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一階には広間、二階には女部屋、三階から四階は男部屋で最上階、五階には中でも特殊な部屋の造りになっているということを黒羽に教えてもらった。 妖かしの中でも特定の者しか入れないという強力な結界が張られているというのだ。 そんな階に自分の部屋があるということは、やはりそれ程重要視されているのだろうか、この立場は。 それと同時に、あの京極とか言う男のことを思い出す。 確かあの男も、五階の部屋から現れたんだ。 不安になるが、黒羽の部屋も五階に用意されているとのことだった。それを聞いただけで安心する。 「伊波様、何かあればすぐに俺を呼べ。俺は四六時中、貴方の傍に居る。懐中時計を握り、強く念じてくれるだけで十分だ」 五階、自室前。 部屋へと戻ろうとする俺に、黒羽はそう告げた。 そんな状況にはなりたくないものだが、万が一もあるということだ。 「わかった、……けど、黒羽さん、四六時中って……黒羽さんも部屋に戻って休んだりとかしなくて……」 「不要だ」 「でも」 「自分はあなたのような人間とは違う。……睡眠などせずとも、問題ない」 強い口調には強固なる意志すら感じる。 人間とは違う、と言われてしまえばそれ以上何も言えなくなる。 「わかった」とだけ答え、俺は黒羽と別れ、自室へと戻った。 扉に触れれば、俺の生体認証を認識した扉が開く。 部屋の奥には出ていったときと変わらない、静かな空間が広がっていた。 今日一日だけでも色々なことがあったが、明日からが本番だ。 みんなと仲良くできるかな、と日和ったことを言うつもりはないがせめて、穏便に、生きて帰ることができれば御の字だ。 黒羽から貰った懐中時計を取り出す。 盤面の針が示すは午後10時。 ……そろそろ零時か。 黒羽からあんな風に言われていただけに、胸の奥がざわついてくる。けれど、この部屋は持ち主以外には簡単に拓かない造りのようだし、一先ず扉を壊されることはないだろう。何かあれば黒羽に助けを求めることも出来る。 変に気にしてしまっても仕方ない。 俺は時計から一旦意識を逸らすため、部屋に付属していた風呂に入ることにした。 風呂というよりもちょっとした温泉気分が味わうことができるような、大理石で出来た浴槽と常に丁度いい湯加減を維持するお湯という贅沢なものだった。 一面ガラス張りの窓からは月が覗く。最初は外から丸見えなのではないかと心配だったが、どうやら外部からは見えない特殊なガラスになってるそうだ。因みにこれは巳亦情報だ。あいつも五階に部屋があると言っていた。 早速服を脱ぎ、備え付けの手桶を使い頭からお湯を被る。熱いくらいの温度がなんとも丁度いい。 これが毎日いつでも好きなときに入れるということが唯一魔界に来ていいと思えたことだろうか。 一旦体を温め、つま先からゆっくりと浴槽へと浸かっていく。 窓の外で怪しく浮かぶ月は夕刻見たときに比べ大きく、赤くなっているような気がした。 俺は、なるべくそれを目に入れないように、天井を眺め、息を吐く。 窓の外ではたくさんの蝙蝠が群れをつくり、空を覆っていた。羽撃き音、聞いたことのないような鳥の声や何者かの悲鳴・断末魔、それらが聴こえなければもっとよかったのだが……この世界では難しそうだ。 風呂から上がり、寝間着代わりの浴衣に着替える。 そしてそろそろ眠ろうかとしたときだ。 扉がノックされ、息を飲む。咄嗟に卓上に置いていた懐中時計を手にし、開く。時間は丁度、零時。2本の針がぴしゃりと重なっていた。 黒羽……では、ないだろう。何よりも零時には気をつけろと言っていた黒羽だ。こんな時間に訪れるはずがない。 知らないふりをしよう。俺は寝室の奥、座敷に敷かれた布団へと移動する。 横になり、布団を頭までかぶるが聴こえてくるノック音は続く。それどころか、次第に強くなるその音に、体が震えた。扉が壊されそうな程の音。俺は、念のため寝床まで持ってきていた懐中時計を握りしめた。 ――黒羽、黒羽……ッ! 念じる。これで良いのかわからないが、何度も黒羽の名前を口の中で繰り返した。 その時だ、扉の外、通路側で壁に何かがぶつかるような音がした。 そして、先程まで扉を激しく叩いていたものがなくなったのだ。 もしかして、黒羽が来てくれたのだろうか。 タイミングといい、そう思うには十分だった。 慌てて布団から這い上がり、居間を抜け、玄関口の扉に駆け寄る。扉をそっと開けば、扉のすぐ前、真っ赤な漆塗りの床の一部がドス黒く変色していた。 そして、そこには。 「……黒羽さん!」 こちらに背を向け、幽鬼のように佇む黒い影。その背中に向かってその名前を呼ぶと驚いたようにこちらを見た。 「……っ、伊波様、いけません、扉を……」 鮮血のように赤く光る黒羽の左目を見た瞬間、ドクリと心臓が跳ねる。 収まりかけていたざわつきが、一斉に全身へと広がった。 自分の身に起きた明らかな違和感、異変に、早く扉を閉めなければと思うが、思考に体が追い付かない。 満月には不思議な魔力がある。 どこかの本でそんな一文を見かけたことがある。 その魔力に取り憑かれるのは、決して妖かしだけではない。 文章のあとには、そう続いていた。 そのことを思い出したのは、もっと後になってからだった。

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