「……会長は、なんて」 「『そうか』とだけ」 「……」  押し黙る栫井が何を考えているかわからなかった。  本当は、会長は納得してなどはいない。最後の最後まで会長は俺を疑っていた。  会長に阿賀松を仕掛ける作戦も、阿佐美の介入により成功するかどうか分からない。分からないが、少なくとも俺達の手にはまだ手札がある。ここから先問題となるならば、それは阿賀松伊織の動きだろう。 「ごめん。せっかく栫井には八木先輩のことで協力してもらったのに……こんなことになってしまって」 「うるせえんだよ。……別に、俺が勝手にしただけだから、あんたには関係ないだろ」 「栫井……」  ……許してくれるというのか。  分からなかったが栫井がまだ俺の話を聞いてくれている、その事実に安堵した。  それと同時に、どんどん自分が道を踏み外しているような気がしてならなくて、退路を断たれていくような感覚は常に俺の項を撫でていく。

ともだちにシェアしよう!