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開いた扉から先頭のテミッドがこっそりと中を覗き、そして待機してた俺たちを手招きする。 「今なら大丈夫みたいです」というテミッドの言葉を聞いて、俺と巳亦も続いて店内へと足を踏み込んだ。 そこは非常口となっているようだ。他にも廃棄する予定らしい道具などがまとめて置かれている。 見たところ外よりは臭くないが、ネズミのような生き物が壁を走っていったのを見て背筋が震えた。 そんな中、すんすんと辺りを嗅いでいたテミッドがふと建物の奥を指さした。 「あっち……あっちから、嫌な匂いがします」 「近付かないほうがいいかもしれないな」 「黒羽さんの匂いとかはわからないか?」 「黒羽様の匂い……ごめんなさい、強い匂いがいっぱいで、ぼくの鼻ではわからないです……」 「俺よりも鼻のいいテミッドがわからないなら難しいな。俺も腐臭のせいで余計鼻がひん曲がりそうだし」 もしかして、と思ったがやはり建物内部を調べないと難しそうだ。 「……取り敢えず、ホアンたちの様子を見てみるか。方角からして、あっちが店内か?」 俺たちはその物置部屋を出る。扉の外は薄暗く、どこからともなく聞こえてくる音楽に思わず耳を塞いだ。 聞いてて不安になるような音楽だったが、これは人間だからそう感じるのだろうか。ちらりとテミッドと巳亦の方を見るが、二人とも特に気にしてなさそうだ。 「なるほど、あっちがフロアみたいだな。……んで、そこがトイレだな」 「妖怪もトイレするんだ……」 「そりゃするさ。しないやつらもいるけどな」 「巳亦は?」 「俺はしないよ」 「まじか……」 「曜はなんでも信じるからからかい甲斐があるよな」 くすくすと笑う巳亦に、自分が騙されたのだと理解した。「巳亦っ」と怒れば、テミッドに「しーっ」と唇に人差し指を当てられた。 「足音が近付いてきます……おそらく、二人」 テミッドの言葉に、俺たちは咄嗟に物陰に隠れた。フロアへと繋がるその扉が開き、二つの影が現れる。一件人にも見える、全身継ぎ目だらけの男と、その片割れには青白いを通り越して土色の肌をしたでっぷりと太った大男がふらふらと現れた。大男の方は酷く具合が悪そうだ、継ぎ目の男はずるずると引きずるように扉から出てくる。 「お客さん……?」 「随分と具合悪そうだけど、酔っ払いか?」 「……」 なんて、こそこそ覗いてると。 不意に俺たちに気付いたらしい。継ぎ目の男はこちらに向かって大きな声を上げる。 「おい、そこのウェイター!悪いが酔い止めの薬かなんかないか?ないならバケツでもいい、持ってきてやってくれ」 気づかれた、と焦ったのも束の間。男はウエイター姿のテミッドに声をかけたようだ。なにやらただ事ではなさそうだ。俺とテミッドは顔を合わせ、そしてそろりそろりとその客の妖怪に近付いた。 「あの、どうしたんですか?」 「こいつ、普段は酔わないやつなんだけどな……どうやら飲み合わせが悪かったみたいだ、ずっとこの調子で……」 そう心配そうな継ぎ目の男の言葉に、俺はぜぇぜぇと体全体で呼吸するその大柄な男に目を向ける。人間ではないとわかってても、苦しそうな呼吸を聞くとこちらまで息苦しくなる。とはいえ、テミッドは本物のウエイターではない。どうしたものかと思ったとき、じっと大男を観察してた巳亦がすっとなにかを取り出した。 「酔い止め、おたくの体に合うか分からないけどやるよ」 「おお……ありがとう!恩に切る」 「なに、気にするな。俺も他人事じゃないしな」 どうやら継ぎ目の男に手渡したそれは薬らしい。 何故そんなものを、と思ったが、そうだ、巳亦はもともと飲みに来ていたのだ。 「……一応便所はあっちにあるみたいだが、連れて行くの手伝おうか?一人じゃ辛いだろ」 「ああ、あんたらも飲みに来たんだろ?流石に手伝わせるのは悪いからな」 「すまん、ありがとう」と最後まで継ぎ目の男は巳亦に頭を下げていた。そして、大男に薬を飲ませては、そのまま男の巨体を引きずるようにしてトイレへと向かう。 その後ろ姿を見送っていると、不意に巳亦が口を開いた。 「……盛られたな」 「えっ?」 「あの酔っ払いの舌が変色してた。あれは酔いじゃない、毒だよ」 「ど、ど、毒って……」 なんで、というか良く分かったな。言いたいことは色々あったが、再びフロアに繋がる扉が開いて、慌てて俺たちは隠れた。 次に現れたのは酔っ払い客でもない、ウエイターらしき人形の魔物だ。魔物はこちらに気付いておらず、つい先程便所へ向かっていった妖怪たちの後を追っていく。 タイミングがタイミングなだけに、俺たちは顔を見合わせた。 「……巳亦、様……」 「怪しいな、ちょっと様子を見に行こう」 俺たちは無言で頷き合い、それから便所へと向かった。 幸い向かう途中の通路で誰と遭遇することもなかったが、本来ならばその時点で怪しむべきだった。 男子便所。大中小様々なサイズの便器が並んだそこには影すらない。 「巳亦、トイレにも誰もいないみたいだ」 「この近くにもいないみたいだな。テミッド、匂いはわかるか?」 「……ここに確かにさっきの妖怪たちの匂いは残ってます、けど……」 突然消えたということか? さっきから数分も経っていないはずなのに、あまりにも不自然だがここは魔界だ。そういうこともあるのだろうか、なんて見渡していると、ふと何かが落ちてることに気づいた。 「あれ、これ」 さっき、巳亦が渡した酔い止めの袋だ。 巳亦にそれを見せれば、巳亦は僅かに眉を寄せた。 「……怪しいな、さっきのウエイター。ホアン君たちが心配だ、ちょっと店内を見てくる」 「み、巳亦……俺も行く……っ」 「……わかったよ、置いてかねえからそんな目をするなって。じゃあテミッド、テミッドはここからホアン君達が出てこないか待っててくれ」 「……わかり、ました」 こくりと頷くテミッド。少しだけ寂しそうなことに気付いたが、下手に他のスタッフがいるかもしれないフロアにテミッドを連れて行くのは確かに危険だ。 テミッドから俺へと向き直った巳亦は俺の肩を掴む。 「曜、いいか。ここで出されたものは俺が許可したもの以外は口にするなよ」 「わ、わかった……」 「あと、何が起こるかわからない。俺から離れないように」 「わ、わかったってば……」 ……完全に子供扱いである。 何回言うんだ、そんなに俺は何でもかんでも口にそうに見えるのだろうか、となんだか不服だったが先程の毒の件もある。巳亦が過敏になるのも仕方ない……のか? ……そういうことにしておこう。 開いた扉の向こうには異様な空間が広がっていた。 黒と紫を基調としたゴシック調の内装で統一されたフロアに本物か偽物なのかわからないような標本の数々。ところどころ血が滲んだそのフロアには様々な魑魅魍魎が楽しそうに話している。バーというよりはパーティーのような雰囲気だが、内装が内装なだけに怪しげな会合にも思える。 そして壁際にはバースペースと、ボックス席。 そして奥に繋がった階段から個室へと移動できるようだ。 フロアスタッフはバースペースのウエイター一人だけのようだ俺達は人混みに紛れる。 「……巳亦、隠れなくて大丈夫かな?」 「曜、こういうのは堂々としとけば案外バレないんだよ。それに、中は暗い」 「ほ、本当に……?」 「取り敢えずホアン君たちと合流しよう」 本当に大丈夫なのか……?とヒヤヒヤしながらも、俺は巳亦に従うことにした。 それにしても、なんだろう。バーという単語から大人な場所だと思っていたが、やけに客同士の距離が近い気がする。 なんとなく目のやり場に困りながらホアンたちを探していたときだ。いきなり、つんつんと肩を叩かれる。ぎょっと振り返れば、薄暗い中でもわかるほど露出の多いお姉さん(……なのか?)がするりと腕を絡めてくるではないか。 「お兄さんたち、よかったら私達と一緒に飲まない?」 「悪い、先約が入っててね」 や、柔らかい?!と狼狽えるよりも先に、足を止めた巳亦によって引き剥がされる。そして、「残念」と肩を竦めた女妖怪は別の男に声を掛けては体を密着させてるではないか。そのまま奥へと移動する二人を見てしまった俺はカルチャーショックのあまり巳亦の服を引っ張った。 「こ、こういう店なのか……?!」 「なるほど、だから店が品定めした会員しか入れないのか」 「だから……?!」 「つまり……そうだな、曜にはまだ早い」 きっぱりと言い捨てる巳亦に俺はもう何も返せない。 帰りたい気持ちがあるが、それよりも戻ってこない黒羽とホアンたちにまさか皆……とあらぬ疑いを持たざる得ない。 異様な雰囲気に酒の匂い、鼓膜を揺らす不協和音に段々酔ってくる。場酔い……というやつか。薄暗い視界のせいもあるかもしれない。 「それにしても……ここにはいないのか?リューグも一緒なんだよな」 「だと思うんだけど……もしかして、個室に移動してるとか……?」 「その線はなくもないが……上は簡単に入れる場所じゃなさそうだぞ」 階段を上るには必ずバーの前を通らなければならない。それに、今見ると一人見張りらしきスタッフが増えている。カップルらしき妖怪たちがスタッフになにか差し出して、それを確認したスタッフは二人を階段へと上げていた。 ……なんだ、あれ。通行証みたいなものなのだろうか。 そう、眺めていたときだ。 「お客様、こちらサービスのドリンクです」 「っひぃ!」 いきなり背後から声をかけられ、飛び上がりそうになる。 振り返れば、そこにはテミッドの着ていたものと同じ細身の執事服を着た青年がにこやかに微笑んだまま立っていた。トレーの上には数人分のグラス。バレたのかと思ったが、どうやら手の空いてるもの全員に用意してるらしい。  「ああ、ありがとう」と巳亦は差し出されたグラスを受け取る。そして、ウエイターは俺にも差し出してくれた。 「あ、ありがとうございます」とそれを受け取れば、ウエイターは恭しく頭を下げ、そして他の手持無沙汰な客の元へ向かう。 お酒なのだろうか、綺麗な紫色のそのドリンクに目を向けたとき、「飲むなよ」と横から伸びてきた巳亦の手にグラスごと取り上げられる。 そして、自分のグラスと俺のグラスを嗅ぎ比べた。 「これだな」 「え?」 「毒が入ってる」 「……っ!毒って……」 「恐らく、さっき外であった妖怪が飲まされていたものと同じものだろうな」 「飲むフリだけするんだ。絶対に口をつけるなよ」そう言って、巳亦は俺にグラスを返した。 フリ、と言われても。と、ちらりと離れた場所で客と話してるウエイターに目を向ける。とりあえず口つけるフリだけしておくか。 すると、巳亦は俺の顔を覗き込んできた。 「そんなに飲んで大丈夫か?……あまり飲み慣れてないんだろ?」 アドリブでそんなこと言われてみろ、うっかり毒を飲まないようにするだけでも精一杯な俺は焦りと動揺でガチガチに緊張する。 「だ、いじょうぶだと……思う……」 「無理するなよ、あそこが空いてるみたいだ。座るか?」 「う……うん」 そう、巳亦に肩を掴まれ、フロア端のボックス席へと腰をかける。すごい、このソファーふかふかだ。と感動してる暇もない。俺の隣に腰を掛けた巳亦は俺からグラスを取り上げ、テーブルに置いた。そして、耳元に唇を寄せてくる。 「五分経ったら具合悪いふりをするんだ。そのまま外へ連れて行く」 「わ、わかった……でも、具合悪いフリって……?」 「さっき、外で会ったあの妖怪みたいな感じでいいよ」 さっきの……。思い返してみるが、確かあの妖怪は一人で自立できることすらできなかったように思える。 どうすればそれらしく見えるのだろうか……。思いながら隣の巳亦にしなだれ掛かったとき、巳亦の目がこちらを向いた。  「……曜、まだ早いぞ。それじゃ酔が回るのが早すぎるだろ」 「えっ!あ、ごめ……」 「――いや、いい」 咄嗟に巳亦から離れようとしたとき、伸びてきた巳亦の手に反対側の肩を抱かれる。 「み、み、巳亦……っ」 肩から腕のラインをなぞるように手のひらで撫でられれば、全身がびくりと反応する。思わず巳亦を見れば、そこには上機嫌な巳亦がいて。  「ちょっ、巳亦……」 「大丈夫だ、ここはそういうのもアリな店だから」 「あ、アリって言ったって」 「……まあ、そうだな。だから、こうしてた方がさっきみたいに声掛けられずに済む」 こうしてって、と言い掛けたとき、視界が遮られる。そして、唇に触れる柔らかい感触にぎょっとするのも束の間、二股に割れた舌が俺の唇に這わされた。

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