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 政岡がいなくなって一人になると幾分体が楽になっていくのがわかった。  それにしても、下腹部に絡み付いた政岡の唇や舌の感触が蘇る度に死にそうになるわけだけど。 「おい」  一人悶々している内に政岡が戻ってきた。  わざわざ走ってきたようだ、微かに息を切らせた政岡は持っていたペットボトルを俺に差し出してくる。 「飲めよ」 「……ありがと」  受け取るも、どうしても口をつけるとなると躊躇ってしまうのは神楽の異物混入事件のせいだろう。 「……? どうした?」  なかなか飲もうとしない俺に政岡も気付いたようだ。  ハッとした政岡は眉間に皺を寄せる。 「お、お前……俺が何か入れてると思ってんのか?!」 「……」 「……別に、疑うなら疑ってもいいけど俺はあいつみたいに小細工しねえよ。なんなら俺が毒味しても……」  余程癪に障ったようだ。  ペットボトルを取り上げられそうになって、慌てて俺は首を横に振った。 「……や、大丈夫だ。貰うぞ」 「……おう、飲め飲め! どんどん飲め!」  政岡のこと馬鹿正直なところもあれだ、もしかしたら俺に自発的に飲ませるための作戦かも知れない、とか色々考えてみるけれど、それでもいい。なんて思ってしまうのは政岡の人柄のせいかもしれない。  キャップを外し、一口つければ口の中に炭酸が広がった。 「美味しいな、これ」 「だろ? 俺が今ハマってんの。ここの階にしかないレアだぜ、レア!」 「ここの階だけ?」 「おう、どうしても飲みたかったから毎日理事長に頼みに行ったんだ。そしたら一種類だけならってことで許してもらってな」  先程までの不満そうな顔はどこへいったのか、「すげーだろ」と胸を張る政岡につられて「そうだな」と頷く。  こんなところで馴れ合ってる場合ではないと思う反面、少しだけ居心地のよさを感じているのは薬のせいだろうか。  そんな中、不意に聞き慣れない着信音が響く。  反応したのは政岡だった。 「って、んだよこんな時に……」  舌打ち混じり、制服から携帯を取り出す政岡はそのまま電話に出た。 「んだよ、神楽、焼き肉なら今日は……」  そう政岡が言い掛けたときだった。  やつの表情が凍り付いた。 「っ、て、てめえ、なんでお前、神楽の携帯に」  様子がおかしい。  何かあったのだろうか、電話片手に声を荒げる政岡を横目にもう一口炭酸を押し流す。  ……美味しい。 「……あ? 何もしてねえよ、うるせえ、てめえが悪いんだろうが! そんなに心配なら目ぇ離してんじゃねえよ!」  先程以上にヒートアップする政岡に、ただならぬものを感じた時だった。  仏頂面のままこちらを振り返った政岡は持っていた端末を俺に押し付けてくる。 「おい、モジャモジャ野郎からだ。声聞かせろっつってよ!」  モジャモジャってまさか、岩片のことか?  考えるより先に、咄嗟に俺は政岡の携帯を受け取った。 「い、岩片……? 岩片なのか?」 『お前、何してんの?』 「何って、それこっちのセリフなんだけど。おい、無事なのか? 神楽に捕まってたんじゃ……」 『俺がそんなヘマすると思ってんのかよ』  電話越しだからだろうか、岩片の声が微妙に怒ってるような気がしてならなかった。 「なら、どこに……」 『とにかく今すぐVIPルームに戻ってこい。いいな』  居るんだ、と尋ねようとした矢先、ぶちりと音を立て通話は一方的に切らされた。 「あっ、おい……!」  相変わらず自由なやつだと半ば呆れつつ、俺は政岡に携帯を返した。 「ありがと、政岡、俺……戻るわ」 「おい、まだ本調子じゃねえのに……」  ベンチから立ち上がろうとすれば、政岡に止められる。  確かに、腰のだるさはまだ取れないものの、これくらいなら頑張ればなんとかなるレベルだ。 「……大丈夫だ、これくらい。早くしねえと、あいつ結構しつこいから」 「……意味わかんねえ。あいつに迎えに寄越させたらいいだろうが」  岩片に迎えに来てもらう。  考えたこともなかった。自由奔放で超自己中なあの男を呼び出すなんて。  しかし、そんなことしてみろ。どうせこないのは目に見えてる。 「ま、政岡……?」  なのに。  携帯を操作し始める政岡に嫌な予感がして、恐る恐る問い掛けるものの政岡はそれを無視してどこかへ電話を掛け始める。  まさか、まさかまさか。 「おいこのクソモジャ野郎! よーく聞け! 尾張元は俺が預かった! 返して欲しけりゃてめえが迎えに来い! よく聞け、場所は四階の東棟のラウンジだ!」 「な……ッ!」  突然啖呵切り始めたかと思えば、一方的に政岡は通話をぶち切った。  そのまま制服に仕舞う政岡は息を吐いた。 「って……おい、何言ってんだよ、お前」 「うるせえな、お前もお前だ。あんなやつにヘコヘコしてんじゃねえよ」 「へ、ヘコヘコなんかしてねえし!」 「うるせえ、良いから大人しく待ってろ」  岩片以上はいないも思っていたけど、こいつもなかなかのやつだった。  座れよ、とでもいうかのように肩を押され、それを跳ね除ける力もなかった俺は促されるがまま腰を落とす。  まさか、俺のことを気遣って。  なんて都合のいいことを考えてしまったが、元々岩片とコイツのウマが合わなかったのは周知の事実だ。  反発したくなるのは無理もないだろう。  けれど、なんか、なんだろうか、岩片相手に啖呵切った政岡に少しだけ嬉しく感じたのは。  まさか自分がここまでちょろいとは思いたくないが、ないけど。 「……岩片に何されても知らねえぞ」 「ああ? あんなやつにされることなんかねえよ。……つーか、お前は何をそんなに怖がってんだよ」 「別に怖がってなんかねえよ」 「なら、気にすることなんてなんもないだろ。あいつがお前のこと心配してるなら来るしこなけりゃ落ち着くまでここにいたらいい。……それだけだろ」  難なくそう言ってのける政岡に、なんとなくこの男が生徒に支持されて生徒会長になったのが分かった、ような気がした。  馬鹿だけど、いや、だからだろうか、人目も気にせず我が道を行く政岡に羨ましさを覚えた。  それは、岩片に会ったあの日、抱いたものとよく似ていて。 「……お前って、本当馬鹿だよな」 「あぁっ!? 人が心配してやってんのに何……」 「っ、く……くく」 「笑っ、て……」 「や、悪い……わざわざ俺のことなのにムキになってんの、なんかすげー面白くて……ふ……っ」  他人のことでムキになったって、何も利はないはずなのに、なんでここまでムキになるのだろうか。  忘れかけていたものが胸の奥、じわりと滲み出てくる。 「ックソ……笑い過ぎなんだよ」 「ご、ごめ……」  ごめん、と口にしようと顔をあげた時、至近距離で政岡と視線がぶつかった。  真っ直ぐにこちらを覗き込んでくるその目に、全身が硬直した。  収まりかけていた鼓動が再度、乱れ始める。 「まさ、おか……」  まずい、と思ったのに、体が動かない。  違う、このままでも良いかもしれない、なんて思い始めている自分が動こうとしないのだ。 「おい……」  政岡がどうして、とか、逃げないのか、とか、そんなことを言い掛けた時だった。 「……何してんだ?お前ら」  声が聞こえてきた。  咄嗟に振り返れば、岩片がそこにいた。

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