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部屋に、置く。
その言葉の意味を理解するのに時間が掛かった。
「自分を縛ってくれても構わないです」そう、黒羽は続けた。よほど昼間のことを気にしてるようだ。自分自身を卑下する黒羽に、胸が痛む。
「そ、そこまでしなくても……」
「しかし、もしも何かがあったときに」
「何か……って……」
顔が、熱くなる。
知らないふりするのもおかしな話だ。恥ずかしさをごまかすように咳払いをする。
「俺は……黒羽さんのこと、信じてますので」
黒羽は、「分かりました」とだけ口にした。
というわけで、俺が眠るまで黒羽ご一緒についてくれることになったのだけれど、いつも一人で過ごしていたからか、この部屋に他人がいることが不思議な感じだった。
緊張はしないといえば嘘になる。けれど、それ以上に黒羽が緊張しているようにおもえた。
部屋の隅、座ろうとしない黒羽を長時間の説得の末、なんとか座布団に座らせることが出来た。
眠るにはまだ早い。座る黒羽、そして卓袱台を挟んで向かい側、俺は黒羽と向かい合う。
暫しの沈黙の末、俺は思い切って口を開いた。
「黒羽さんって一人のときって何してるの?
それは純粋な疑問だった。
いつも義務的な会話ばかりが多かっただけに、俺は黒羽のことを何一つわからなかった。
この機会に黒羽の色んなことを知りたい、そう思ったのだった。けれど。
「大して面白い話はありませんが」
「……黒羽さん、口調口調」
「……敢えて言うならば、伊波様の周囲に不審な陰が無いか探ることだろうか」
黒羽らしいと言えば黒羽らしいのかもしれないが、俺が求めていたものとはすこし違った。俺の聞き方が悪かったのだろうか、難しい。気を取り直して次の質問へとつなげる。
「じゃあ、俺と会う前とかは何をして時間を潰してたんですか?」
「時間を潰す……自分にはよく分からない感覚だが、手持ち無沙汰にならないよう常に己に試練を課しては鍛錬をしていた。気が付けば何十年も経っていたりということもあったな」
「………………」
次元が違った。今更だったが、目の前にいるこの男は俺の何十倍何百倍も長く生きてきた物怪だ。
しかし、興味深い。
「鍛錬……」
「それがどうかしたのか」
「一人のとき、どうしたらいいのか分からなくて参考にしようと思ったんだけど……俺には難しそうだな」
「その必要はない。自分が貴殿の剣となり盾になる。……それでは不服だろうか」
「そうだな、俺には難しそうだしやめておくよ」
「……」
黒羽は気難しい。ちょっとした言葉で相手のプライドを傷付けてしまったらと思うと不安だったが、特に気にしていないようだ。
黒羽との会話は主に学園のことだった。明日の授業はどうしようかとか段取りを決める。本当はもっと黒羽と個人的な話をしたかったのだけれど、黒羽はそうではないようだ。俺のこれからのことを案じてくれるので無下にもできない。
というわけで、気が付けば部屋の片隅に置いていたろうそくが短くなっていた。一本丸々燃焼するのに三時間は掛かるものだという。
そろそろ十二時になる。
「眠たいのならば寝床に行くべきだ。……人間の体は丈夫ではないと聞いた。自分に付き合って無理をせず、休めて下さい」
「黒羽さんは……」
「私はここにいる」
睡眠など必要ない、そう黒羽は言った。
ならば、無理に眠らせるのもおかしな話だ。それに、黒羽が一晩中見張ってくれるというのは心強い。前回とはまた違う状況ではあるが、同じ部屋にいることの安心感は大きい。
俺は黒羽に甘えることにした。「おやすみなさい」とだけ告げ、俺は寝室へと移動する。ちらりと黒羽の方を振り返れば、座敷の上、静かに正座をする黒羽の背中が見えた。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。夜も深くなった頃、物音が聞こえてきた。
今日は、一人ではない。黒羽がいる。そうわかっていただけに、すぐに反応することができた。
「く……」
黒羽さん。
そう、襖の向こうにいるはずの黒羽に呼びかけようとし、息を飲む。
「っ、は、っ……ぅぐ……」
苦しそうな、くぐもった声。黒羽の声だ。
どうしたのだろうか、と、不安になると同時に、熱が籠もったその声に思わず手が止まる。
軋む床。衣擦れ音。そして、吐息。
思春期真っ只中、夜中に聞こえてきたそれらとこのシチュエーションで何を想像するのか、それは一つだ。
いや、でも、まさか黒羽に限ってそんなことは……。ない、ないはずなのに、はぁっ、と呼吸が聞こえてくる度に心臓ガ跳ね上がる。伸ばしかけた指先が震えた。
ど、どうしよう……何も聞かなかったことにして眠ろう。そう、思うけど、なんだろうか、釣られて変な気分になってくる。
間違いない、昼間のせいだろう。体に残った黒羽の感触が蘇り、熱く疼き出す。
「……っ」
……黒羽さん。
口の中で、その名を呼ぶ。着物の裾、その隙間に手を伸ばす。……こんなこと、よくないと思ってるが、止まらなかった。下着の中、自分の性器にそっと触れる。すでに芯を持ち始めてるそこを、下着の上からやんわりと揉めば、肩が震えた。
「……は、っ……」
唇を舐める。黒羽さんの手を思い出しながら、下着の中から性器を取り出した。着物の中でごそごそと手を動かす。けれど、やっぱり自分で触るのとでは全く違う。
黒羽の、大きな手ではない。硬い皮膚、太い指、そして、大事に大事に触れるようでいて、快感を逃さない愛撫。
……全然、気持ちよくない。
おかしい、前までなら、これで充分だったのに。
「っ、くろはさん……」
堪らず、その名前を口にした矢先のことだった。
「お呼びですか、伊波様」
すぐ背後の襖が開き、手拭いを手にした黒羽がそこに立っていた。
「っ、え……」
まさか普通に開けられるとは思わず、時間が止まる。
汗だくの黒羽は、座り込んで股ぐらに手を突っ込んでいた俺を見て、制止した。そして、すぐに襖を閉める。
『もっ、申し訳ございません!眷属の分際で、無礼な真似を……』
「あ、や、いや、これは……その、違……って、あの……」
心臓がバクバクとうるさくなる。黒羽の様子からして、何をしていたのか悟られたのだろう。襖の向こうで土下座しているのがわかったが、ちょっと待ってほしい。黒羽の反応からして、これはもしかして。
「く、黒羽さん……あの、こんな時間に何を……」
『……自分は夜の鍛錬をしておりました。……もしかしてそれで起こしてしまったのでしょうか』
「た、鍛錬………………?」
衣擦れ音。荒い息。軋む床。
汗だくになりながら人の部屋の片隅で逆立ちで腕立て伏せをしてる黒羽の姿が浮かぶ。
流石に、流石にそんなことはないとは思っていたが本当に俺の勘違いだとしたら、俺、とんだムッツリ童貞野郎じゃないか……。
顔から火が噴き出しそうだった。そうだ、普通に考えれば黒羽のような男が人が寝てる隣の部屋、それも主の部屋で自慰などをするわけがない。そんなことわかっていたはずなのに。
そこまで考えて、死にたさが勝った。み、見られたし……撤回したところで黒羽は深く突っ込まないでくれるだろうが、痛いやつに変わりない。
「ご、ごめん……なさい……」
『な、何故伊波様が謝るのですか!悪いのは自分で……』
「……っ、俺、勘違いして、黒羽さんがエッチなことしてるかと思って…………」
『……な……ッ』
「それで、ムラムラして……ごめん、本当、馬鹿でごめんなさい……」
『……っ、そ、それは……恥ずべきことではありません。男児として、その本能は大切だと思います……ですからそう気を落とさないで下さい』
……何故、黒羽に慰められてるのか。余計情けなさで死にたくなる。
『あの、伊波様が気になるのであれば伊波様が“よし”と言われるまで姿を隠しておきますが、いかがですか』
「……黒羽さんがいなくなるのは、嫌だ……」
『伊波様……』
「そこから、いなくならないでほしい……です」
自分でもなかなかなこと言ってる自覚はあったが、黒羽がいないと不安でそれどころではなくなるのだ。
寧ろ、一人ではする気にならないだろう。
と、そこまで考えて、自分の思考が大分毒されてることに気付く。
『わかりました。貴方がそう言うのであれば、ここから一歩たりとも動きません』
重厚な声に、ぞくりと背筋が震えた。真っ直ぐで、鉛のような芯の通った男だと思う。
襖に映る黒羽の広い背中、その陰影に触れる。
「……っありがとう、ございます、黒羽さん」
こんなのは、俺ではない。そう思うのに、体が。思うように動かないのだ。否、理性部分が機能していない。
下着から頭を出したそこに触れ、黒羽と会話しただけで糸を垂らすそこに指を這わせた。ぬちゃりと音が響く。
それを塗り込むように上下すれば、息が漏れた。
……黒羽さんに、触りたい。そう思うけど、襖の向こうに手を出せないのは、なけなしの人間としての頭が警報を鳴らすからだろう。
おかしいと、こんなの、普通ではないと。
「っ、ぅ……ん……」
ぐちぐちと濡れた音が響く。黒羽にだって、バレてしまう。こんな距離。それでも、手を止めることができなかった。
帯が緩むのもかわらず、馬鹿みたいに扱いた。腰が震え、前かがみになる。つま先に力が入ったとき、手のひらの中で性器が震えた。そして、受け止めきれなかった種はぼたぼたと畳の上に落ちる。
「っ、は、……ぁ……」
一回抜けば、収まるだろう。そう思っていた。そう思っていたが、収まるどころか熱は増すばかりだった。勃起した性器に、息を飲む。朦朧とした意識。この感覚には身に覚えがあった。リューグのまやかし、そして、黒羽のあの目を見たときだ。酷く、喉が乾くのだ。
己の手では満たされない。
「……っ、ぅ、……んん……っ」
それでも、踏み留める。襖の向こう。その黒羽に頼ることがどういう意味か、頭で理解してしまっていた。だから、それだけはだめだ。そう思って、我武者羅に性器を扱いた。先走りと精子でぬるぬるになったそこは手のひらを滑り、上手くできない。それでも、さっきよりも気持ちよくなったのはすぐそばに黒羽がいるからか。それでも、心は満たされない。脈が加速する。
おかしい、よくない、いけない。頭の中で警報が鳴りっぱなしだった。息を整える余裕もなかった。二回目の射精は襖にかかった。垂れる白濁液に、頭がクラクラした。
触ってほしい。触ってほしい。黒羽さん。黒羽さん。黒羽さんの、手で、体で。
「……っ、黒羽さん……」
毒に浸かった体は呆気なく決壊する。
襖を開いた瞬間、伸びてきた手に、押し倒される。
暗転。視界に広がるのは、高い天井と、そして。
「……く、ろは……」
さん、という言葉は、黒い瘴気に呑まれる。
陰が深くなる。それらは黒羽の体から滲んでるのだとすぐに分かった。
「……あれほど、いけないと言ったのに」
吐き出されるその声は、ゾッとするほど冷たくて。
薄暗い部屋の中でも分かるほど、怪しい色を放つその目に見つめられた瞬間、下腹部がズグンと疼いた。
額に浮き出た血管、真っ赤に充血した目、尖った爪。先程までとは違う、そこにいるのは『物怪』の黒羽だった。
遠くで鐘の音が響く。
深夜零時。部屋の片隅に置いていた蝋燭の火が消えた。
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