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04

学園ということもあり、基本は学ぶことになっている。それは魔術であったり、生きる術であったり、社交術であったり、内容は様々で、基本受講したいものに応じてその教室へ向かい、受講する形になっているそうだ。 そして、授業が終われば自由時間になる。 大抵の施設はこの学園の敷地内に揃っているようだ。 黒羽曰く、卒業認定を受けるまで生徒はこの施設からは一歩も出ることを許されないからだと言う。 学園と生徒とは名ばかり、刑務所と囚人と現した方がしっくりきた。 卒業認定は、学園長が許可した魔物のみ。社会適合者と判断された者のみだ。 そして、俺はその模範生徒となり、周りを卒業へと誘導することになるのだそうだ。 「基本、学園内部は3つの勢力で別れているそうだ。一つは魔界で産まれ魔界で育った者、これが大半を占めてるだろう。そして、もう一つは妖界……昔、魔界と天界とはまた別の世界が存在していた。それが、人間の信仰により産まれた物の怪たちが住まう世界だ。妖怪といえば、伊波様も聞いたことはあるのでは」 妖怪。 小さい頃におじいちゃんやおばあちゃんが口にしていた。 悪いことをしたら妖怪がやってくると。 けれど、どれもただの脅しだと思っていた。 「妖界は、昔こそ巨大でしたが現在はなくなり、魔界の一部として取り込まれている。居場所はなくなったものの、魔界で暮らす妖怪も少なくはない。……自分の一族も、その内の一人です」 「えっ?そうなの……?」 「烏天狗をご存知か」 聞いたことある。頷き返せば、黒羽は少しだけ嬉しそうに目を細めた。「私の一族がそれだ」と。 魔界なのだから人間ではないと分かっていたはずなのに、改めて突き付けられる事実に正直、同反応したらいいのかわからなかった。けれど、黒羽は俺の反応を求めていたわけではないようだ。話を続ける。 「魔界育ちに、移住してきた妖怪、そして最後が天界堕ちした者たちだ」 「天界堕ち……?」 「神々が住まう天界と我々が生活する魔界は相容れぬものだった。まさに天地。けれど、天界では罪を犯した者は強制的に魔界へと送還されることがあり、我が国ではそれを受け入れて民として生活をさせていた。3つ目の勢力、これが元々天界の住民だった堕天者だ」 ……元々神様とか神話とか、そのような話には疎かった。 現実話のように聞かされてもまだ実感がわかないが、目の前のこの男は烏天狗だ。堕天使が暮らしてようが、それはおかしくないことなのだろう。 「……あちらに見える3つの塔があるな。あの五重塔が妖怪達が生活してる拠点、洋館が魔物達が暮らしてる場所、そしてあの神殿が、堕天者達がいる場所だ」 「なるほど……だからあんなにバラバラの外観なんだ……」 「伊波様は日本人だからと、学園側は五重塔に部屋を用意したようだ。……大丈夫だったか?」 「うん、それは全然良いんだけど……あの、黒羽さんも一緒に学園で暮らすんだよね」 「……ああ」 「じゃあ、黒羽さんも一緒?」 「私も伊波様と同じ塔にしていただいた。部屋は別室を用意してもらったが、伊波様の許可があればいつでも駆けつける所存」 「……そっか、それならよかった……」 流石に、和風がいいとは言えど妖怪がいるという建物で一人は心細い。安堵する。 五重塔は近付けば近付くほど豪奢な作りだった。 日本の観光地でもここまで飾ってはいないだろうというレベルで提灯をぶら下げライトアップし、入り口側の池には鯉に似た魚が泳いでいる。 ペンキを塗りたくったような真っ赤な塔は隅々まで磨き上げられていて。扉を開く黒羽。瞬間、扉の隙間からはドロリとした黒い影が溢れ出した。 それは風吹かれ、ふわりと霧散する。 「挨拶もなしか、無礼者めが」 吐き捨てる黒羽。もしかして今のも生徒だったのか、と今更になって気付く俺。 黒羽は「足元、気をつけて」と声をかけてくれる。咄嗟に足元に目を向ければ、一寸法師のようなサイズの人がぺこりと頭を下げ、そのまま寮の中へと駆け抜けていった。 「あらま、こりゃまた随分と愛らしい方がきなさったなぁ」 そして、どこからともなく聞こえてきたのは甘い男の声。 顔を上げれば、そこには着物を着崩した男が立っていた。 金髪に、開いてるのかすら分からない糸のような目。口元に弧を描き、長身痩身の男は「こんにちは」と俺の前までやってくる。 「話は聞いてますよ、曜クン。ずっと、君に会えるんを楽しみにしてたんですよ、あ、ボクは能代(のしろ)って言います。どうぞ、よろしゅうお願いします」 そう言って、金髪の男、能代は俺に白い手を差し出した。黒羽は「おい」と口を割って入ろうとしたが、それよりも先に能代に手を握りしめられる。 「……こうやってまた人間の坊っちゃんと触れ合えるなんて、夢でも見とるようやわ」 指と指の谷間を指先で撫でられ、背筋が震える。薄っすらと開いたその瞳から覗く金色の眼に、得体のしれないものを覚え、咄嗟に俺は「よろしく」とだけ口にし、能代から離れた。 「ふふ、そないな反応される日がくるなんてなぁ……世の中捨てたもんじゃありまへんなぁ」 「……貴様、場を弁えろ」 「なんや、余計なもんもついとるけどなぁ」 「……」 「冗談もわからへんのか、自分。ジョークやジョーク、な、曜クンからも言ったってや」 言いながら、能代は肩に触れてくる。馴れ馴れしい人だと思ったが、この人の場合、黒羽を煽るから余計質が悪い。 腰の刀に手を伸ばそうとする黒羽に気付き、まずい、と思ったときだ。 「能代さーん、ご飯の準備できたってよー。ほら、能代さんの大好きな稲荷寿司が……」 パタパタと足音を立てながら通路の奥から現れたのは、ラフなシャツを着た地味な青年だ。 青年は、俺たちの姿を見るなり驚いたように目を丸くする。 「あれ、伊波君?ねえ、能代さん、彼らが来るのって明日じゃなかったの?」 「何言うとんの、ボクあんだけ今日や言うたやろ」 「うっそ、まじか……どうしよう、俺、なんの準備もしてないよ……」 「あ、あの……」 能代に小突かれ、あたふたする青年。どっからどう見ても一般人のようにしか見えないが、ここにいるということは、彼も。 「……あ、遅くなってごめん。……俺は巳亦(みまた)って言うんだ。……君が来るのを楽しみにしてたんだ、よろしくね?」 巳亦と名乗る青年はそう、照れたように笑う。表情から仕草から、人間臭い。提灯の灯りで照らされた瞳は時折赤く光っていた。 「それと、そこの彼は……」 「……」 「ええと……?」 「あー、この人は、黒羽さん。……俺の面倒を見てくれる人なんだ。今日から一緒にここでお世話になるから、よろしくね」 「……」 「く、黒羽さん……」 「……よろしく」 ようやく口を開いてくれたと思えば、黒羽はそれだけを言って再び口を閉じてしまった。 俺と喋る時は普通に話してくれるのに、この差はなんだろう。口下手なのか。元よりお喋りなタイプではないと思っていたが極端すぎるのではないか。 巳亦は返事をしてくれたことが嬉しかったのか「よろしく」と微笑んだ。 「クロちゃんはどうも照れ屋さんのようですなぁ、愛らしい愛らしい」 「ちょっ、能代さん……」 「馬鹿馬鹿しい、ほざけ。……伊波様、行くぞ。これ以上いたら肺の空気まで汚染されてしまいそうだ」 「え、あ、ちょっと、黒羽さん……」 売り言葉に買い言葉。俺の手を取った黒羽は、そのまま歩き出す。無骨な大きな手はびくともしない。 怒った黒羽に焦るどころか愉快そうにからからと笑う能代は「ほなまた」と手を振る。巳亦も隣で「じゃあねー」と楽しげに笑っていた。奇妙な二人だ。けれど、悪い人……ではないのだろうか? 散々イメージが悪かったせいか、思ったよりも意思疎通が出来ている現状にほっとする。 階段を上がり、最上階までやってくる。 遠くから聴こえてくる鹿威し。 最上階ということもあってか、空から覗く月と人口樹木がマッチしてなかなか風情がある。 「伊波様の部屋は確かこの階の突き当りとのことでしたが……あそこか」 黒羽の視線の先、そこには一枚の扉が存在していた。 ここが、俺の部屋になるのか。 ドキドキしながらその扉へと一歩、また一歩と近づいたときだ。 いきなり、通りかかった扉が開いた。 心臓が飛び出しそうになるのを堪えながらゆっくりと開いた扉に目を向け、凍り付いた。そこにいたのは、2メートル近い大柄な男だった。 それだけでも驚いたのだが、それ以上に目を引いたのは男の体だ。 「……なんだ、やけに臭うと思えば……人間か」 着物を羽織った男、その上半身は全面色鮮やかな刺青で染め上げられていた。そして両足には鉄製の枷。黒く濡れた艷やかな髪。顔は色男の部類に入るだろうが、如何せん、纏うものも全て堅気のそれではなかった。 「っ、……京極様」 現れた男の名前を呼んだのは、黒羽だった。 緩やかに視線を黒羽へと向けたその男、京極は艶やかに笑う。ほう、と、懐かしそうに。 「貴様、黒羽か。……久しいな。まさか、こんな場所で会うとは運命とは真、奇怪なものよ」 「何故、貴方のようなお方がここに……」 「俺がここにいるのがそんなに不思議か。……それもそうだな。俺のような年寄りが今更学ぶことなどあるかどうかすら怪しい」 「いえ……そのようなことは……」 あの黒羽が和光以外に謙る相手となると、立場はなかなか上の人間としか思えない。冷や汗が滲む。今更緊張してくる。 京極の視線がこちらを向いた。心臓が早鐘打つ。 「……そうか、黒羽、お前がこの小僧のお目付けか」 「京極様、この方は……」 「伊波曜。……日の光りが輝く川の水面か、良い名だ」 何も言っていないのに、その男は俺の名前を口にした。 予め聞いていたのだろうか。そう思ったが、男の先程の反応からして俺の事を知っているようには思えなかった。 「……ありがとうございます」 「ここへきてもう長らく日は見ていない。そこへ現れるのが貴様が。まるで、皮肉だと思わんか」 「あっ、あの……」 「そう怯えるな。……別に取って食いやしない。硬い肉を食うほど飢えてもおらん。安心しろ」 京極なりのジョークなのだろうか、全く笑えない。 見兼ねた黒羽が「京極様」と仲裁に入れば、京極は「そう睨むな」と笑った。 「同郷同士、仲良くようではないか、曜」 耳元で囁かれる。鼓膜から染み込み、体の奥まで染み渡るその声は呪縛にも似ていた。 京極は、それだけを言えばまともに帯も締めぬまま、階段の下へとゆっくりと降りていく。 軋む床。ふわりと甘い薫りだけがそこに残されていた。 この薫りには憶えがあった、確かこれは沈丁花の……。 「伊波様」 名前を呼ばれ、ハッとする。 そこには珍しく不安そうな顔をした黒羽がいた。 「黒羽さんの知り合いなんだね、あの人」 「……京極様には、あまり近付かないように気をつけてください」 「……え?」 「……それにしても、何故、京極様がここに……いつの間に、牢から拔けたというのだろうか……」 牢と言う言葉に京極の両足に嵌められた枷が脳裏を過る。 余程恐ろしい相手なのか、俺はそれ以上言及することができなかった。

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