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「……」 「……」 気まずい。そりゃそうだ。リューグのせいとはいえど、まだ午前の時間帯にあんなことを、するなんて。 教室を出てからというものの、黒羽との会話はない。 「手を貸します」とか「大丈夫ですか」とか、そういう言葉は掛けてくれるのだけれど「うん」とか「大丈夫」とか言ったその後は沈黙。 ……ベラベラ喋る方でもないけど、意識するなという方が難しい話ではないか。 黒羽に手当をしてもらってから暫く休んだお陰か、大分体は楽になっていた。下腹部の違和感は拭えないが。 「……そうだ、次の授業……」 どこに行きますか、なんて尋ねようとしたときだ。 薄暗い通路。向かい側から、見覚えのある真っ白な陰を見つけた。 男の制服と対になったデザインの、詰め襟タイプの真っ黒な制服。膝下まですとんと落ちたロングスカート。真っ白な髪は薄暗いそこでもよく映えた。 「黄桜……」 「……こんにちは、伊波殿、黒羽殿」 和服のイメージが強かったお陰か、一瞬誰だかわからなかったが間違えない。俺達の前までやってきた黄桜は、軽く頭を下げて見せた。腕には分厚い本が抱えられている。どうやら教室の移動中だったようだ。 正直、あんなことがあった今、女の子と会いたくないのが本音だ。俺、臭くないだろうか。ドキドキしたが、黄桜の態度はいつもと変わらない。 「……文学部に来てたんだ。知らなかった」 「う、うん……」 「……そうなんだ、言ってくれれば……案内するのに」 「ごめん、俺も学部のことはギリギリになって知ったから……」 「別にいいけど」 相変わらず素っ気ない。 ……もしかしたら白梅も文学部なのだろうか。思って辺りを見渡すが、それらしき影はない。 どうやら黄桜は一人のようだ。 「それよりも……どうしたの?包帯……今朝はなかったと思うけど……」 ふいに、尋ねられる。首筋、首輪に重なるようにぐるぐるに巻かれた包帯を指す黄桜にギクリとする。 「え、あっ、こ、これは……」 「俺のせいだ」 そう、口を挟んできたのは黙りこくっていた黒羽だった。 「く、黒羽さん……」 「……首、ってことは……吸血されたの?……リューグしかいないよね、文学部の吸血鬼なんて」 「……」 「図星なんだ」 と、黄桜は口にする。 怒られてるわけではないのに、みるみるうちに黒羽が落ち込んでいくように見えた。 それにも構わず、黄桜は俺に向き直った。 「伊波殿、いいこと教えてあげる。……ビザール通りに『業庵』っていうお店があるから、そこで吸血鬼除け売ってるよ。……おすすめ」 「……吸血鬼除けなんてあるのか?」 「……力が無い子は、自分で身を守るしかないからね。死にたくないなら自衛するしかないってなって、それからこっそり売られてる」 「伊波殿だったら、顔パスでくれるんじゃないかな」と、黄桜は口にする。 ビザール通り、今朝巳亦に案内してもらったあの屋台や出店で賑わう場所か。 吸血鬼除け……銀の十字架とかか? 「ありがとう、行ってみるよ」 「……それじゃあ、私達はこれで」 「あ、うん。……って、達?」 どういうことか、と思ったときには黄桜は先を歩いていって。 どこをどう見ても一人のようにしか見えないが……。 背筋が薄ら寒くなる。俺は、敢えて何も聞かなかったことにしてその場を立ち去ることにした。  ◆ ◆ ◆ 何時限か授業をサボってしまうことになったが、誰も何もそのことについて言及してくることはなかった。 聞くと、元々出席する生徒自体が少ないらしい。俺からしてみれば全然多いような気もするが、この学園の生徒比率を考えると少ないということなのだろう。 次の授業は、歴史学を選んだ。 この魔界に存在するいくつもの国家、それらの中心部に存在するのがこの魔都ヴァプトン。 政府の立法機関に行政機関、司法機関、そして、多くの魔物を収監するこの施設。 魔王のお膝元とは言ったものだ。国全体の主要施設がこの都に揃っている。 元々は、国ごとに魔王は存在していたという。それを、先代魔王は他の国魔王と呼ばれる存在を一人一人殺して回り、そして、一つの国として統べたという。 そのお陰か、魔王同士の戦争は収まったように思えたが、実際はどうだ。魔王の座を争う長期の魔法戦争のお陰で貧困に陥った国もあれば、魔具や武器を製造することを成業にしていた国は潤って。まさに天国と地獄。 前魔王が統べた結果、全員が全員幸せになったかというとその逆だ。前魔王が行ったのは恐怖による支配政治だった。 その結果が、今だ。早い話、戦争を好み、国民たちを駒のように扱っていた魔王は死んだ。元々魔界で住まうものたちに寿命というものはない。千年という長い間その座についていた前魔王の最期は、何者かによる暗殺だという。1457歳の誕生日の朝、自らの王座で胸に深く聖剣に貫かれた姿が発見された。 犯人は未だ見つかっていないというが、実際は謎に包まれているらしい。それから、混沌の時代が始まる。 先代魔王の独裁国家による鬱憤が溜まっていた国民たちはこれみよがしに城へと乗り込み、前魔王の一族を虐殺する。先代魔王の直属の部下や親しい人間は軒並み処刑に掛けられた。頭を失った国家は崩壊。 血筋も位も関係ない。殺すか殺されるか。食うか食われるか。その混沌を鎮めたのが、一人の青年だった。 困ってる者がいれば無償で手を貸し、争いがあれば両者の言い分を聞き入れ仲裁に入る。各地を旅し、いくつもの国を救ったその青年が、現魔王だという。 彼は、自分の手で魔王の座を勝ち取ったわけではない。何人もの魔物たちから愛され、支持され、背中を押され、現在の地位へと上り詰めた。 聞けば聞くほど、二人の魔王は対照的だった。 けれど、正直、俺でも現魔王を支持するはずだ。 そんな魔王様が俺を選んでくれたって思うと、恐れ多さのあまり信じられなかった。 授業が終わり、休み時間。俺と黒羽は巳亦と落ち合い、食事を取っていた。 相変わらず夜空が広がる庭園、そのテーブルを陣取り、俺たちは売店で買ってきた料理をそれぞれ口にしていた。 俺はベジタブルバーガー、巳亦は箸巻き。黒羽は一人何も食べていなかった。食べないのかと聞いたのだが「不要だ」の一点張りだったので放っておく事にする。 「それにしても曜、眠そうだな 」 「眠いっていうか……なんか、実感沸かないっていうか……」 「実感?なんの授業だったんだ?」 「歴史学。……なんか、映画見せられてるみたいで……この世界でそんなことがあったんだって思うと、なんか、こう……」 「あー、なるほどね。確かにまあ、伊波には現実味がない話かもしれないな」 そう言って、巳亦は箸巻きを齧る。濃厚なソースとチーズの匂いがなかなか食欲を唆らせた。……俺もそっちにしとけばよかったかな、と思いつつ、目の前のバーガーに齧り付いた。……味がしない。 「本当、当時に比べたら平和になったって思うよ。こうやって他人の前でのんべんだらりと飯食えるし、好きなときに好きなことだって出来るんだ。……昔の俺からしたら信じられないだろうな」 「……巳亦って、何歳なの?」 「えっ、今それ聞いちゃう?……ダメダメ、俺はそういうの秘密にしてるから」 というが、今の発言からして前魔王時代から巳亦が生きてることは間違いないだろう。授業によると前魔王が支配したのは千年単位だったから……もしかして前魔王が他の魔王たちを殺し始める頃からか?そう考えるとそれこそ現実味がない話だ。 「……そうか、巳亦は俺なんかよりも何十年何百年も生きてるからすごい年上なんだよな……忘れてた」 「いいよ、忘れてて、俺ももう昔のことなんて忘れてることのが多いしな。……おい、爺扱いするなよ、その目やめろって、こら」 なんて、巳亦とワイワイ話していたが、その間珍しく黒羽が何も言ってこないことに気付く。 ちらりと黒羽に目を向ければ、やっぱり元気がない。……さっきのことをまだ気にしてるようだ。 そして、巳亦もその違和感に気づいたらしい。 「なーんか変だよな、黒羽君。なんかあった?」 「なんかってか……そのー」 「その首のも関係ある感じ?」 小声で巳亦は尋ねてくる。首の包帯を指す巳亦に、俺は釣られて自分の首に触れた。 「……やっぱりそんなに目立つかな、これ」 「目立つな。……噛まれたのか?」  「……ッ、どうして……分かったんだ?」 「首を怪我してこうして話たり動いたりできるってことは切られたりってわけじゃないし、支障が出ない程度の首の怪我ってなれば吸血されたくらいしか思い浮かばないからな」 「な、なるほど……」 「文学部ってことは、マーソン弟だろ」 黄桜同様、特定の人物の名を出す巳亦に驚いた。 「巳亦も知ってるのか?」 「知ってるも何も、マーソン兄弟は有名だよ。っていうか、その知名度の内容は正反対だけど。兄は時期魔王で、弟はクソガキってやつ」 「じ、時期魔王……?って、アヴィドさんが?!」 「といっても最有力候補って周りが勝手に騒いでるだけで本人がその気かどうかは知らないけどな」 先程魔王のことについて聞いたばかりのせいか、アヴィドがそんな存在になり得る素質を持つ人物だと思うと急激に緊張してきた。 けれど、そうなると腹違いと言えど同じ血が流れてるであろうリューグがクソガキ呼ばわりというのが気になる。 「……リューグは、関わらない方がいい」 そんなときだ。いきなり隣の席に腰を下ろしてきたテミッドにぎょっとした。件のゲテモノドリンクを手にしたテミッドは俺にぺこりと頭を下げ、そして、珍しく怖い顔をしてみせる。 「……伊波様、リューグと仲良くしちゃダメ……ろくなことない、あいつ、嘘つきだし、僕のこと、虐めるし……」 「テミッドまで……」 「僕の友達も、何人かあいつに殺された……伊波様に何かあったら……怖い」 「……殺された、って……」 微かに、テミッドから殺意に似たドス黒い感情を感じた。 嘘を吐いてるように思えないし、実際、俺も殺されかけた。 巳亦は、凍りつく空気を和らげるようにテミッドに笑いかけた。 「……そうだな、けど、そのために黒羽さんがいるんだから大丈夫だよ」 「……伊波様に指一本たりとも手は出させん」 「……なんでそんな声ちっさいの?」 ようやく喋ってくれたと思ったら、案の定巳亦に突っ込まれていた。 その場の空気は少し和らいだものの、俺の中では、テミッドの言葉がぐるぐると反芻されていた。 リューグ……やっぱり危ないやつだとは思っていたけど、殺すとか、殺されるとか……。完全に前魔王が残した爪痕は消えてはいないということか? 「ところで曜、午後の授業はどうすんの?」 一人思案してると、ふいに巳亦に尋ねられる。 思考が一気に吹き飛んだ。 「……午後……なにも考えてなかった」 「文学部にいたらリューグいるし、俺のところ来たら?」 「巳亦のところ?」 「そうそう、午後からは生物画なんだよ。生物を使って巨大なキャンパスいっぱいに絵を書くんだ。キャンパスの中で動き回る蜥蜴達が可愛くてやべーよ」 「え、遠慮しておく……」 ……午後か。 確かに、リューグのことは気がかりだが、少なからず弱点は知ってるわけだしその点は心配しなくていいだろう。 それに、文学部の授業は何も知らない俺にとって勉強になるものばかりだ。俺は、文学部の授業を選ぶことにした。 「……今日は、せっかくだし文学部の授業受けるよ」 「大丈夫か?」 「確かに驚くことはたくさんあったけど、初めて知ることばっかりで勉強になったし……なんだかんだ楽しいってのもあるしな」 「……曜がそう言うんならいいけど、あまり無理すんなよ」 「大丈夫大丈夫、そのときは黒羽さんにお願いするし」 「……あぁ」 ちょっと明るく声を掛けてみるが、相変わらず魂が抜けたような返事しか返さない黒羽。 大分重症のようだ。 「んーそれならいいけど……」 不服そうな巳亦だが、無理強いして来ることはなかった。 リューグのこともだが、自分の失敗のせいで俺を傷つけたと落ち込んでる黒羽をどうにか元気づけることはできないだろうか。気が付けば、俺は味のないベジタブルバーガーを食べ終わっていた。

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