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【side:岩片】
あんのクソボケド天然野郎が。
何度掛けてもつながらない電話に流石に頭に来たが、人前だということを思い出し携帯を投げるのは寸でのところで留めることができた。
大人しくしておけと言ったのに『用事ができたから出ていく』?用事の内容を言え。なんで直接言わねえんだよ。俺より大事な用事があるのか?
考えれば考えるほどムカついてきて、辛うじて堪えていたものが口から深い溜息となって一気に溢れ出した。
「随分とお疲れのようだな。君としたことが珍しいんじゃないか? そんな風に浮かない顔をしてるのは」
「……そりゃ俺だって人間ですからね、喜怒哀楽くらい顔に出ますよ」
委員長、と付け足せば、委員長机の前、長い足をふてぶてしく組んだ七三分けの男はフン、と鼻を鳴らし笑う。
「いや失敬。君はいつも楽しそうにしているからそういった俗物的な感情とは無縁かと思ってな」
「そう見えましたか?」
「ああ、君は他の人間とは違って常に冷静で余裕を持っている。見苦しく取り乱すことはない……と少なからず俺は評価していたつもりだが……まあ、君にも人間らしさが残されているというのならそれもまたよし。それでいて己を律することができている普段の君は評価に値する」
「野辺は講釈垂れ流すのが本当に上手いよね。三行でまとめてあげなよ」
「岩片君、君に悩みがあるというならこの俺が直々に聞いてやろう。聞かせてくれ。君という人間がどのような悩みを抱くのか実に興味深い」
演技かかった仰々しい動作とともにそう尊大口調で語る風紀委員長・野辺鴻志。その隣、影のように佇んでいた副委員・寒椿深雪はやれやれと頭を抑えた。
「悪いね、岩片君。こうなった我らが委員長は非常に鬱陶しいだろうけど数少ない友人の力になりたいのは本意だと思うよ。……非常に鬱陶しいけどね」
二回言いやがったなこいつ。
「そう思っていただけるだけで俺の身に余る光栄ですよ。けど本当に個人的な話になるので、お忙しい委員長のお手を煩わせるような真似をするのは流石に気が引けます」
「本当に君は慎ましい。この俺がこう言ってるのだからもう少し図々しくなってもいいくらいだというのに、それでもその姿勢を崩さないところが君の良いところなのだろうがな」
……つくづく厄介なタイミングで厄介な相手に捕まったと思う。
この手の男は許すように見せかけて少しでも気を緩めた瞬間掌を返すのはわかってる。建前だけだ。プライドがエベレスト級のこの男を扱うのは骨が折れる。
適当なおべっかでも一つ使いどころを見誤ればオセロよろしく全てがひっくり返るのだ。
用事を済ませてさっさと帰ろうとしたところにたまたま遭ったこの二人に招かれここまできたはいいが、このまま長居パターンに入るのは避けたかった。
特にこの男・委員長は俺を気に入っている。そう印象操作しているのだから当たり前だが、それでもしつこいのだ。顔がいい男からの誘いなら断らない主義ではあるが、この男の扱いは必要以上に神経すり減らす上、あまり親密になりすぎると独占欲を働かせ束縛してくる傾向があるので程よい距離感を保っていたい。
……この男と仲良くなっていると使い勝手はいいのだが、本当に厄介なのだ。
それに、今はそれどころではないというのが本音なのかもしれないが。
「そういえば岩片君、君のお友達の彼が面倒なことになってるみたいだね」
ふと、思い出したように寒椿深雪は口を挟んでくる。自分の主の会話を思いっきりぶった切る流れだ。「口を挟むな寒椿」と野辺が怒っていたがその話は、恐らくストレスフリーだったはずの俺の怒りを燻らせる根源と同じものだろう。
「面倒なこと?」ととぼけたふりをしてみれば、「ええと、彼……尾張君……だったかな?」と寒椿はなぞるようにその名前を口にした。……ビンゴだ。
「……ハジメのこと、風紀委員にも届いてるんですね」
「彼のことというよりも、僕たちの耳にはあの問題児どもの行動は逐一届くようになってるからね」
「ああ、あの大馬鹿政岡馬鹿零児がまた馬鹿なことを馬鹿馬鹿しく馬鹿みたいな顔で馬鹿真面目にやってるんだろ?」
「……」
政岡零児。
心の中を燻っていた怒りが零地点を越え冷え切っていくのを感じた。
あの男がハジメに余計なちょっかいを掛けているのは聞いていた。教室で授業を受けていた岡部から『会長の後輩たちが尾張君を探してるみたいです』という連絡を受け取ってから嫌な予感はしていたが、見事に的中してしまったわけだ。
……あの様子からしてまた何か仕掛けてくることはわかっていたが、このタイミングでハジメの馬鹿がいなくなるし連絡取れないしで正直最悪の想像しかできない自分にも嫌気が差す。
わかっていたはずだ、ハジメが大人しくしてるわけがないと。具合悪いからといってそのまま放置してきた俺が悪かった。
やはり、縛ってでも閉じ込めておくべきだった。そう後悔したところで遅い。
「岩片君? どうした?」
「……すみません、ちょっと嫌なことを思い出して」
「嫌なこと? 聞かせてみろ」
「大したことではないんですけど……ここ最近、政岡零児が俺の同室者にストーカー紛いの粘着行為をしてて、それであまり寝られないんです」
「……なんだって?」
ピクリと野辺の眉間が反応する。うっすらと青筋が浮かび、目が見開かれる。
……釣れた、と口の中で呟いた。
この男は扱いづらいが、政岡……否生徒会役員筆頭に学園の問題児たちのことになると目の色を変えるのだ。
この点はわかりやすくてありがたいが、これを使うと大抵ブレーキがぶっ壊れて操縦利かなくなるのであまり使いたくない手ではあるがそんなこと言ってる場合ではない。
「毎晩のように部屋に前に待ち伏せしては俺の同室者が帰ってくるまで戻ってこないし……この間なんて俺が『帰ってくれ』と言ったら逆上して殴り掛かられそうになるし……」
ほら、ここなんて隈ができちゃって。
なんて目の下を指差す。どうせ眼鏡越しからは見えないだろうが隈は自前だ。昨日誰かさんのせいで朝まで寝られず結局寝不足になったのだけれど、そんなことはどうでもよかった。事実よりも、誇張に誇張を重ねてこねくり回した餌が必要なのだ。いかにも事実よりも事実らしいそれがあればどうでもいい。
「なんと……それは災難だったね」
「あの腐れ色ボケ馬鹿男……己のしょうもない色恋ごときで他人様に、それも岩片君に迷惑掛けるなどと笑止千万!! 役に立たないどころか安眠妨害などとは許せん!! 今すぐ制裁してやる!!」
「あっ野辺、まず先に会長の居場所を他委員に捜させてから動いた方が…………って行ってしまったね」
光の速さで風紀室を飛び出していった野辺鴻志に、残された俺と寒椿は顔を合わせた。
普段の振る舞い方といい頭お花畑な発言が目立つ男だが、委員長様よりかは理性的だ。
案外食えないところがあるのを俺は知っている。
「それで? ……わざわざ政岡零児の名前を出して野辺を行かせてどうするつもりなんだい。君の本当の悩みは政岡ではないんだろう」
「……まあな、あいつが何をしようとしたところで虫の羽音みたいなもんだからな。……それよりも、ハジメが連絡取れない」
「へえ、あの子が。それは心配だね」
「風紀委員使ってハジメを探してくれないか。俺は、心当たりを行ってみる」
「君は本当に過保護だ。……はてさて、ストーカー紛いの粘着行為をしてるのはどちらなんだろうね」
砂糖菓子を溶かしたような甘い声は鼓膜を擽る。鈴のように微かに笑うその金髪の男を睨めば、寒椿は「なんてね」と肩を竦めて見せた。
「失敬、余計なことだったね。……そんなこと、火を見るより明らかだ」
「なんたって昔から偏執狂の君がたった一人の人間に興味を示すんだからね、これほどの愚問はない」華のように微笑む男の声はどこまでも柔らかく、包み込むようだった。これで本人には嫌味という観念がないのだから質が悪い。
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