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06
風紀委員がいなくなり、だだっ広い風紀室には俺と担任の宮藤雅己の二人きり。
押さえつけるものがなくなり、足腰に力が入らなくなった俺はそのまま机からずり落ちる。
腕を縛られているお陰で体勢を建て直すことが出来ず派手に尻餅をついて呻けば、頭上から「はぁ」と小さな溜め息が聞こえてきた。
その声に反応して顔を上げるのと、傍に屈み込んだ宮藤に体を起こしてもらうのはほぼ同時だった。
「こりゃまたきつーく縛られてんな、こりゃ」
「……雅己ちゃん」
「宮藤先生だろ」
そんなお決まりの会話を交わしながら床の上に座る俺。
その背後に回った宮藤は器用に両腕を拘束する縄をほどいた。
「ほら、動けるか?」
「ん、あぁ。……ありがと」
「お礼とか言うなよ。罪悪感感じるだろ」
笑う宮藤。
自由になった腕はキツく縛られていたお陰で血流が悪くなってたようで痺れる。それを動かして血を通わせる俺は宮藤に目を向け「無視したもんな」と呟いた。
「悪かったって、泣くなよ」
「泣いてねえから」
本当はかなりショックでちょっと泣きそうになっていたが、言わない。
宮藤からぷいと顔を逸らした俺は慌てて乱れた衣服を整える。
その様子を眺めていた宮藤だったがふと疑問を抱いたようだ。
宮藤はベルトを締め直す俺を不思議そうに見た。
「それにしてもなんでこんなところにいんだよ。またなにか問題起こしたのか?」
「またってなんだよ」
「それは俺の方が聞きたいんだけど」本音だった。
何故自分がセクハラ紛いのことをされなければならないのかだとか岩片の野郎はなにやってるんだとかとにかく言いたいことはたくさんある。
しかし、宮藤に当たったところでどうしようもない。
宮藤に自分の醜態を見られたことを思いだし居たたまれなくなる俺に対し、宮藤は笑う。
それを一瞥した俺はそのまま立ち上がろうとして、寒椿深雪に掻き回されたお陰で疼くように痛む肛門に眉を潜めた。
「取り敢えず保健室行っとくか。痛むだろ?」
そんな俺に気付いたのか、宮藤はそう提案してくる。
どこがとは言わない宮藤だが、恐らくわかっているのだろう。
その親切心が余計俺をみじめにしてくるのだが、正直ありがたい。
俺は小さく頷き返した。
「保健室ってどう行けばいいわけ?」
「仕方ねえな、一緒についていってやるからしっかり覚えろよ」
「別に一人で大丈夫だって」
「途中で風紀の連中と遭遇したらまた抜け出したとか騒がれるぞ」
「それに、一人じゃ辛いだろ」その言葉に、下腹部の心配されてると思ったらなんとなく顔が熱くなった。
もしかしたら先ほどまで無茶な体勢を取らされていたせいで全身が痛んでいるといいたいのかもしれないが、やはり、情けない。
醜態を晒した上こうやって気を遣われることがこの上なく辛く、俺はそのまま宮藤を見上げた。
「んじゃおんぶして」
「お前みたいなでかいやつ背負えるわけないだろ」
そう気を紛らすように茶化せば、宮藤は「肩なら貸してやるよ」と笑った。
優しすぎるというのも困るな。
思いながら俺は「ありがと」とだけ呟き、こちらに手を差し出してくる宮藤の手を取る。
本当は保健室なんて行くほどの痛みではなかったが、どちらにせよ五条祭の探索には行き詰まってしまった。
また一から情報収集しなければいけないのには変わりない。
だから、俺はそのまま保健室に向かった。
岩片はなにしてるのだろうか。なんて思いながら宮藤に案内されるがまま保健室へとやってきた俺は目の前の扉を見上げる。
そこには可愛らしい動物のキャラクターのボードが掲げられており、『ほけんしつ』と園児のようなフォントの文字が踊っていた。
……なんかここだけ異質だな。
他の特別教室とは打って変わって可愛らしいというか対象年齢が一気に下がったそのカラフルポップな保健室に内心冷や汗を滲ませる俺に構わず、宮藤は白いその扉に手を掛けそのまま開いた。
そして、
「ようこそ、捕験室へ」
扉のすぐ目の前にはスタンバっていたらしい茶髪の男が満面の笑みで立っていた。
「失礼しました」そして間髪いれずに扉を閉める宮藤。
しかしすぐにその扉は先ほどの教員らしき男によって開かれる。
「いやですね、宮藤先生。ちょっとした冗談じゃないですか。保健室だけに捕験、なんちゃって。んふふふふふ」
「ほら、怪我人なんでしょう? 僕が大切に手当てさせていただきますよ、早く入ってきなさい」どうやらこの男が養護教諭のようだ。
にやにやと含み笑いを浮かべ、ねっとりをこちらを眺めてくるその養護教諭になんだかもうこうデジャヴが。
なんか今日はやけに苦手なタイプと遭遇するななんて思いながら後ずさったとき、そんな俺に気付いたらしい宮藤はそのまま俺を庇うように養護教諭の前に立つ。
「未来屋先生、俺の大事な生徒なんですから傷増やさないで下さいよ」
「おおっと、まるで僕が下手くその役立たずみたいな言い方は止めてくださいよ。ほら、生徒が怖がってるじゃないですか、んふふふふふ」
「貴方のその笑い方が原因だと思いますよ」
「ふふふ、冷たいこと言わないで下さいよ。これは遺伝なんですからどうしようもないんです。ねえ、君」
「ええ? ……はあ、まあ」
いきなり話を振られ、内心狼狽えているとふと未来屋と呼ばれた養護教諭は浮かべていた笑みを消し、じっとこちらを見据える。
「……ああ、その顔、どこかで見たことがあると思えば確か転校生の岩片凪沙君でしたっけ」
「いや、俺は尾張はじ」
「ああ、そうでしたね。確か今年は二人だったんでしたっけ。あなた方の噂はよーく聞いてますよ、あの名門学園の生徒だったとか」
岩片に間違えられた上に自己紹介を遮られた。
薄々気がついていたのだがどうやらこの男、人の話を聞かないタイプのようだ。苦手だ。
「そう言えば自己紹介が遅れましたね。僕は未来屋百合也と言います。こう見えてこの学園の養護教諭をしてるんですよ」
「末永く仲良くしましょう」養護教諭と仲良くなるような学園生活ってなんか嫌だ。
とは思いつつ、まじで仲良くしないといけない場面が増えそうで嫌なんだが。
にこにこしながら骨っぽいその手を差し出してくる未来屋に内心冷や汗を滲ませつつ俺は「ええと、……よろしく」と笑みを引きつらせながら手を握り返す。
そして未来屋に一分近く手を握られ宮藤に無理矢理引き離された。やっぱり未来屋苦手だ。能義とか五条とか寒椿とかと同じ臭いがする。苦手だ。
「ああ、握手してしまいました。現役男子高校生と。……もう右手を洗うのはやめましょう」
「と言った側からアルコール消毒液を掛けないでください、宮藤先生」恍惚とした表情で右の手の甲に頬擦りをする未来屋になんだかもう若干恐怖を覚えつつ、仲裁に入った宮藤にポーカーフェイスのまま唇を尖らせる未来屋。ちなみに全くもってかわいくない。
「宮藤先生もしかして焼きもちですか? 生徒と教師の卒業するまでエッチはダメだよ? な禁断プレイですか? 嫌ですね、宮藤先生のようなふしだらな教師が蔓延っているから教育委員会に目を付けられるんですよ。ところでどちらから告白したんですか? 先生にも教えてください、自分だけなんてずるいですよ宮藤先生!」
わざとらしい仕草でそう宮藤に擦り寄る未来屋。
その首根っこを掴み無理矢理自分から引き剥がした宮藤は「未来屋先生、取り敢えず黙っていただければ嬉しいんですが」と微笑んだ。しかし額に青筋が浮かんでいる。水商売男がチンピラになった瞬間だった。
しかしそんな宮藤に怖じ気づくどころか未来屋は調子に乗るばかりで。
「おっと宮藤先生、尾張君が見てる前でそんな……ダメですよ、僕には妻子が……」
「…………」
「わかりましたわかりました、冗談ですって。久し振りに生徒か来てくれて嬉しいんですよ、はしゃいでるんです、可愛いでしょう? ちょっとくらい多目に見ていただいてくれたっていいじゃないですか。ぷんぷ痛い痛い痛いごめんなさい」
保健室に来てから十数分。宮藤の実力行使によってようやく本題に入る。
……。
…………。
「なるほど、また風紀委員の被害者ですか」
ポップで愛らしい装飾が施された保健室内。
椅子に腰を掛け、未来屋と向かい合うように腰を下ろす俺。
取り敢えず、先程手荒く縛られたときに抵抗のあまりに摩擦で皮が剥けた手首に薬を塗ってもらっているのだがかなり痛い。
ヒリヒリと痛む手首に塗り込まれるそれに顔を歪め、それでも必死に堪えていたのだが擦り傷を強く擦られれば全身に鋭い痛みが走り、俺は肩を跳ねさせる。
「い……っ」
「痕になってますねぇ。さぞ激しいプレイだったんでしょう、是非先生も混ざりたかっあいた! ……擦れてるので染みるでしょうが我慢して下さいね」
「……つぅ……ッ」
「ああ、その痛みを堪える顔、堪りませんねえ。痛いんですか?ほら、泣いちゃってもいいんですよ、ほら」
人が必死に堪えているのをいいことににやにやと笑う未来屋は鼻息を荒くしながら傷口を刺激してくるという養護教諭あるまじき行為に出てくる。この糞教師がぜってーぶん殴ると静かに殺意を抱く俺。
そんな俺を見兼ねたのか、ピクピクとコメカミをひくつかせた宮藤は「未来屋先生」と静かに養護教諭の名前を呼ぶ。
そしてその手にはガーゼなどを切るために使う先端鋭いハサミが。
「ふふふ、宮藤先生ってばそんな危ないもの持ったらいけませんよ。うっかり僕に当たったりでもしたら大惨事じゃないですか」
「当ててんだよ」
「物騒な方ですね、全く。どうせなら別のものを押し付けていただいた方が嬉しいんですが……はい、終わりましたよ、元君」
あれ、雅己ちゃんキャラ違う。目が笑ってない。
目の前の教師らしからぬ教師二名の物騒なやり取りに内心冷や汗を滲ませる俺だったが、首筋に当てられたハサミに顔色ひとつ変えない未来屋は言いながら俺から手を離す。
同時に、宮藤は持っていたハサミを投げた。
「……どーも」
生徒も生徒なら教師も教師か。ろくな人間がいない。思いながら俺は椅子から立ち上がる。
消毒液を染み込ませた脱脂綿を捨てながら未来屋は「いえ、これくらいお安いご用です」と笑った。そして、さっさと出ていこうとしていたこちらを振り返る。
「今度は宮藤先生がいないときに来てくださいね、たっぷりサービスしますので」
「尾張、ここに来るときは俺に言えよ。絶対な」
「まあ僕は3Pでも構いませんけどね」
これほどまでにPTAに助けを求めたくなったことはあっただろうか。
思いながら俺は「失礼しました」とだけ言い、宮藤に背中を押されるように保健室を後にする。
「悪かったな、尾張。本人はあれだけど腕は確かなんだよ」
「売店に薬局があった意味がようやくわかった気がする」
保健室前廊下。
申し訳なさそうな宮藤にそうぼやけば、宮藤は「ごめんな」と項垂れる。
なんだか虐めてるみたいで可哀想になったので「なんで雅己ちゃんが謝んだよ」と笑えば宮藤はただ愛想笑いを浮かべた。
「もう大丈夫か?」
「まあ、大分楽になったけど……」
「まだどっか痛むか?」
「いや、大丈夫」
遠回しに肛門は大丈夫なのかと聞かれているようでなんとなく居心地が悪かったが、俺がそう答えれば宮藤は「そうか、ならよかったな」とだけ頷いた。それ以上体のことに触れてこない。それが有り難かった。
しかし、
「じゃあ教室戻るぞ」
「やだ」
「やだってなんだよ、やだって」
「ちょっと疲れたから部屋で休んでくる」
「大丈夫っつっただろ」
「メンタル的には大丈夫じゃない」
「あぁ……なるほど」
納得しちゃった。
風紀か未来屋か、どちらのことで納得したのかわからないがまあ疲れたのも事実だ。
それに、宮藤にはああ言っていたが正直全身が痛い。というか変に疼いてる。
とにかく俺は一人になりなたかった。
体はタフだがメンタルはそうでもないピュアな男の子なのだ俺は。
「まあ、気が向いたら来いよな。俺も次授業入ってるから着いていけねーけど一人で大丈夫か?」
「ああ。ありがとな、わざわざ」
「気にすんなよ、自分の生徒の面倒を見るのが教師の役目なんだから」
あんま説得力ないな。
宮藤の言葉にさっき見捨てられそうになったのを思い出す。そこで、わりと自分が根に持つタイプだとわかった。
というわけで、宮藤とはその場で別れた。
手を振ってくる宮藤に小さく振り返し、その後ろ姿が見えなくなってから俺は小さく息を吐く。
じゃあそろそろ俺も戻るか。
人気のない廊下、俺は自室のある学生寮に向かうため学生寮と校舎を結ぶ渡り廊下へと向かうことにした。
岩片からの命令がある今のんきに休むのもどうかと思ったが今の状態で風紀と鉢合わせになったら堪ったもんじゃないし、それに五条の件も振り出しに戻ってしまった。
一旦部屋に戻って休養を取ると同時に条件を整理するのも悪くないだろう。そして一時間休んだあと五条探しを再開させて……。そう、頭の中で予定を組み立てていたときだった。
次の瞬間、すぐ背後でバチリと鋭い音がした。
いや、違う。その音は俺の体の中で発された。
「……あ?」
首筋に固い感触。体内でなにかが弾けたような音がし、目の前が眩んだ。
ああ、次から次へとなんなんだこれは。厄日か。どうやら俺は毎日厄日のようだ。
意識が途切れる瞬間、反射で背後を振り返ればそこには絵の具をぶち撒けたような水色が見えた。
それが頭だと気付くより先に俺の視界は黒に塗り潰される。
「あは、よわっちょろーい」
「よし、じゃああとはこれを連れていくだけだね、乃愛」
「そうだね、結愛。ねーえ、そこのゴミクズ眼鏡、そいつ運んでよ」
「僕たち箸より重たいの持てないんだよねー! ねえねえ、お願い?」
「はいぃ! このゴミクズ糞蛆虫脂眼鏡になんなりとお申し付け下さいませ!!」
「「……いや、そこまで言ってないんだけど」」
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