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「それで? 具体的に夢魔に会うっていうのはどうしたら……?」
「それは勿論いつも通り眠ったらいいんだよっ! んでんで、僕が曜君の夢の中に『おじゃましま~す』ってするわけ」
「ね?簡単でしょ?」と動物の耳かなにかのようにツインテールを揺らすクリュエル。
なるほど、分かりやすい。分かりやすいが、その方法には問題がある。
「で、でも俺……まだ眠くないんですけど……」
「…………」
「…………」
そう、恐る恐る声をあげれば微妙な沈黙が辺りに流れる。なんだ、なんだ俺そんな変なこといったか。テミッドまで「伊波様……」と生暖かい目でこちらを見ないでくれ。
「……伊波様、その点は心配無用だ。眠らせる方法はいくらでもある」
「あっ、そ、そっか……」
「でもまあ、少しこちらも準備しておく必要があるだろうな」
「少年、時間が来るまでいつでも眠れるように待機してくれないだろうか」そう、こちらへと視線を合わせてくるように屈むアヴィド。その背にクリュエルが飛び乗る。
「準備? そんなものなくても僕はいつでもオーケーだよっ?」
「お前はそうだろうが、こちらにはこちらの準備が必要だと言ってるんだ。……というわけで黒羽、その間少年のことは任せたぞ」
クリュエルの首根っこを掴んでずり下ろしたアヴィドはそうこちら――正確には俺の横にいた黒羽へと笑いかけるのだ。
黒羽はやや間を置いて「……ああ」と渋面のまま答えた。
それから、一旦アヴィドの準備が終えるまでの間その場はお開きとなった。
俺の部屋の中に残ったのは黒羽、そしてテミッドだ。他のやつらは皆早々に立ち去った。
それにしても、なんだか大変なことになってきたな。
緊張しないわけではない、もし一歩でも間違えていたら夢から覚めなくなっていたわけだから。そして、これからそんな魔物と対峙する。
「……伊波、さま……気分は……?」
ベッドの上、そんなことを考えていたときだ。
ベッドの側へと恐る恐る近付いてきたテミッドが心配そうにこちらを見上げてくる。心なしかその目が潤んでいるように見えた。
「ああ、大丈夫だよ。……確かに寝すぎたお陰で全身バキバキだけど」
「ば、バキバキ……痛そう……」
「あ、いやそれはものの例えで本当にバキバキってわけじゃないからな?」
不安そうなテミッドを撫でて安心させようとしていたとき、ふと視線を感じた。見なくとも、穴が空きそうなほど向けられるそれが誰のものかはすぐに分かった。
――黒羽だ。
「伊波様……」
「……黒羽さん、俺の気持ちはさっきいったとおりだからね」
「……ッ、……」
最初はあまり顔に出さない男だと思ったが、一緒にいる時間が長くなればなるほど第一印象が当てにならないというのがよくわかった。
黒羽ほど正直者な男も早々いないだろう。
「その夢魔ってやつを捕まえることができたら、少しはヴァイスの手がかりになるかもってことだろ?」
「それは、そうだが……」
「だったら俺、やるよ」
「……黒羽さん、俺、絶対に捕まえて帰ってくるから」こんなことまで言うつもりではなかったが、不思議だ。不安そうな、心配でたまらないという黒羽の顔を見ていたらそんな言葉がするすると口から出てきたのだ。
ヤケ、というわけではない。けれど、ほんの少し意地があったのかもしれない。
黒羽さんの力になりたい。黒羽さんに褒めてもらいたい。――黒羽さんに、俺だってやるときはやるのだと安心してもらいたかった。
と、そこまで言ってきらきらと目を輝かせるテミッドに気づく。そうだ、今はテミッドがいたのだ。
「い、いなみさま……かっこいいです……っ」
「え? そ、そお……?」
「は、はい……ぼく、待ってます、お留守番……夢魔、捕まえて現実に戻ってきたら、そのときは……ぼくも頑張ります……っ」
「伊波様のように」と微笑むテミッドにきゅっと手を握り締められる。
ひんやりとした指先に驚いたが、それよりもだ。まさか、先程まで落ち込んでいたテミッドがこんな風に意気込むなんて。
それだけでも嬉しくて、俺は「ああ」とテミッドの手を握り返した。
ただ一人、黒羽はまだなにか言いたげだったが俺たちの様子を見てそれ以上に口を出すことはしなかった。
ずっと食事もとらずに眠っていたせいだろうか、意識がはっきりすればするほど急激に空腹に襲われる。
というわけで、そのまま部屋で食事を取ることにした。
「前回のこともある。迂闊にハウスメイドを使用するのは危険だ」
「それじゃあ、ぼ、ぼく……伊波様のご飯、作ってきてもらいます……っ!」
「それで、ここまで運んできます」そう黒羽に提案するのはテミッドだった。
「そんな……俺のご飯なんだし、それなら俺も……」
「それじゃあテミッド、頼めるか」
「は、はい……っ! すぐに用意してきます……っ」
「あっ、テミッド……!」
俺が止めるよりもテミッドの方が早かった。慌ただしく部屋を後にしたテミッド。
部屋には俺と黒羽だけが残されることになる。
「……」
「……」
なんなんだ、この空気は。
いや、原因は分かってる。俺のとった行動のせいだ。全身からありありと黒羽の納得してないですオーラが滲んでる。
「……黒羽さん、怒ってますか?」
「怒ってない」
「本当に……?」
「…………ああ」
なんだ、その間は。おまけに眉間の皺もやや増えているし、やっぱり怒ってるじゃないか。
「黒羽さん」
「夢魔の見せる夢は、二度と現実へと戻りたくない。そんな幸福な夢を見せては夢の中へと永久的に閉じ込めると言われてる」
「……幸福な夢」
確かに、俺の願いは強く反映されていたのかもしれない。
「今回はたまたま運がよかっただけかもしれない。もし、現実と紛うほどの夢を見せられてしまえばそもそも目を覚ますという意識すらもなくなるかもしれない」
「それは……」
「ないとは言い切れない」
いくつもの可能性を考えているのだ、黒羽は。全てを楽観視することの危険性は俺だってわかってるつもりだ。
それでも、俺たちには選択はないのも事実だ。黒羽も気付いているのだろう、こうして話したところで展開は変わらないと。それでも俺にこうして納得していないということを伝えてくるのは、少なからず俺のことを信頼してくれているからだと思いたかった。
だとすれば、俺が黒羽にかけるべき言葉は一つしかない。
「じゃあ、もしまた俺が一日経っても起きてこなかったら……そのときは、さっきみたいに黒羽さんが俺のことを呼んでもらってもいいですか?」
「……俺が?」
「うん、黒羽さんの声ならきっと夢の中まで届いてくるから……そしたら『あ!急いで起きないと!』って俺もなりますし……」
「それなら大丈夫だと思います」と続ければ、ますます目の前の黒羽の顔は神妙なものになるのだ。
「……伊波様」
「は、はい……」
う、この声のトーンは怒られる……。
そう縮こまったときだった。何かを言いかけた黒羽だったが、そのまま深く息を吐く。
「守るべき相手にこのように励まされるとはな」
その言葉、眼差しには自嘲の色が滲んでいた。
黒羽さん、と言いかけたとき。黒羽に両肩をがしっと掴まれる。
真正面、向かい合うような体勢。目の前には相変わらず怖い顔をした黒羽がいた。
そして。
「――わかった。俺も腹を括ろう」
「っ! 黒羽さん……っ!」
「伊波様が危険な目に遭うかもしれないから辞めさせる、ではなく、貴方になにがあろうともそれを守護することが俺の役目だ」
「俺は、何を履き違えていたのだろうな」と笑う黒羽。
ここ最近、ずっと怖い顔をしていた黒羽ばかり見ていたせいだろうか。黒羽のそんな顔を見れることが嬉しくて、それ以上に俺のことを信頼してくれるという黒羽が嬉しくて嬉しくて――俺は思わず
「黒羽さんっ!」と目の前の黒羽にしがみついた。
「っ! い、伊波様……?!」
「俺、絶対にやってみせます。その……夢魔? 捕まえてきますので、待っててください」
そう、黒羽の胸元を掴んだまま頭一個分高い位置にある黒羽の顔を見つめる。首が痛かろうがどうでもよかった。黒羽の眼差しは先程よりも幾分か柔らかく、「ああ」と俺の頭を撫でてくれるのだ。
「……けれど、第一に大事なのは貴方の身だ。夢魔の捕獲よりも、貴方の身の安全が大事だと……そのことだけは忘れないでくれ」
俺は黒羽の言葉にはい、と大きく頷き返した。
ずっと、自分の立場と俺のことで葛藤していたのだろう。そのことがわかっているからこそ、俺は黒羽が俺の意志を尊重してくれたことが嬉しかった。
これで、本当に夢魔を捕らえることができればまた黒羽も安心できるはずだ。
俺には俺のできることをしよう。そう一人改めて決心する。
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