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祟り蛇と錆びた断頭台

錆びた鉄。獣の匂い。ヘドロ。形容し難いそれらが入り混じった最悪の空気の中、俺は、吐き気を堪えるのが精一杯だった。 どうして、どうしてこんなことになったのだろうか。 ザブザブと、膝下まで溜まった血の海を歩いていく。正直、吐き気を堪えることもできなかった。止まらない嗚咽。幸い吐いたものは全部吐き終えたあとなので空っぽのそこからは何も出ない。 黒羽さん……巳亦……テミッド……。 名前を繰り返す。 まさか、あんなことになるとは。 思い出すだけで、涙が込み上げてくる。 俺のせいだ、俺が、もっとしっかりしていればあんな悲惨なことになはならなかった。 静まり返った地下空洞。そこには、この地下世界で行われた行為により排出されたあらゆる残骸が流れ着いていた。 最早原型の留めていない肉片や骨、そんなものばかりが浮かんでる。それを、俺は一人の男を背負って歩いていくのだ。 眠るように気絶した紫髪の男、吸血鬼・リューグ。 本当は投げ捨てていきたいが、今はこの男の力が俺には必要だった。 そもそも何故こんなことになったのか、その経緯を説明する必要がある。 ことの発端は、朝、登校前に黒羽とリューグがガチ会ったことが運の尽きだった。 ビザール通り。朝食を取るため、俺と黒羽と巳亦、それからテミッドの四人で例の如く食事にきていたところ、同じく朝食を取りに来ていたリューグと出会ったのだ。 幸い吸血鬼避けを持っていたので直接手を出されることはなかったが、黒羽がみすみすと見逃すわけもない。 「貴様、よくもぬけぬけと顔出せたな」 「俺だってここの生徒なんだから問題ないだろ?それともなんだ、またアンタの主の血飲ませてくれるのかよ」 「……殺す」 売り言葉に買い言葉、あれよあれよと腰の短刀を抜刀する黒羽に、リューグは「やれるものならやってみろよ」と挑発する。そして、そこからはいつもの流れだ。 周りに人がいるにも関わらず、リューグに斬りかかる黒羽とそれを避けるリューグ。被害は拡大、騒ぎは周りを巻き込んでは大きくなる。俺も巳亦もテミッドも止めようとしたが、間に合わなかった。 そして。 地面から巨大の鎖が生えてくる。 そう、生えてきたのだ。蛇のように意思を持って地面を割り、蠢く鎖たちはリューグと黒羽にそれぞれに向かっていく。ざわつく周囲。「まずいな」と巳亦が口にしたとき。 「っ、んだよ、これ……」 「……ッ!」 巨大な鎖は黒羽とリューグ、それぞれの足に巻き付き、そして、地面へと縛り付ける。そして、足から首元へとぐるぐるに巻き付くそれに、俺は、慌てて「黒羽さん」と駆け寄ろうとしたが、テミッドに止められた。 「テミッド……」 「あっ、あの、伊波様……待って、この鎖は……まずい……」 そう、テミッドが口にしたときだった。 黒い霧が辺りに広がる。そして、一箇所目掛けて霧が集まった。それは次第に人の形へと変化する。そして、そこから現れたのは……黒だ。 俺達が着ている制服とは少し違う、全身真っ黒な軍服のような制服に身を包み、顔面の部分に真っ黒な仮面を着けたその男(骨格からして間違いないだろう)は、くぐもった声で続ける。 「カルネージ学園校則第3条『公共の場での喧嘩・暴力行為、及び故意の施設や設置物の破壊行為を禁ずる』……これを破ったものには地下牢獄へと収容され、罰を受けることとなる」 「『リューグ・マーソン』、『黒羽』、以下二名を地下牢獄送りを決行する」無機質な声。その言葉とともに、音もなく地面が変色する。レンガ道だったそこには真っ黒な沼が現れた。そして、二人を縛る鎖はそのまま暗闇の中へと二人の体を引き摺り込んだ。この間、数秒。俺が駆け寄る間もなかった。 二人を飲み込んだ暗闇は、何事もなかったのように元のレンガ道へと戻っていた。鎖も、地面の中へと吸い込まれていく。 「っ、黒羽さん!」 テミッドを振り払い、慌てて黒羽がいたその場所へと駆け寄り、地面に触れるが、何もない。言いようのない恐怖、不安感が襲いかかる。 「黒羽さんを、どこへやったんだ」 俺は、その場から立ち去ろうとしていた仮面の男に掴みかかろうとして、伸びてきた巳亦の手に止められる。 「だめだ、曜」 「巳亦、……離し……ッ」 「獄吏(ゴクリ)に手を出したら、お前も地下牢獄送りになるぞ」 獄吏。聞いたことのない単語だった。 どういう意味だ、と獄吏と呼ばれたその仮面の男に目を向ける。 男はそのまま何も言わず、そしてその体を黒い霧へと変化させた。 「っ、あ……おい!」 風よりも早く、霧散する獄吏。止める暇もなかった。 辺りは騒然としていた。中には「またか」という顔をした連中もいた。けれど、次第にいつものバザール通りに戻っていく。 騒ぎも、何もなかったかのように、いつもどおりの日常が戻ってくるのだ。 人が目の前で二人もいなくなったというのに。 「……巳亦……黒羽さんが……ッ」 「落ち着けって、曜。言ってただろ、二人は地下牢獄に連れてかれただけだってば。別に死ぬわけじゃないんだから大丈夫だって」 「……ッ、落ち着けって言われても、それじゃあ黒羽さんは……」 「……だ、いじょうぶ……だと思う……被害も大きくなる前だったし、多分、三日もすれば戻ってくるはず……です」 「みっ……三日も……?」 地下牢獄のことは知っていた。けれど、リューグはともかくまさか黒羽さんまで連れて行かれるなんて思わなかった。場所が悪かったから?ただそれだけなのか。けれど、黒羽さんは俺のお目付け役なのだから連れて行かれるのはおかしいのではないか。それとも、黒羽に限らず俺にも校則が適用されるということか。 「……巳亦……地下牢獄ってどうやって行くんだ?」 「え、まさか行くつもりか?」 「……だって、こんないきなり……黒羽さんもびっくりしてるだろうし……」 「……確かにそれはあるかもしれないけど、黒羽君も子供じゃないんだからほっといても大丈夫と思うんだけど……」 「……」 「……あっ、なるほど、そういうことね。わかった、わかったからそんな顔するなって。ほら。とりあえず食いかけのクレープ食べな?腹減るぞ」 「…………」 「……伊波様……」 食べかけのクレープも、あんなに美味しかったのに味がしない。獄吏は、罰を与えると言っていた。もしも黒羽の身になにかあると思うと、心臓が痛いくらい苦しくなる。クレープは喉も通らなかった。 巳亦は、混乱する俺に色々教えてくれた。 無法地帯だった学園の秩序を守るために導入された獄吏と地下牢獄施設。そこには規約違反した者が閉じ込められ、時には罰を与えられるという。そして、そこを管理するのが獄吏と呼ばれる者たちだ。全員同じ背格好に声、同じ仮面と制服を着用し、獄吏に逆らったり手を出した者は重い処罰を受けることとなる。 だから、俺が獄吏に掴みかかるのを必死に止めたという。 「地下牢獄への行き方は二つある。一つはルールを破ること」 「そしてもう一つは、これだ」そう、巳亦は足元の床を靴の裏で軽く叩いた。 学園の昇降口、そこに佇む全長五メートルはある前魔王の銅像。それを動かすと、人が一人は入れそうな扉が現れる。 「まあ本当はちゃんとした扉もあるんだけどね、黒羽君に会うだけなこっちのが近道だから」 そう、巳亦が扉に触れた瞬間紫色に発光する扉。音もなくそこは開いた。「じゃあ俺から行くな」と巳亦はその穴の中へと飛び込んだ。「梯子ねえから気をつけてな」と、だけ言い残して。 どういう意味だ。そう詳しく聞く隙もなく、巳亦の姿はあっという間に消えていく。 「……っ、これって……」 下から着地する音が聞こえてこないんだが。 相当深くまで落ちたんじゃないか。青ざめる俺に、テミッドがクイクイと俺の制服を引っ張ってくる。 「?どうした?」 「……伊波様……こっちにきて……?」 「……こう?」 言われるがまま、テミッドに体を寄せたときだった。 いきなりテミッドに体を抱き締められる。細い腕からは想像つかないほどの力強さに驚くのも束の間、テミッドは俺を抱えたまま穴の中へと飛び込んだ。 「って、うわああああああぁあ!!!!」 情けない絶叫が響く。落ちる。落ちる。落ちる。 足が着かない。浮遊感。視界が真っ暗に染まったままで、なにも見えない。テミッドは俺の体を抱きしめたまま、「危ないから、僕の体を抱き締めてて」と口にした。 こんな、抱きしめるとか、できるのか、こんな落下しながら。思いながら、やけくそでテミッドにしがみついた。ぎゅうっと、強く腕を回す。そうでもしなければ、体が放り出されそうで怖かった。 何メートル、もうどれくらい地上から離れてるかも分からない。そろそろ落下地点で死ぬのではないかと思ったときだった。風が、生ぬるくなる。そして、テミッドは俺の体を強く抱き抱えた。そのときだった。 空気が止まる。 地面が割れるような鈍い音ともに、浮遊感は消える。 ……あれ、死んでない……? 恐る恐る目を開いたときだ。俺をお姫様だっこした体勢のまま、テミッドは立っていた。 そして、その足元はテミッド中心に地面が割れていて。 「あ、あの……終わったよ、伊波様……もう大丈夫だよ……?」 ……この子、かわいい顔して今までの落下ダメージ全部クッション代わりになって受け止めてくれたということか。 ケロッとした顔のテミッドに俺は何も返せなかった。一緒にいると忘れてしまいがちだが、そうだ、テミッドも人間ではない。 「あ、ありがとう……テミッド……」 そう絞り出した声は情けないことに震えていた。 テミッドはにぱっと笑う。 それから間もなく、同様無事着地していた巳亦とも再会することになった。

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