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夜だというのに明るいのは、いたる所にぶら下がる色とりどりの提灯のお陰だろうか。 夜の街へと繰り出す妖怪たちとすれ違い、時折会釈をしながらも戻ってきた楼閣。その頂上は綿飴のような濃い雲に覆われて見えない。 豪奢な出入り口を潜れば、外の世界とはまたガラリと代わった艶やかな内臓が広がっていた。 「おう、随分と早いお帰りだな」 そんな俺達を出迎えてくれたのは巳亦だった。 丁度出かけようとしていたのか、制服の上から上着を羽織った巳亦は俺達に近付いてくる。 巳亦には予め業庵に行くことは伝えていた。「どうだった?」と聞いてくる巳亦に、俺は締まっていた木箱を取り出した。 「一応、店主のお婆さんに貰えたよ」 「……へえ、これが噂の……」 「……巳亦は平気なのか?」 「ま、俺は吸血鬼じゃないしな」 「それよりも」と、巳亦は黒羽の方をちらりと見て、それからこそこそと俺に耳打ちをする。 「黒羽さん、機嫌直ったみたいだな」 「まあ……うん、そうだな」 「……おい、何を人を見ながらこそこそ話してる」 「別になにも?ただ、美味そうな匂いするなって。飯食ってきたの?か」 「ああ、少しだけだけど……」 「なら良かったな。今日はここで出された飯食わない方が方がいいぞ」 「え?どういうこと?」 「今日の料理人は飯が不味いんだ。俺が言うんだから曜も無理だと思うぞ。……だから、ほとんどのやつは外に食いに行ってるみたいだしな」 なるほど、それで巳亦も出掛けようとしていたのか。 「舌が狂ってるやつらには涎垂ものだろうけどな」と巳亦は皮肉げに笑い、そして「それじゃあ、俺はこれで」とそのまま夜の風景へと消える。 「本当、落ち着きがない男だな」 「……そよっぽど不味いんだな……」 「どうだろうな。あの男の二枚舌はどうにも信用ならん」 なんて話しながらも、晩飯が用意されているであろう大広間の前を通りかかったときだ。閉め切られた襖の奥から溢れ出す異臭、まるで生ゴミを火で炙ったかのようなその悪臭に俺は思わず吐き気を覚えた。……これは、近付かない方がいいやつだ。襖の向こうから聞こえてくる賑やかな声の中に白梅の笑い声が聞こえてきたような気がしたが俺は聞こえなかったことにした。 何段もの階段を上がり、辿り着いた最上階。その階に踏み込んだ瞬間、今まで聴こえてきた他の者の声すらも聞こえなくなった。……ような気がする。 ひやりとした空気の中、俺と黒羽は異様に広いその通路を渡り歩いていた。 当たり前のように自室まで着いてくる黒羽に、今ではほっとすらした。一人だとこの広い空間は心細すぎるのだ。 「そういえば伊波様、部屋の崩壊した部分の修復はもう済んでるということだ」 崩壊というよりも、黒羽が蹴り壊したんだが……まあ、細かいことはさておきだ。 「……じゃあ、もうこっちで寝ても大丈夫なのかな」 「その件だが、もしものこともある。俺が一晩見ておこう」 見ておこうって、まさか。 「俺の部屋にずっといるということ……?」 「無論そういうことになるな」 ……確かに、黒羽がいると心強いと思うけど。 思うけど、なんだろうか、24時間体勢でずっと黒羽が監視すると思うと……正直それもそれで休まらないのだが。 けどまあ、状況が状況だし……そういうものだろうか? そう、思いながらちらりと黒羽を見上げたとき、視線がばちりとぶつかった。そして、黒羽がハッとする。 「……その、俺が気になるというのなら姿を消すことも可能だし、もし信用ならないのなら俺の手足を縛ってくれても構わないが……」 「っ、え……えええそれはそれで……」 というか、黒羽が危惧してるその言葉の意味を理解し、顔が熱くなる。確かに、昼間のことを思い出せば、俺も俺で危うく流されそうになってたわけだし……安心とは思えない。 「……やっぱり、外で待機しておく」 そして、俺の気持ちを察したのか、苦虫を噛み潰したような顔をした黒羽はそう重々しげに口にした。 俺は敢えて何も言わなかった。心なしかまた黒羽が落ち込んでるような気がしたが、掛ける言葉が見当たらず、諦める。 そして、部屋の前に待機するということで黒羽と別れ、俺は自室へと入る。部屋の中は誰が入った気配もない。寧ろ、昨日のままのように見えた。 壊れた箇所も、今ではどこが壊れたのかもわからない。それらしき壁の痕、ガラスに触れるが、壁を作り直した気配もないのだ。元に戻った、みたいだ。……それが現実に有り得る世界なだけに、あながち間違えではないかもしれない。 一通り部屋の中を確認した後は、制服から和服へと着替える。相変わらず帯を巻くのは上手くいかないが、締め付けられる制服に比べれば幾らかましだ。 机の上、俺は今日授業で使ったノートを広げた。それを読み返し、一日のことを思い返した。よく考えれば、ろくでもない一日だった。けれど、色んなことを見て、知って、出会った。……一日で何十年分の驚きを使い果たしたんじゃないか、そう思えるほど。 親善大使として、人類代表として、何も出来ていない気もするが、まずは知らなければならない。 取り敢えず、明日も文学部に行くとして。時間割を確認する。この世界のことを知るには世界科も手っ取り早いが天文学も……。そんなことを考えながら、明日の日程を組み立てて、気が付けばうとうとと船を漕いでいた。 ……布団で寝ないと、明日が辛いぞ。思いながら、立ち上がる。そのまま寝室へと移動し、敷かれた布団の中へと移動しようとしたとき、視線を感じた。 ……?なんだ? 昨夜のこともある、警戒して辺りを見渡した。が、薄暗い部屋の中、人の影すら見当たらない。……考え過ぎなのか、それとも神経質になってるだけなのか。リューグに噛まれた跡がじぐりと熱を持って疼き始めた。 ……やっぱり、気のせいだったか。 思いながら窓、それを覆い隠す襖を開いたときだった。 全身から冷たい汗が吹き出した。本来ならば真紫の夜空が広がるはずのそこには、濁った巨大な目玉が無数窓ガラスに張り付いていたのだ。 「ヒッ……」 思わず、息を飲んだ。声すら出ず、思わず襖を閉めたときだ。扉が叩かれる、「伊波様!いかがされましたか!」と響く声、黒羽だ。俺は慌てて黒羽の元へ向かう。 扉を開けば、顔色を変えた黒羽がいて、安堵する。 「っ、く、黒羽さん、窓に、窓の外に目玉が……おっきな目玉が……いっぱい……ッ」 「……目玉……?」 扉を閉め、黒羽は俺の部屋へと上がる。 その奥、寝室の奥の襖を指差せば、近付いた黒羽は思いっきりそれを開いた。 そして。 「……目玉……ですか……」 先程まで無数の目玉が張り付いていたはずのそこには、本来あるべきはずの夜空が広がっているだけだった。 目玉の一つすらない。 「……あれ……?うそ、さっきまで、確かに……」 「……もしかしたら通りすがりの物の怪だったのかもしれませんな。……気配も感じないし、恐らくもう大丈夫かと」 「……」 もう、大丈夫。そう言って窓を隠す黒羽。 本当に大丈夫なのだろうか。俺は、釈然としなかった。あの目玉の大きさに数からして、すぐに隠れることが出来るとは思えないからだ。本当にいなくなったのか? 得体の知れない恐怖だけが残った。 「……大丈夫、か……そっか……」 「……伊波様」 「……ごめん、その、呼び出して……もう大丈夫だから」 ただでさえ自由なこともできず、縛り付けてしまってる黒羽をこうしてくだらないことで呼び出してしまったことに罪悪感を覚え始める。 そうだよな、この世界ではそういうことも当たり前なのだ。慣れないと……。そう思うのに、指先は震える。 そんな時だった。 「……やはり、今夜、今夜だけでいいので俺を部屋に置いていただけませんか」 そう、隻眼で俺を見詰め、黒羽は俺に申し込むのだ。 あくまで、自分から頼み込むという形をとって。

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