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05

用意された部屋は、今まで俺が生活していた部屋よりも広く、贅沢な作りだった。 窓の外から見える月は大分満ちている。外では空を飛び回る魔物がいて、改めてここが今まで住んでいた場所とは違うということを知る。 ここには父も母も、今年小学校に上がったばかりの甘えん坊の双子の弟妹もいない。 今になって、不安感がどっと押し寄せてきた。 もう、自分の体は普通ではない。役目を果たすまで、人間界には戻れない。 もうあの騒がしい声も聞くことも、叱られることも、ないのだと思うと込み上げてくるものがある。 「今日は疲れただろう、ゆっくりと休んでくれ。……午後六時に食事が配膳されるそうだ。その頃にまた迎えに来る」 黒羽はそういって部屋を後にした。扉は生物のようで、部屋の持ち主と認識しないと絶対に開かない仕組みになってるらしい。下手なオートロックよりも心強いが、なんとなく、落ち着かない。理由は分かってる。俺自身の問題だ。 黒羽からもらった懐中時計を取り出した。 約束の時間までまだ大分ある。この塔の人間には何人か会えたが、まだ顔すら合わせていない相手も居る。 赤穂や青崎以外の他の教員たちにも挨拶しに行くべきではないのか。そんなことをぐるぐる考えるが、一人で出歩く元気はなかった。 和光は、俺の体は仮死状態に当たると言っていた。 けれど不思議なもので、食欲や睡眠欲を感じる部分は生き残ってるようだ。 少しだけ眠るか。そう目を閉じるのもつかの間、俺は、懐中時計を握りしめたまま眠りに落ちていた。 ……。 …………。 …………遠くで、声が響く。 『親善大使なんて名ばかりで、深く考えなくてもいい。君は人間界と同じように生活してくればいいだけだ、簡単だろう?』 ならば、お前が行けばいいじゃないか。 『お前、魔界に行くってまじかよ、すげーな、漫画みてー』 『すごーい、あたしも行きたーい』 『頑張れよ、向こうに行ってもお前のことは忘れねーから』 なら、お前らが代わってくれ。 行きたいんだろ、代わってくれよ。 『お兄ちゃん、遠くに行くって本当なの?』 『お兄ちゃん、もう会えなくなるの?』 ……そんなわけないだろ、会えるよ、絶対帰ってくるから。 父さんと母さんのこと、頼んだぞ。 『どうして、行くなんて言ったんだ、父さんは……父さんと母さんは……』 ……。 『……ごめんね、曜、ごめんね、何も出来なくて。……ごめんなさい……許して……』 ………………。 俺は、別に泣かせたかったわけじゃなかったんだけどなぁ。 笑ってほしくて、笑って、見送ってくれればよかった。それだけで、きっと俺は少しは希望を持てたのかもしれない。 本当はこんなことしたくなかった。嫌だって帰りたいって死にたくないんだって怖くて怖くて堪らなくて胸を掻きむしってしまいたいほど怖くて……どうしようもないんだ。 帰りたい。けれど、今更逃げ出そうとしたところでもう遅い。俺は今まで通りではいなくなったのだ。 目を覚ます、冷たい体に触れ、その次に首に触れる。 首輪が外れていないかと思ったが、健在のようだ。 嫌な夢を見ていたような気がする。汗でぐっしょりと濡れた額を拭う。懐中時計を開けば、もうそろそろ黒羽が迎えに来ると言っていた時刻になっていた。 魔界から人間界へと送られた親善大使も、きっと俺と同じようなことを考えていたのだろうか。 それとも、幸せなのだろうか。ここで生活できるのかってワクワクしてたのだろうか。それとも、ホームシックで泣いてるのだろうか。 一人になると余計なことばかりを考えていけない。 思考を振り払い、部屋を調べることにした。 クローゼットの中にはたくさんの服がぎっしりと、詰まっていた。その大半は同じもので、これが制服なのだろう。詰め襟タイプの、所謂学ランに近い形の制服が並んでいる。 其々のサイズに合わせてるのだろうか。 考えながら、一度俺はその制服に袖を通してみる。 少し大きいかなと思ったのもつかの間、すぐに体に合わせて伸縮する。 ……流石魔界という事か、衣類までオート式のようだ。 ふいに扉がノックされる。 続いて、扉の向こうから『伊波様、黒羽だ』という無骨な声が聴こえてきた。 「ちょっと待って」とだけ声をかけ、俺は一度制服を脱ぎ、私服代わりに用意された和服に袖を通すことにした。 着方が解らないが、取り敢えず見様見真似で帯を結んでみればそれらしくなる。 少しは様になってるかな。 根拠のない自信を憶えた俺は、そのまま扉を開け、外で待機していた黒羽の元へ向かった。 「伊波様、その格好……」 「あはは、クローゼットに入ってたからつい……」 着ちゃった、と笑った時。 伸びてきた黒羽の手に「いけません」とぐっと襟を掴まれる。 「えっ、あ、あの、黒羽さん……?」 「シワになってるし、襟もグシャグシャじゃないか……ちょっと待ってください」 「わ、ちょっ、黒羽さん……っ」 いきなり帯を引き抜かれ、前を大きく開かれる。 下に下着一枚しか身に着けていなかった俺は焦ったが、黒羽はそんなことまるで気にしていない様子だった。 シワを伸ばすように襟を引っ張る黒羽は「腕、伸ばして」と命じてくる。つられて「はい」と背筋まで伸ばす俺。そのまま黒羽は慣れた手付きで着物を着付けていく。そして最後。帯をぎゅっと締めてくる黒羽に、内臓が口から出そうになる俺。 「無理ッ、黒羽さん、これ以上まじでダメだから!出る!なんか色々出てくる!」 「男児たるものこれくらい我慢せずにどうする、ほら、背筋が曲がってる!」 「っ、ぐ、ぅうう……ッ!」 俺には優しいと思っていたのに、着付けに関しては超絶スパルタじゃないか、この人。 結局、ウエスト数センチほど締め上げれ、ようやく開放された俺はなんだかもうお腹いっぱいだった。 階段を降り、一階へと向かおうとしたとき、下の階から騒がしい声が聴こえてきた。 何事かと思っとき。 「あっ、曜君、ちょうど良かった」 そう声をかけてきたのは巳亦だ。 その周りには見たことのない顔が何個かあった。 「彼女たちがどうしても曜君に会いたいってしつこくて……」 「ちょっと、何よしつこいって!アンタがいや~その[D:12316]とか言って渋るからじゃないの!」  そうゴニョゴニョと口ごもる巳亦に掴みかかるのは、腰まである黒髪長髪の気が強そうな少女だった。真っ赤な着物を彩る刺繍が似合っているというのが印象だった。 「……お姉様落ち着いて、彼、怖がってるわ」 そしてその隣、お姉様、と黒髪の少女を止めるのは肩まで 伸ばした白髪の少女だ。黒地の、お姉様と呼ぶ少女と色違いの着物を着流した、落ち着いた少女だった。 「あらっ、いけないいけない……曜殿、お見苦しい姿をお見せしてしまい申し訳ございませんでした。私は白梅(しらうめ)、そしてこっちは……」 「黄桜(きざくら)……よろしくお願いします、曜殿」 そう、二人は同時に恭しく頭を下げる。 見た目の年齢は同い年ぐらいだが、ここに暮らしているということは彼女たちも妖怪ということだろう。到底信じられない。が、確かにその容姿の整い方は人間離れのようにも思えた。 「曜君、この人達には気を付けなよ。男グセ悪いから」 「何余計なこと言ってるのよバカ蛇!大体男グセ悪いんじゃなくて相手が悪いのよ!」 「お姉様……巳亦様の顔変色してるから……」 「そ、そういう凶暴なところだと思うんだけど……ゲホッ」 白梅に首を締め上げれていた巳亦は開放され、喉を擦る。妖怪とは言えど苦痛はあるというのか。 「あ、あの……大丈夫ですか?」 「あ、大丈夫大丈夫。ありがとね、曜君」 「……いえ」 「曜殿、そんな男の心配なんてする必要ございませんよ。少しくらい痛い目見た方が丁度いいくらいね」  「そこのアバズレ、曜君に目を付けるのはやめとけよ。黒羽君が怒るから」 「誰がアバズレよ!陰険男!」 どこからともなく取り出したドスを構え、巳亦を追いかけ回す白梅。大丈夫なのかとハラハラしていたが、黄桜が「別にいつものことだから気にしないで」と言っていたので気にしないことにした。 そして、白梅と巳亦を置いて俺たちは一階へと向かう。 途中途中ですれ違う妖怪たちと挨拶を交わす。礼儀正しいというか、丁寧というか、俺は相手にされないことも考えていただけにこうして一人の住人として受け入れられていることに少し安堵した。 「……どうかした?」 ひとしきり挨拶を終えたとき、黄桜が不思議そうにこちらを見上げてきた。 「え?」と聞き返せば、「みょうな顔をしていた」とやっぱり素っ気なく口にした。 「……いや、なんか意外だったんで……こうしてまともに相手にしてもらえることが」 「……相手にされないと思ったんですか?」 「だって、俺、ただの人間だし……その、力だってない……特別秀でてるところもない俺が、こうやって皆に受け入れられてることが不思議で……」 「……そうね、貴方はただの人間ね。けれど、少なくともこの塔にいる皆にとっては、人間って存在は大きいと思うわよ」 「だって、あなた達人間が私たちを作ったんだもの」と、黄桜はなんでもないように口にする。 黒羽も、珍しく口を挟まなかった。同じことを考えてるのか、表情からは読めない。 けれど、黄桜の言葉に、俺は先程黒羽から受けた説明を思い出す。 物の怪とは人間の感情が作り上げたものであり、その強さのあまりに暴走し独り歩きしたもの、崇められ信仰を集めることにより力を得たもの、そういったものが大半であると。 「……この塔に来てよかったわね、この塔はそうだけど、他は……そうじゃないから」 「……」 暗に、他では受け入れられないぞ、と言われているようだった。否、そう黄桜は言ってるのだろう。 「女、口には気をつけろ」 「……女、じゃない、黄桜」 「……ありがとう、黄桜さん」 「……黄桜さん、じゃない、黄桜」 「…………黄桜」 「そう」 「…………」 ……やっぱり不思議な人だ。 けれど、少しだけ覚悟を決めることができた。 妖怪の皆が受け入れてくれるのは俺が人間だからで、全員が全員受け入れられるというわけではないと。
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