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「元……? まさか、尾張はじ……」  め、と言い終わるよりも先に、深い溜め息を着いた五十嵐が俺からブツを引き抜く。萎えたようだ。ずるりと内壁を這うその感覚に腰が震える。失われる熱と質量に一抹のもの寂しさを覚えてしまう自分の体が恐ろしかった。 「……面倒だな」  立ち上がる五十嵐は下着を履き直し、ベルトを締め直すわけでもなくただ野辺にズカズカ歩み寄り、そして。 「タイミングが悪すぎんだよ、お前」 「お……おいっ! その汚い手で触れるな! 貴様清廉潔白ですみたいな面してとんでもない性欲猿だったとはな……見損なったぞ五十嵐彩乃!!」 「……いいからちょっと来い」 「離せッ! おい触るな!! ネクタイを引っ張るな!! 猥褻物陳列罪及び暴行罪で訴えるぞ貴様!!」  ギャーギャーと暴れる野辺だったが、五十嵐は問答無用でズルズルと引っ張って生徒会室から出ていく。  大丈夫なのかあれはと思ったが他人の心配をしている場合ではない。 「……厄介ではありますが、書記に任せておけば悪いことにはならないでしょう。そう不安にならないでも大丈夫ですよ」  俺の気持ちを察したのか、能義は宥めるように首筋、唇付近に唇を寄せる。五十嵐は萎えていたが、こいつはというと萎えるどころか余計大きくなってる気配すらした。  やめろ、と腰を抱いてくる能義を引き剥がそうとした矢先だった。 「っていうかさぁ……何してるの? 二人とも」  いつもの天真爛漫さはない、冷ややかなその言葉に俺はそこでもう一人の闖入者の存在を思い出す。 「か、ぐら……」 「……何してるの、って聞いてるんだけど?」  聞いたことのない、いつもの間延びした声とは違う。明らかに怒気を孕んだその声に、びくりと体が震えた。  神楽と視線がぶつかる。見られている。そう改めて自覚した瞬間、全身が焼けるように熱くなった。  答えられるわけがなかった。俺自身、何してるのか問い質したいぐらいだったのだから。 「見てわかりませんか? ……尾張さんがお礼をしたいと言うのでしてもらっていたんですよ」 「っ、な、に……いって……ッ」 「五十嵐がいなくなってここが寂しいのでしょう? ……丁度いい、会計。貴方もどうですか? 一緒に」  ふざけるな、と俺が声を上げるよりも先に下から腰を突き上げられ、潰れる内臓。強引に押し広げられ、心なしか先程よりも開いた内壁を摩擦するように動かされる性器に息を殺す。声を殺したところで結合部から漏れる濡れた音は隠せない。能義の胸を叩き、動くのをやめさせようとするが、指先から力が抜ける。 「っ、……み、るな……ッ!」  思考がままならない。自分が何を言ってるのかすらわからない。混乱と動揺と強制的に与えられる性的快感とそれに伴う半端ない羞恥。  ただ、絡みつく神楽の視線に堪えられず、顔を隠そうとしたときだった。腕を掴まれる。  え、と思った次の瞬間、体が、腰が浮くのを感じた。 「ぅ、あ……ッ」  音を立て引き抜かれる能義のもの。それを感じる間もなかった。顔を上げればそこには神楽がいて、どうやら俺を無理矢理能義から引き離した神楽に、能義は不愉快そうな顔をした。 「会計、人が気持ちよくなってる最中に横取りなんて真似は紳士的ではありませんね」 「……先に独占しようとしたアンタに言われたくないな」  滴り落ちるものを拭う暇すらなかった。吐き捨てた神楽は、俺を引っ張るように歩き出した。縺れる足。能義は「貴方……」と驚いたような顔をして何かを言いかけていたが、やがてそれも扉とともに遮られる。  生徒会室前。  痺れと熱の残った下腹部ではまともに立つこともできなかった。蹌踉めく俺の肩を抱いた神楽は、何を言うわけでもなく足を進める。 「か、ぐら……ッ!!」  足が縺れ、転ぶ、と思った俺は咄嗟にやつの名前を呼ぶ。生徒会室からそう離れていない階段の踊り場、そこでようやくやつは足を止める。  神楽。何を言えばいいのかわからなかった俺は再びやつの名前を口にしようとして、その先は言葉にならなかった。 「……ッ!!」  掴んでいた神楽の手に引っ張られ、抱き寄せられる。  驚いた。当たり前だ。無言で男に抱きしめられて、しかもあの状況からだ。下腹部にじんと熱が増す。嫌悪感が込み上げ、咄嗟に神楽を引き剥がそうとするが、がっしりと抱き締められた体はちょっとやそっとじゃ離れない。 「は、なせ……」 「どうして副かいちょーたちなの?」 「……っ、へ」 「……どうして副かいちょーたちに股開いてんの?」 「俺にはあんなに嫌がってたくせに、なんで簡単にヤラれてんの?」腹部を抑えられ、全身が強ばる。下着の中、溜まっていた精液が溢れ出し、嫌な感触が下肢を濡らした。  神楽、と再度呼んだ声は掠れて消えた。見たことのない顔に聞いたことのない声。目の前の男があの神楽と同一人物だと俄信じられなかった。  普通なら、何言ってんだよ、そんなわけ無いだろ、と言えたかもしれない。  けれど、あんな見られたくもない場面を見られた今、どう取り繕うことも出来ない。  何を言ったところで全て自分の首を締めることになるのは容易に想像ついた。 「っか、ぐら……」  辛うじて絞り出した声は今にも死にそうなものだった。  いつもどうやってこいつを躱していたのかわからなくなる。  落ち着け、落ち着け。  そう思うのに、神楽と目が合うとそれだけで先程の場面が過り、熱が込み上がる。羞恥のあまり、やつの顔を直視し続けることはできなかった。  つい目を逸す俺に、神楽は大きな溜息を吐いた。 「正直、すっごいガッカリだよ……元君もさぁ……男なら結局なんだっていいってこと?」 「違う、あれは……誤解で……」 「じゃあ本当は嫌だったのぉ? 嫌だったのに、無理矢理やられちゃったってこと?」 「……っ」  身も蓋もない、直球な問い掛けに顔にじわじわと熱が集まる。  正直認めたくなかった。全部俺の油断のせいだと、そのせいで自分からあんな目に遭ったのだと、そう認めてしまえば本当にどんな顔をしたらいいのかわからなくなる。 「……っそれは……」 「それはぁ?」 「……っ……」  頷くべきだと分かっていた。そう、神楽の望む答えを口にすれば後からどうにだって神楽に口止めしてもらうこともできるはずだ。  それなのに、自分の最後の自尊心が邪魔をする。  恥ずかしい、情けない、悔しくて、それ以上に他人にあんな醜態を晒してしまったことが殊更受け入れることができなくて、口を開けるが言葉は出ない。押し黙る俺に、神楽はふっと目を細めた。  先程までの冷たい表情とは違う、憐れむような目。  なんだ、その顔は。  嫌な汗が滲み、離れようとしたときだ。伸びてきた手にふわりと背中から抱き締められる。 「っ……な……ぁ……」 「……ごめんねぇ、虐め過ぎちゃったねえ? 元君。……そーだよねえ、辛いのは元君だよね。好きでもない子となんて……ねえ、そうなんでしょお?」 「神楽、離せ」と、慌てて引き離そうとするが、柔らかい指先とは裏腹に背中に回された腕は力強い。  腰を撫でられた瞬間、電流のような痺れが走り、息を飲む。 「……合意じゃないんだよね?」  そっと耳朶に触れた神楽は、そう唇を押し付けるように囁いてくる。直接鼓膜に流れるその声に、全身が泡立った。  不気味なほど優しく、甘い声。  否定すればどうなるかわからない。何を考えるよりも先に、俺は項垂れるように頷いた。  それが精一杯の意思表示だ。  その俺の返答に満足したらしい、神楽はぱっと俺から手を離した。そして、何事もなかったかのようにいつもと変わらない調子で続けるのだ。 「取り敢えず、着替えと……シャワー浴びた方がいいかもねえ? このままじゃ……流石にやばいよ。俺の部屋のシャワー貸してあげるから」 「……いい、流石に、そこまでは……」  なんとなく様子のおかしい神楽を見てしまったからか、あまり近付きたくないというのが本音だった。  咄嗟に離れようとした瞬間、痛みに似た疼きが下腹部に走り、慣れない痛みに蹌踉めきそうになる。そこを、神楽に抱き止められた。 「そんな状態でこのまま一人になる方が危ないと思うよお?」 「それなら、自分の部屋に……」  戻るから、と言いかけて、言葉を飲んだ。  岩片の顔が過る。あいつのことだ、部屋で俺の帰りを待ってる可能性だってある。  岩片から連絡が来てて、それを無視してしまったことを思い出して生きた心地がしなきった。  もし、こんな状態で部屋に戻ってそこを岩片と鉢合わせになってしまったとしたら。  昨夜のことを思い出し、全身から血の気が引く。  またあんな目に遭わされるとしたら、そう考えただけで全身の血が沸騰するように熱くなった。  何も言えなくなる俺に、神楽は馴れ馴れしく俺の肩を抱く。 「……安心して? 流石に傷心の子に無理矢理手を出すようなほど落ちぶれちゃいから」 「……神楽」 「取り敢えず部屋まで行くよぉ、その後は鍵だけ貸すから。俺閉め出して部屋の内側から鍵掛ければ入ってこれないでしょー?」 「それなら大丈夫だよね?」と笑いかけてくる神楽。  正直、その提案に驚いた。確かにそれなら神楽と二人きりにならずに済むが、神楽からしてみればメリットなどないはずだ。  それに、悪用される可能性だってあるのだし。  ……本当に、ただの善意なのか?  正直心の底から信用することはまだできなかったが、今の俺にとってそれは有り難い提案だった。 「わ……かった、悪い……面倒かけて」 「んーん、いいよお? 俺尽くすの好きだし」  下心がないわけではないだろう。俺に恩を売るつもりなのか。  油断だけはするなよ、そう先程痛い目を見たばかりの自分に言い聞かせながら俺は一度神楽の部屋へと向かうことにする。  シャワーだけ浴びて、それから……すぐに帰ろう。  野辺のことも気になったが、これ以上岩片に連絡しないのは危ない気がした。  神楽は本当に俺に鍵を手渡し、そして部屋の外で待っていた。  正直言えば半信半疑だったし油断してはならないとわかってるものの、少し見直したというのも本音だったりする。  相変わらず乱雑に散らかった神楽の部屋を通り抜け、シャワールームを借りることにした俺。  気にしてる暇もない。さっさと汗諸々を流して帰ろうという気持ちの方が強かった。  シャワールームを出て、神楽に使っていいよと言われていたタオルを借りる。再度制服に着替えたときだ。  丁度、玄関の扉がノックされる。  神楽からさっさとしろという催促だろうか。  慌ててタオルで髪から落ちる雫を拭った俺は、タオル片手に部屋の鍵を外した。 「悪い、遅く……」  なったな。  そう言いかけて、凍りついた。  扉の向こう側、そこに立っていたのは神楽ではなく。 「悪い? ……それは誰に対してだ? こいつか? それとも……俺に対してか?」  聞き間違えようのないその声。  顔半分を覆い隠す瓶底眼鏡と癖の強く重たい黒髪。その下から覗く笑顔は冷たい。  神楽のネクタイを掴み、引っ張り上げて笑う岩片凪沙に俺は文字通り言葉を失った。 「っ元君、こいつ……」  神楽も神楽で突然現れた岩片に対処できなかったらしい。  露骨に嫌悪感を顔に出した神楽は岩片を引き離そうとする。咄嗟に、「神楽」とやつの名前を口にすれば、岩片の口角が更に持ち上がる。  そして、更に自らにネクタイを巻き付け、まるで犬のリードか何かのように神楽の頭を下げさせた。 「っぐ、この……」 「随分とうちのハジメ君がお世話になったみたいだな。……正直気に入らねえけど、礼だけは言っておいてやるよ。ありがとな、ハジメを見つけ出してくれて」 「んじゃ、サヨナラ」そう岩片がネクタイを握り直すのを見て、考えるよりも先に体が動いていた。 「岩片!」  ネクタイを掴む岩片の手を掴み、止める。  こいつが何をしようとしていたのか分かったし、別に止める義理もないと思ったけどそれでも、神楽には一応助けてもらったのも事実だ。 「……用があるのは、俺だろ」  正直、驚いた。自分にもだが、それ以上に素直に動きを止める岩片にもだ。  俺振り払ってまでも一発殴るくらいはするのかと思っていただけに大人しく耳を傾ける岩片に呆気に取られる暇もない。  その隙を狙って岩片から神楽を引き離せば、こちらをただ見ていた岩片のその口元からはすっかり笑顔は消え失せていた。  辺りの温度が一、二度ほど下がったんじゃないかと思うほどのその冷え切った空気の中、冷や汗が背筋を流れる。 「……わかっててやってんだから本当、お前はいい性格してるよな」 「……お前が心配してくれてたの無視して出てったのは悪かったけど、別にそれだけだろ。こっちもこっちで色々やることあったんだよ、わざわざここまで来ることなんて……」 「……それで、言いたいことはそれだけか?」  呻くように吐き出されるその言葉に、思わず「は?」と聞き返そうとしたときだった。胸倉に伸びてきた岩片の手に思いっきり襟首を掴まれる。  額を思いっきりぶつけられ、一瞬目の前に火花が散った。  そして、その火花が消えたあと視界に写り込んだのは分厚いレンズから薄っすらと覗く細められた目。 「……言いたいことはそれだけかって聞いてんだよ」  昨日も相当岩片が怒ってるのは分かったが、今日は昨日以上かもしれない。  聞いたことのないような低い声にゾクリと背筋が震えた。  殴られるのか、俺は。  それほど怒らせるような真似をした自覚はあったが、岩片の力で殴られたときの想像をすると酷く体が熱くなった。 「ああ」とその目から視線を逸した瞬間だった。襟首を掴んでいたやつの手に更に力が込められる。 「おい、モジャ! 元君に今乱暴な真似は……」  そう、見兼ねた神楽が仲裁に入ろうとした矢先だった。  思いっきり胸倉を引っ張られ、そして、唇を塞がれる。 「乱暴な、真似は……って…………へ?」  どうして、なんで、こいつは馬鹿なのか。何を考えてるのかわからない。  咄嗟に突き飛ばそうとするが伸ばした手ごと壁に押し付けられ更に深く唇を重ねられ舌を捩じ込まれる。  呆気取られる神楽、きっと俺も同じような顔になっていただろう。  ぐちゃぐちゃに口の中を舐め回され、唾液で濡れる咥内からは更に唾液が溢れ出し、響く生々しい音が一層大きくなるのが聞いていられなかった。やめさせたいのに絡め取られた舌は痺れ、昨夜の熱が一瞬にして蘇り脳髄は溶けたように火照りだす。  やめろ、馬鹿が、この。頭の中で罵倒したところで叶わない。とうとう両腕に力が入らなくなったとき、岩片は俺から舌を抜いた。太い糸が唇同士を繋ぎ、それもやがて落ちる。  言い返す気力すら残っていなかった。呼吸をするので精一杯な俺を捕まえ、岩片はぽかんとしていた神楽に向き直る。そして、その面に指を突きつけた。 「おい、他の馬鹿生徒会の連中に言っておけ。……コイツが誰かに惚れるわけがねえ。惚れさせねえ」 「つーか、誰にも渡さねえから」人を抱きしめたまま恥ずかしげもなく馬鹿みてえな大声でそう宣言する岩片に、俺は、熱やらなんやらで何も考えることができなかった。  これは、悪い夢なのだろうか。  いっそ殴られた方が良かったなんて思ったところで何もかも遅い。  何を考えてるのかわからない。俺の目の前にいるこいつは本当に俺の知ってる岩片なのか。宇宙人か何か得体の知れない化物のように思えて仕方ない。けれどよく考えたらそれは前から、俺とこいつが出会ったときからずっと遭った違和感と同じだ。  そもそも、俺が一度でもこいつを理解できたことなんてあっただろうか?

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