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 人質と聞くと、俺はまずニュース番組を思い出す。立て籠もりの人質事件とか、身代金要求とか、どれもろくでもない連想しか思い浮かばないが、俺と岩片のはまさにそれだろう。  ――人質は俺で、犯人は岩片。  ――要求するのは、楽しいこと。 『お前、馬鹿だろ』  例えばそれは少し昔に遡る。  とはいっても酷く懐かしむようなほど昔でもないし、記憶にもまだ新しい。初対面早々、今と変わらない妙ちくりんな格好をした岩片は俺を見るなりそんなことを言った。  馬鹿みたいに豪奢な理事長室の扉の前。そのとき俺は退学を言い渡されたばかりだった。  けれど、別にそれに対してどういう感慨もなくて、そんな俺を出迎えたのがろくに話したこともないような岩片で。 『あんなやつらに退学させられて、自分の経歴汚させるのかよ。ドMかよ』  正直、驚いた。全員が俺を黒だと言い張っている中、そんなことを言い出す奴がいることに。  驚いたが、そんな奴がいたところで目障り以外の何者でもない。 『別に関係ねえだろ』 『関係なくねえよ、悪いけど』  俺の目の前に立ち塞がった瓶底野郎は言うや否や写真を取り出した。  目の前に突き付けられたそれは数人の生徒が写り込んでいて、俺にとって見覚えのあるもので。 『高津嶺基、夜来光、巴馬勝杵、街丘愉。今回の被害者名乗ってる連中、全員恐喝常習犯だろ』  まだ耳新しい名前の数々に、思わず顔の筋肉が強張った。写真には一人の生徒を取り囲んでなにやら話しているやつらや、中には暴行途中とも見られる写真もあった。  確かに、恐喝だか後輩虐めが鬱陶しいやつらだった。噂には聞いていたが、対して興味もなかった。  それは、実際にやつらをぶん殴ってしまった今も変わらない。 『へーよく撮れてんのな、俺の写真ねえの?』 『お前、悔しくねえの? 他人に言いように人生掻き回されて』 『……別に?』  寧ろ、俺からしてみたらわざわざ俺に対してこんなことを言ってくるこいつの頭の方が気になった。  全く悔しくないと言えば嘘になるが、それは退学云々ではなくどうせ恐喝犯に仕立て上げられるのならあいつらの骨を全部折ってやってやっといた方が信ぴょう性が増すかもしれなかったのに、という後悔だ。  こんな学園に通っているこの瓶底眼鏡にとっては経歴云々が大切なのだろうが、俺にとっては全く問題ではない。  現に、俺の経歴はここに来る前からとっくに汚れているのだから。 『つーかさ、おたくなんなわけ?そんなに俺の気惹きたいの?わるいけど、俺可愛くて巨乳の子しか受け付けない主義だからさ』  面倒なのに絡まれた。適当に撒こうか、なんて思っていつものように即席で作った笑顔であしらおうとすれば、その瓶底野郎、もとい岩片凪沙は俺の隣をすり抜け、理事長室の扉を開いた。 『尾張元の退学処分、ちょっと待っていただこうか!』  背後から聞こえてきたざわめきと岩片の声に『え?』と目を丸くしたときにはもう遅く、集まった教師たちを掻き分けるようにしてズカズカと理事長室の中まで足を踏み入れたやつは理事長と対面していた。 『おい、ちょ、おい! なにやってんだよ! おい、そこのもじゃもじゃ!』  まさかまじで乱入するとは思わなくて、あまりの動揺に全身から変な汗を滲ませながら後を追って追い出されたばかりの理事長室に戻れば、更に理事長室内はざわつく。  なにより、岩片は既に理事長に先ほどの写真を叩き付けてる最中だった。 『おい、あいつ……!』 『なんであいつがあんなもの……』  ざわつく理事長室内、集まっていた高津たちはいきなり現れた岩片に青褪める。  ――時既に遅し。岩片が動き出した今、既に物事は軌道修正が計れないほど道を踏み外していた。 『今まで校内で発生した恐喝、暴行、カツアゲの本当の犯人はそこで被害者面したやつだ。既に本当の被害者たちからは調書も取っている。ここにクラス番号書いているから直接聞きたきゃ聞けばいい』 『なにを言ってんだよ、言いがかりは止めろ。口裏合わせてハメようったって……』  慌てて反論する高津たちに、岩片凪沙は『口裏ねえ』と笑う。口角を釣り上げただけの、怪しい笑み。その笑顔にぞくりと嫌なものを感じた時、岩片は制服の裾をたくし上げ、腹部を露出させた。 『あんたらは気をつけてたみてえだけどさ、腹のアザって結構残んだよね。ほら、見ろよ。あんたらが付けてくれた傷、こんなにしっかりと残ってんだよ』 『そんなアザ、俺ら知らないから、なあ?』 『自分でつくった怪我、俺らのせいにしてんじゃねえよクソもじゃ!』 『本当、つくづく予想通りな奴らだな』  喚く連中に溜息を吐いた岩片は『仕方ねえな』と制服に手を突っ込み、更に数枚の写真を取り出した。 『これは……』 『理事長、これ証拠ね。俺がこいつらにリンチされかけたって証拠』  岩片の言葉に、俺は目を見開いた。  そう言ってテーブルの上に拡げられた写真は囲まれている岩片や、腹を殴られふらつく岩片。まさに反抗現場がしっかりと記録されていた 。  まさか、あの場にカメラを仕込んでいたとは思わなかったし、なによりあまりにも用意周到な岩片に驚いたのだ。  そんなやつに驚愕するのは俺だけではなく、先ほどまで余裕綽々だった連中も、新しく出てきた決定的な証拠に死人のような顔をしていた。  あまりにも、決定的すぎたのだ。このために殴られたのではないだろうか――そう、疑いたくなるくらい。 『これで十分だろ。尾張元は恐喝犯でもなければ金銭も奪っていない。全部こいつらの自作自演だ』 『ちょっと待て、でも彼らは実際に怪我をしているんだぞ。彼に殴られて』 『その証拠は? 全員グルなんだからお互いを殴り合うことくらい簡単だろ』  当たり前のように平然と答える岩片に、やつらは『そんな馬鹿な』と青褪めた。多分、目の前のやり取りを眺めていた俺の顔を変なことになっていたに違いない。 『尾張元はこいつらにボコられてた俺を助けようと仲裁に入った。せっかくの獲物を邪魔されて逃がして、それがムカツイてこんな真似したんだろ。全てこいつらの企みだな。尾張元は被害者であり、寧ろ褒められるべき人間だろ?なあ、理事長。まさかこいつを本気で退学にするんじゃないだろうな』  息もつく暇を与えず、矢継ぎ早に言葉を並べ責めたくる岩片に気圧されていた理事長はソファー椅子に背をもたれかけたまま岩片を見上げ、そして小さく息を吐いた。 『……凪沙、お前が言いたいことはよくわかったが、私の机は椅子ではないぞ』 『これ丁度いい高さなんだよな、ケツの位置に』 『行儀が悪いと言っているだろう、二人きりの時ならいいが、皆がいる前だ。せめてちゃんと立て。あとで茶菓子やるから』  きっと、その場にいた全員が交わされるなんとも力抜けるようなやり取りに度肝抜かされていただろう。ポーカーフェイスと評判の俺でさえ、フレンドリーな二人の空気に顎が外れそうになったのだから。 『しかし凪沙、ご苦労。よく間に合ったね。今回はもう無理だと思ったぞ』 『あ、あの、理事長……?』 『なんだ』 『そ、そこの生徒は一体?』  あまりにもただの理事長と生徒というには仲がよすぎる二人に教師陣も混乱してるらしく、一人の男性教諭が恐る恐る尋ねると『ああ』と理事長はなんでもないように答えた。 『俺の甥。可愛いだろう?』  似てない、という無味乾燥な感想は置いておいて、どこをどうみたら可愛いのか俺には理解できそうにない。一生。 『そういうことだから、緊急職員会議始めるからお前らはさっさと教室に戻れ。ああ、わかっているだろうが議題はそこにいる四名の生徒の処罰についてだからな』  そういう理事長に追い出され、俺は寮まで戻ってきた。  通り過ぎていく生徒たちの腫れ物を触るような態度は今までと変わらないが、ただ一つ、今までとは違い俺の隣にはあいつがいた。 『いやーあいつらのあの顔、最高だったな。思い出しただけで三回は抜けるな』 『……』 『あ? どうしたんだよ、相変わらず湿気た顔して。……ああ、お前は退学になりたかったんだっけ? 残念だったな』  一人べらべらと喋っては厭味ったらしく笑う岩片凪沙に俺は目を向けた。  分厚いレンズ越し、その奥の瞳は見えない。だけど、レンズがあってもなくてもこいつの本心は見えないことには変わりないだろう。  だから、 『……お前、なにを企んでんだよ』  人気のない通路。  見計らって足を止めた俺は、隣の岩片を睨むように見下ろした。同様立ち止まった岩片は釣られるように俺を見上げ、そして笑う。 『はは、企むってなんだよ。面白いなーハジメ君は』 『なんで俺を助けたんだ。なにも目的なくただ助けたわけじゃないんだろ』  あの日、確かに俺はたまたま通りかかった校舎裏で囲まれていた岩片を見付けた。だけど、仲裁になんか入っちゃいない。  楽しそうに岩片を罵るあいつらが目障りで、耳障りで、気付いたら勝手に体が動いていたのだ。  あいつらの怪我は、全て俺がした。  現場の写真を用意している岩片の手元には俺がやつらに手を出している写真も勿論あるはずだ。  なのに、こいつは俺をさも恩人かのように仕立て上げた。その事実が、ただただ不気味で、気持ち悪くて。 『……結構、お前って自意識過剰なんだな』  絞り出すように呟く岩片は言うなり笑う。わずかに、奴を取り囲む空気が変わった。 『……は?』 『自分が、俺がお前のためになにかわざわざしでかそうとするほどの価値があると思ってんのか? ……ほんと、可愛いな』  バカにしてんのか、と顔の筋肉が強張り浮かべていた笑みが引き攣った。  拳を固く握り締め、やつを睨み付けようとしたとき。伸びてきた手に胸倉を掴まれる。  そして、背伸びするようにしてやつは俺にぐっと顔を寄せた。 『お前、退学になってもいいっていったな。どうなってもいいって』 『……それがなんだよ』 『なら、俺の親衛隊になれよ』 『は?』  一瞬、脳味噌が凍り付いた。  なにを言い出すと思ったら、本当になにを言い出すんだこのモジャ男は。  親衛隊といえば、あの生徒会のやつらについてるようなファンクラブみたいなあれだろ。なんで俺がこいつのファンクラブに入らなければならないんだ。……意味がわからない。 『あのな……』 『べつに、今すぐ退学になりてえなら構わないぞ。これを出してきたらお前の処分も元のものになるはずだ』  そういって目の前に突き付けられたのは、先ほど一度も登場しなかった俺の写真だ。  やはり、こいつは俺がカツアゲグループを殴った写真を持っていた。  そのことに然程驚かなかったが、嫌な予感は拭えなかった。 『その代わり、退学になったお前の人生を更に滅茶苦茶にして俺がお前ごと買ってやる』  案の定更に意味のわからないことを言い出した。  しかも目が笑っていないんだがこいつはあれか、電波な危ないやつか。 『買うとか、意味わかんねえし。なんなんだよ、お前。なんで一々俺に絡むんだよ』 『あんたと一緒に笑いたい』 『はい?』 『それだけじゃダメなのか』  真面目な顔して、当たり前のように答える岩片凪沙に俺は言葉に詰まる。  まさか、とは思っていたがコイツまじなタイプの頭可笑しい子なのか。  初対面に近い赤の他人である俺に対し、よくも恥ずかしげもなくそんなことを言い出すわけだから本当こいつ頭湧いているというかなにをいっているんだ、ほんと意味わかんない。意味わかんないし。つかなんで俺のが恥ずかしくなってんだよ、意味わかんねえ。 『だ……ダメに決まってんだろ、第一、なんで俺なんかと、……は? 頭可笑しいんじゃねえの?』 『俺、頭可笑しいんだよ』 『ほらな……』 『頭可笑しいから、ハジメ君が全部どうでもいいとかいったらすぐにでも俺のものにするかもよ』  え、と顔を上げた先にはやつの顔がすぐそこにあって。  真剣な声に、心臓が弾んだ。  ただの戯言だと、聞き流すこともできたのに。いや、いまのはただの強がりだ。見えない相手の目に睨まれた体は動けなくて、馬鹿みたいに全身の体温が上昇する。  顔が熱くなって、息が苦しくて……心の底から他人に求められたのは何年ぶりだろうか。中学の時、入っていたバスケ部の大会の前日、俺が他校のやつと問題を起こしたあの日までは毎日感じていた喜びが、今、全身に蘇る。  目の前にいるのはチームのやつらではないし、必要にされているのだって、どうせろくでもないことだけど、それでも――。 『……』  自分のことがどうでもよかった。  チームのためとはいえ、立場も弁えずに頭に血が上って暴力を奮うという短絡的な自分が。  仲間から見放され、軽蔑され、信用すらしてもらえなくなる自分が。  いっその事、このまま堕ちるところまで堕ちて消えていけたらいいと思ってた。……だけど、そうだな。 『勿論、楽しませてくれるんだろうな』 『当たり前だ。余計なこと考えられなくなるほどお前を楽しませてやるよ!』  薄っぺらい言葉。  こいつになにを期待しているのかわからない。自分が求めていたものが、居場所が、本当にここで合っているのかなんてわからないけど、それでも、どうせ堕ちていくのならば一人だろうが二人だろうがどちらでもいい。 『じゃあ、俺があんたを守ってやる』  なにからなんてわからない。だけど、そこが居場所というのなら、しがみついてでも離さない。  そこが変人の隣でも、俺の居場所がある限り、そこを守る。こんなこと言うような柄じゃないのに、岩片の影響というのは予想以上に既に俺の中では大きくて、もしかしたら早速変人が感化してきているのかもしれない。  それでも『当たり前だろ』と頭を撫でてくる手が気持ちよくて、悪くないとも思えてしまうのだから俺はもう手遅れだろう。  それから数ヶ月、岩片の変態性癖を知り、散散玩具にもされてきたが岩片の隣にはまだ俺の居場所は顕在している。  あいつは約束通り俺にまともに休む暇すら与えないほど問題ばかりを持ってきた。  だけど、それが無理難題であればあるほど磨り減っていた感性は豊かになり、生甲斐というものを感じた。  多分、俺はあいつが言うようにドMなのかもしれない。この際どうでもいいが。  岩片に捕まって数ヶ月、未だ心の底から笑ったことはない。

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