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懐中時計を片手に待つこと暫く。
夜二十一時半、ホアンたちが潜入して三十分、黒羽が入って一時間が経とうとしていた。
ビザール通りの飲み屋街はどんどん開店していき、すっかり妖怪や魔物たちで賑わっている。
「……遅いな、皆」
「そう、ですね……一度、部屋で休んでた方がいいかもしれません」
そんな賑わいを避けるように建物の影から例のバーの出入り口を見張っていた俺たちだったが、俺のことを気遣ってくれたらしい。テミッドは提案してきた。
けれど、俺のワガママに付き合わせてる身だ。一人だけぬくぬくとした部屋で待ってるのは俺自身が耐えられない。
「いや……俺、ここで待ってるよ」
「伊波様……」
「結構お客さん、増えてきたね」
「はい……」
「ドサクサに紛れて入れないかな……」
「い、伊波様……駄目です……っ」
「う……冗談だよ、大丈夫だから」
というか、テミッドの目を盗むこと自体難しそうだ。
ぎゅむっとしがみついてくるテミッドは、俺の言葉を信じたらしい。露骨にほっとしてみせる。
テミッドがいるからこうして大人しく待ってるが、もしいなければ迷わず様子見に行くところだった。
そう考えると、こうしてテミッドがストッパーとなってくれてるのはありがたい反面、ちょっと厄介だったり……そんなこと言ったら黒羽やホアンたちに怒られるだろうけど。
せめてテミッドがゴーサイン出してくれたなあ……でも、テミッド真面目だから黒羽の言うことは絶対聞くだろうし……。
なんて、行き交う妖怪グループを眺めていたときだった。
不意に、背後で足音が聞こえてくる。そして。
「――曜?」
名前を呼ばれた。柔らかく、それでいて耳に残るような優しい声。咄嗟に振り返る俺とテミッドは、暗闇に紛れるように現れたその人物……否妖怪に「あっ」と声を漏らした。
暗闇の中でも目立つ赤い瞳に、混じり気のない黒い髪。
「巳亦」と、その男の名前を呼べば、巳亦は嬉しそうに笑った。そして、俺達のところへ近づいてくる。
「なんだ、こんなところにいたのか。……黒羽さんは?二人だけか?……もう夜遅いぞ、帰らないと心配するんじゃないか?」
相変わらずの子供扱いだ。学校の先生みたいなことを言い出す巳亦に内心複雑になったが、このままでは本当に連れ戻され兼ねない。
俺とテミッドは顔を見合わせ、ひとまずここに至るまでのその経緯を説明することにした。
「……じ、実はその……」
俺たちは赤穂に聞いた話を巳亦に伝えた、そして黒羽たちが戻ってこないことを。
不思議そうな顔をしていた巳亦だったが、すぐに事情は呑み込んだようだ。「なるほど、そういうことか」と納得する巳亦。流石神様、俺の下手な説明でも伝わる。
「そういえば巳亦はどうしてここに……」
「俺は飲みに……いや、食事をしにきたんだけど、そしたら曜の匂いがしてさ」
「俺の匂い……?」
「そう、そんで釣られてきてみれば二人がひょっこり頭出してたから声かけてみたんだよ」
一応不審に思われないように隠れていたつもりだったが、通りからは丸見えだったらしい。慌てて俺とテミッドは隠れたが、「もう遅いだろ」と巳亦は朗らかに笑う。
「……にしても、普通何もなければすぐ戻ってくると思うんだがな。一時間となると少し心配だな」
「や、やっぱり……?だよな?巳亦もそう思うよなっ?」
よかった、俺だけが心配してるわけじゃなかったのだ。
巳亦が味方になってくれたみたいで一気に元気を取り戻す。けれど、むんず、とテミッドに腕を掴まれ止められた。
「……巳亦様、けど……ここ、会員制です……僕たちは……」
入れませんよ、とテミッドが言いかけたときだった。
「なら裏から入ればいいんじゃないか?」
「俺が様子見てくるよ」さも当然のように、そんなことを言い出す巳亦。流石巳亦、手段を選ばない男だ。
「お、俺も行くっ!」
「伊波様……っ」
「いいけど、俺から離れるなよ」
「み、巳亦様……でも、黒羽様にここにいろと……」
「もし黒羽さんの身に何か遭った方が心配だしな、それに、曜は俺が守るから大丈夫だろ」
実際に俺のために命懸けで守ってくれる巳亦を知ってるからこそ余計その言葉にジーンと来てしまう。
巳亦にここまで言われたら流石にテミッドも困ってるようだ。でも、でもと悩むテミッドに、「テミッドも来るか?」と巳亦は優しく尋ねる。
テミッドは悩みに悩み抜いた末、俺が着いていく気満々だと察したらしい。一人で残ってても仕方ない、そう言わんばかりにテミッドは大きく頷いた。
こうして、まずは一度店内の様子を探ることとなったのだが……これがなかなか難しい問題だった。
裏路地、丁度バーの裏口はごみ捨て場になっているようだ。表の洒落た雰囲気とは正反対だった。
すでに様々な店のごみが山のように捨てられているそこは酷い匂いだった。生臭いような、何かが腐ったような匂い。
「あそこが店に繋がる扉か」
「鍵、開いてるかな」
「開いてなかったら開ければいいんだ。待ってろ」
そう言って巳亦は扉に近付いた。そして、扉をノックした。え、と驚くのも束の間。
開いた扉から店員らしき人形の魔物が顔を出す。巳亦はその魔物の腕を引っ張って引き摺り出すと、間髪入れずにその首に思いっきり手刀を叩き込んだ。短い悲鳴のような声を漏らし、その魔物は気絶する。
それは瞬きするほんの一瞬の間での出来事だった。
気絶したスタッフ魔物の制服と鍵を奪った巳亦は、それらを手に俺たちを呼んだ。
「成功だ。ほらみろ、これ、なんか鍵いっぱい持ってたぞ。制服も手に入った」
やったな、と嬉しそうに微笑む巳亦。
人畜無害そうな顔をしてるくせにやることは強引というか、下手したら普通に犯罪だが……巳亦は悪びれる様子はない。おおーっとぱちぱちと拍手するテミッド。……魔界的にはこれはありなのか、もう俺にはわからない。
「巳亦って……すごい強引っていうか……」
「嫌いか?」
「……正直すんごい助かる」
そう言えば巳亦は、にこーっと目を細めた。
そして「困ってる曜のためならなんでもするつもりだ、俺は」なんて当たり前のように言ってのけるのだ。
かっこいいし頼もしい、俺が女の子ならキャーッ!って喜んでるのかもしれないが……この蛇神様に求婚のようなことをされていたことを思い出しやや気恥ずかしくなった俺は「あ、ありがと……」と口をもごもごさせた。
しまった、余計なことまで思い出した……。
「制服手に入ったし、ついでに着替えておくか?もし変な勘繰り入れられたときに役立つかもしれないしな」
「ああ……なるほど、それなら……」
と、俺と巳亦はテミッドを見た。
一人話が飲み込めていなかったらしいテミッドは「?」と小首を傾げた。
というわけで、アンデッドであり一番堂々と動きやすいであろうテミッドに制服に着替えてもらうことになったのだが……。
「あの、これ……」
暫くして、もたもたボタンを付けていたテミッドはこちらを振り向いた。そして、俺は思わず拍手する。
黒を基調とした執事服にも見えるそのウエイター服は華奢なテミッドの体によく似合っていた。
引き締まったシルエットに、血のような真っ赤な髪が更に強調される。なんというか、なんだ、頑張れ俺のボキャブラリー。
「すげー……っ、かわ……いや、かっこいい……!」
「ほ、ほんと……ですか?」
「ああ、似合ってるよ、テミッド」
「……ありがとう、ございます」
そう、照れたように顔を赤くしたテミッドはこくんと頭を下げた。よくできた人形のような完成度、なんて言ったらきっとテミッドは微妙な顔をするに違いないので黙っておくことにした。
「それにしても……すごい匂いだな」
「……へ?匂い?」
「この制服、血の匂いがするな。それも、色んな血の匂いだ。……獣か?」
俺は気にならなかったが、そんなことを言われて俺はテミッドに近付いた。すんすんと嗅いでみるが、周りの生ごみのほうが臭くて仕方ない。
役に立たない俺の鼻の代わりにすん、と自分の匂いを嗅いだテミッドはかすかに目を細めた。
「……獣だけじゃないと思います……これは……」
そう言いかけて、テミッドは俺の頭に鼻を埋める。
「って、テミッドさん……!?」
あまりにもごく自然に嗅ぎ始めるので反応に遅れてしまう。心臓が口から飛び出しそうになる俺とは対象的に、テミッドは珍しく険しい顔をしていた。
「……腐った肉と血の匂い……」
「……へ?」
「……ホアンが、危ないかもしれない」
どういうことかわからないが、恐らく俺には判別できない何かを嗅ぎ分けたのかもしれない。テミッドの言葉に、巳亦は「急いだ方がいいかもな」と口にした。
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