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 ……。  …………。 「……ん、元くぅーん。起きてぇ、死んじゃダメだよぉ。元くんてばぁ」 「起きましたか?」 「はっあなた様はふくいんちょー! ダメですよぉ、患者の容態は悪化する一方ですー」 「それは本当ですか。困りましたね。こうなったら我が一族伝統の秘技を使うしかありませんか……神楽先生、“あれ”を」 「ま……まさかふくいんちょー、“あれ”を使うつもりですかっ」  股間にきっつい一発食らって意識飛んで、それからどれくらい経つだろうか。  全身の気だるさと下腹部の違和感に魘されていた俺は頭上から聞こえてくる騒がしい声にピクリと瞼を震わせる。  そのままゆっくりと目を開けば、まず見慣れないヤニが染み込んだ天井が視界に入った。  そして、 「……おお? おおお! ふくいんちょー! 患者が生還しましたよぉ!」  こちらを覗き込んでくる見慣れない黒髪の男のドアップが映る。そのでかい声にギョッと目を丸くした俺は、そのまま慌てて飛び起きた。  拍子に目の前の黒髪の男とデコをぶつけてしまい、男は「あうっ」と情けない声を上げる。 「おや、もう起きてしまいましたか。丁度今から秘伝の注射を注入して差し上げましょうと思いましたのに」  じんじんと痺れる額を押さえると、黒髪の男の隣に立つ見覚えのある美人さんはそう微笑みかけてくる。  能義だ。なんでここに能義がいるのかわからなくて、寝起きで余計混乱してしまう俺はその下ネタに突っ込み損ねてしまう。 「でもよかったぁ~、元くん起きないから心配しちゃったよぉ」  能義の隣の軽そうな男はそうヘラヘラ笑いながら額を擦る。どっかで見覚えのあるアホそうな顔に間延びした声。 「えっと…………神楽?」  見慣れない黒髪の男に、そう恐る恐る確認すれば黒髪もとい神楽麻都佳は「そうだよぉ」と笑う。  突然変異した神楽をまじまじと見詰めるがよく見ると変わったのは髪色だけだ。 「風紀のやつらにさあ、カラスプでぶしゅーってやられちゃったんだよねぇ。もーまじ意味わかんねえしさあ、しかも俺だけ!」 「こうなったら元くんも真っ黒黒にしてやるぅー」そう襲い掛かってくる神楽の顔を手で押さえながら、俺はゆっくりと上半身を起こす。どうやら神楽の黒髪の原因は染髪スプレーを使われたからのようだ。神楽だけっていうのが気になったが、俺にまでその被害がなかっただけましだろう。  ふがふが言ってる神楽から視線を外し、俺は辺りを見渡した。見る限り、先程の仰々しい集団は見当たらない。ここが風紀室ではないことは一目瞭然だった。  きちんと片付けられ、物が少ないがどこか堅い雰囲気のある風紀室とは対照的に散らかっててなんだかよくわからない雑貨や家具などの私物で埋まったその部屋は言うならばゴミ屋敷。  ベタベタとポスターが貼られた壁には『生徒会最強』と下手くそな字で書きなぐられており、なんとか目が痛くなるような配色の家具で埋まったこの部屋が生徒会室的ななにかだということがわかる。  天井からぶら下がる色つき電球といい、部屋に充満した香水やらアルコールやら煙草の煙やらイカやら食べ残しの生ゴミやらが混ざったような悪臭といい俄信じたくないが残念ながら生徒会室のようだ。  もう一度言おう、このゴミ屋敷は生徒会室だ。 「……尾張君、目覚ましたんですか?」  悪趣味な原色の革ソファーに寝かされていた俺はふと聞こえてきた弱々しい声のする方を見る。  そこにはどっかで見覚えがあるけど名前が思い出せない、そんな印象の薄い顔をした青年がいた。  あれ、まじで誰だ。照明のせいでまともに利かない視界のお陰もあってか名前が出てこない。 「えーっと……」 「……岡部です」 「ああ、そうだった。岡部だ」 「わりー名前覚えんの苦手でさ」そう影が薄い青年もとい岡部直人に笑い返せば、岡部は少し面白くなさそうな顔をして「気にしないでください」と答える。やはり、周りと比べて癖がないせいか結構扱いにくいキャラのように感じた。それもそれで悲しいが。 「俺、途中から記憶ねえからよくわかんねーんだけどさ、結局なにがあったわけ?」  本格的に苦しそうにもがき始める神楽から手を離しながら、俺は現時点で生徒会室にいた三人に目を向ける。  岡部と神楽の二人はともかく、能義に関してはなんでここにいるかわからない。いや、生徒会室に生徒会役員がいるのは当たり前か。 「では、元さんには私から説明させていただきましょう。風紀には会長を押し付……いえ、会長に任せて三人を回収させて頂きました。因みに私はただのサボりです」  すごく分かりやすい説明だった。特に最後。  いつもと変わらない調子で続ける能義は「お礼なら会長たちにお願いしますね」と微笑んだ。  ……たち?  能義の言葉に違和感を覚えた俺は、風紀室にやってきた生徒会長・政岡零児と一緒にいた生徒のことを思い出す。  そう言えば、前に五十嵐から舎弟のことについてちらっと聞いたな。俺からしてみれば親衛隊と言った方がしっくりくるが、あれもきっと政岡の舎弟だか親衛隊だかなのだろう。お礼を言うにも、本人たちが見当たらない今どうしようもない。 「それで? 政岡たちは?」 「さあ? その内戻ってくるんじゃないでしょうか」  尋ねる俺に対し、能義はそう対して興味無さそうに続ける。  そんなアバウトな。と、そこまで考えて俺は重大なことに気付いた。 「つか、今何時なわけ?」  結構な時間眠っていたような気がする。未だふわふわした感覚の中、俺は恐る恐る能義に尋ねた。 「今は、六時ですね」  しかし、それに答えたのは岡部だった。  制服から携帯電話を取り出した岡部はそう答える。風紀室に連れていかれてから然程時間はかかっていないことを知った俺は安堵で全身から力が抜けるのを感じた。  自分と岡部がこうして生徒会にいる今、岩片の見張り……いや、護衛がいないことになる。一時安堵したがなにを仕出かすかわからないあのもじゃが野放しになった今、この一分一秒すら無駄にできない。 「あー……んじゃ、俺はそろそろ戻るわ。会長たちには後でお礼言っとく。なんか面倒かけたみたいでわるかったな」  そうもっともらしい言葉を並べながら俺はソファーから立ち上がる。  その拍子に足元に落ちていた書類に気付かずそのまま踏んづけてしまった。慌てて足を退ければ、至るところに靴跡にまみれた書類が落ちている。俺は見なかったことにする。 「えぇ~元くんもう帰っちゃうのぉー、もっとゆっくりしていこうよう」 「会長が帰ってくるまで然程掛からないと思いますが、待てませんか?」  どさくさに紛れて抱き着いてくる神楽を剥がしながら、俺は「うーん」と苦笑を浮かべた。  自分が狙われていることを知った上でこのまま生徒会室に残るのは得策ではない。岡部がいるだけまだましなのだろうが、政岡まで戻ってきたときのことを考えるとやはりここに長居する気にはならなかった。それに、こうしてなにもなかったように話しているが極力能義に近付きたくないのが本音だ。まあだらだら言っても一番の理由は岩片から目を離したくないからだけど。 「やっぱいいわ。ほら、岩片が待ってるだろうし」  と、言ってから俺は自分の失言に気付く。  いつもと変わらない笑みを浮かべる能義に岩片の名前に僅かに反応する岡部。  そして、鬱陶しいくらい俺にまとわりついていた神楽はピタリと動きを止めた。微妙な空気に気付いた俺は、このタイミングで岩片の名前を出したことを後悔せずにいられなかった。 「……そうですか、それは仕方ありませんね」  気まずい空気の中、最初に口を開いたのは能義だった。前回のしつこさに、てっきり今回もごねられるかと思っていただけにあっさりと身を引く能義に驚く。  まあ、俺からしてみれば思いがけぬ幸運だったが、その反面なにか企んでるんじゃないだろうなと勘繰らずにはいられない。 「既に授業も終わってますし、このまま寮に帰ったらどうでしょうか」  提案してくる能義に無言で頷き返す。どちらにせよ岩片の現在地を確認しなければ動くに動けない。 「場所はわかりますか?」 「なんとか」 「なんなら送りますよ」 「一人で大丈夫だから」  どうしてもついてきたいのか、声を掛けてくる能義に俺はそう言い返す。無意識に語尾が強くなり、少しだけキツい言い方になってしまったが能義は「わかりました」と笑いながら頷いた。含みのあるその笑みに若干癪に障ったが、ここでムキになっても能義の思う壺だろう。  俺はソファーから立ち上がる。 「岡部、お前も帰るか?」  衛生的な意味で空気の悪い生徒会室内。  立っていた岡部に声をかければ少しだけ緊張したような顔をしたが、先ほど岩片に会うといった俺の言葉を思い出したのだろう。控え目に、こくりと頷いて見せた。 「じゃあ、俺らも戻るから。色々面倒かけて悪かったな」  生徒会連中の気まぐれのお陰で厄介事に巻き込まれたのも事実だが、助けられたとも事実だ。一歩遅かったけど。そうお礼を言い、俺は岡部とともに生徒会室を後にする。  てっきり駄々を捏ねるかと思っていた神楽は最後までなにも言ってこなかった。  生徒会室を出て、まず俺は岩片と連絡を取った。岡部と一緒にいることだけを伝え、岩片から現在地を聞いた。岩片は学生寮に戻っているようだ。  一人で帰れたのか心配だったが、どうやら五十嵐も一緒らしい。  詳しくは会ってからということで、俺たちも学生寮へ向かうことにした。  岩片と五十嵐が一緒だということは恐らくアレだろう。岩片が五十嵐に出した条件を思い出す。親衛隊候補リスト。  五十嵐が岩片に会いに行くなんてそれしか思い付かない。  まあ、早く戻るに限るな。五十嵐が岩片に力負けするようには見えないが、もしかしたらというのもある。  それに、俺自身さっさと部屋に戻って休憩したい気持ちがあった。

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