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ep.5 五人目のプレイヤー
あの神楽への宣戦布告のあと、自分がどうやって部屋に戻ってきたかわからない。
岩片に引っ張らてたのは間違いないだろうが、その時俺はどんな顔をしていて何を考えていたのかまるで思い出せないのだ。
唯一思い出せることといえば、焼けるように火照った顔と、時限爆弾か?ってレベルの鼓動を刻む心音。そして、腕を掴む岩片の手の感触。
『おい、他の馬鹿生徒会の連中に言っておけ。……コイツが誰かに惚れるわけがねえ。惚れさせねえ。……つーか、誰にも渡さねえから』
ベッドの上、寝かされていた俺は頭の中で何度反芻したかもわからないそれをまた思い描いてしまっては枕に顔を埋めた。
……ずっとこんなことばかりを繰り返してる。
考えないようにしようとしてもあのときの岩片の声が、目が、熱がこびりついて外れない。
これが、あの男の恐ろしさということか。
何人もの人間を夢中にし、堅物な相手すらもまるで別人かのように夢中にさせていた。傍から見てどんな脅迫をされたのかと思っていたが、今なら少しだけ分かる……ような気がした。
あの後、部屋に俺を連れ帰った岩片は何を言うわけでもなく俺をベッドに寝かせた。
『熱が高い』そう言う岩片に言われるがまま体温を測れば確かに平熱以上の体温が表示される。
なにが原因なのか考えたくもなかった。
「とにかく安静にしろ。今のお前に何言ったところで話にならなそうだからな」
話はその後だ。そう、俺に解熱剤を飲ませた岩片はただ静かにそう口にした。
分かっていた。なかったことになったわけではないと。
許されたわけでもない。分かっていたけれど、それでも俺の体調を優先してくれる岩片には驚いた。
「いいか、今度勝手に出ていくような真似したら……あっちの部屋に縛り付けて寝かすからな」
「……分かったよ、大人しくしてる」
岩片は最後まで信用してなさそうな顔をしていたが、前科のある俺からしてみると弁明の余地もない。
その視線に居心地の悪さを感じながら、岩片の用意した氷枕の上に横たわっていた。
岩片は「飯、用意してくる」とだけ言い残して部屋を出ていった。
俺の鍵も携帯も全部岩片に取られた。おまけに部屋の外から施錠される。普段ならば冗談じゃないと思うのだろうが、本調子ではない今岩片がいなくなったことだけでもだいぶ落ち着くことができた。
そして、現在に至る。
岩片がいなくなればゆっくり休めるだろうと思っていたが
、そんなことはなかった。
目を閉じれば岩片のあの言葉が蘇る。そして、体は休まるどころか反応してしまうのだ。
神楽は、どうしてるだろうか。……岩片の耳にはどこまで入ってるのだろうか。俺が能義や五十嵐としたことも全部、政岡のことだって聞いてるかもしれない。そう思うと気が気でなかったが、もし聞いた上でこうして俺の世話を焼いてくれてるのだとしたらあいつは相当の変人だ。
熱が上がってきたのか、それともようやく横になることが出来て体の緊張が解れたのか。徐々に上がってくる体温に充てられぼんやりとした意識の中、俺は天井を眺めていた。
岩片は、どういうつもりなのか。あんなことを神楽に言って……あれも、ゲームを盛り上げるための舞台装置のための演技なのか。
普通に考えてそれしかない、あの酔狂な男のことだ。俺への嫌がらせもあるのだろう。
それとも俺の反応を見て楽しんでるか。……その両方か。
あいつは強欲だが、モノ自体に固執することはない。
手に入れるまでのその過程に興を覚えるタイプで、どんな孤高の花と呼ばれた美人相手でもあいつは実際に手に入ってしまえばすぐに飽きた。
それまで一日中いた相手でも、すぐに別のターゲットを見つければ鞍替えする。
どれだけ泣きつかれようが愛を謳われようがキレられようがあいつのその性根は変わらない。だから、あいつの敵は多かった。
妬み僻みの類は勿論だが、その大半はあいつに遊ばれ捨てられた元恋人たちだ。
それでもいいと犬に成り下がった人間もいるが、全員が全員そんな寛容な変態ではない。
岩片の親衛隊長になってから、岩片へ愛憎をぶつけるそいつらを鎮めることも少なくはなかった。というか、最初はそれこそそればかりだった。
『どうしてお前が、なんなんだよお前、あいつに惚れてるのか?どうしてお前なんか、僕の方があの人のことを……』
甲高い声でキャンキャン吠えられては似たような言葉をぶつけられる。捨てられた立場からして恋人でもなければセフレでもない俺という存在が邪魔で邪魔で仕方なかったのだろう。
当時は『そんなわけないだろ』と笑って返していた。
だってそうだ、俺があいつを好きになる?そんなわけがない。天と地がひっくり返っても俺は、あの男に惚れない。
そう言い切ることができたのはやはり、岩片に捨てられてきた人間を間近で見てきたからか。
けど、今はそれだけではないというのが分かった。
岩片があの時親衛隊長に俺を選んだのは、俺が誰かを好きになることがないからと踏んでいたからだ。
裏切られるくらいなら誰も信用しない方がましだ。
そう決め込んだ俺だから、それを見抜いた岩片は俺を選んだ。
岩片は無茶苦茶で、下半身と脳味噌が直結したような男でおまけにゲーム好きで周りを巻き込もうとする。
唯我独尊を体現したような道楽男。
けれど岩片と一緒に行動するようになって俺は、あいつの秘密に気付くことになった。
他人が望むもの、地位も文武も容姿も生まれてきたときから全て持ち合わせていた岩片凪沙の秘密。
……あいつは、まともに恋をすることができない。
「ちゃんと大人しくしてたみたいだな」
あれからそれほど経たない内に岩片は部屋へと戻ってきた。
片手には売店のビニール袋を引っさげている。
いつもなら道草食ってそうなものを、本当に買い出しにだけ言って帰ってくる岩片に俺はド肝を抜かれた。
「……岩片」
「ほら、食っとけ」
そう言って袋ごと投げて渡してくる岩片に、上半身を起こしそれを受け取る。中にはおにぎりが二つ。塩味と梅味。
よりによってこの二つかよ。
味が濃いものを好む俺に対して質素なものを選んできたのはこいつなりの嫌がらせかとも思ったが、それ以上に岩片が俺のために動くという奇跡に等しい出来事に頭が真っ白になって……つい「ありがとう」なんて言ってしまった。
岩片は何も言わない。ベッドの上、もそもそとそれを食べる俺を横目に適当に引っ張ってきた椅子をベッド横に置く。
……そこに座るのかよ。
正直岩片の顔を見ることができない今、わざわざ人の視界に入ってこようとする岩片に思わず眉を顰めそうになる。
「なんだよ、一人で食べれねーなら俺が食わせてやろうか」
「……いい」
あまりにも笑えない冗談に思わず素で返してしまう。そんな俺に怒るどころか、岩片は、ふ、と口元を緩め、椅子にどかりと腰を下ろす。
そしておにぎりを頬張る人の顔を眺める岩片。ガン見である。
「……すげー食いにくいんだけど」
「気にしなきゃいいだろ、俺のこと」
「んなこと……」
「できない?」
にやりと笑う岩片が癪で、俺は何も言わずに視線を逸し、気にしないふりしておにぎりに齧り付いた。
まるで俺が岩片のことを気にしているというのを指摘されてるようで非常に面白くなかった。
さっさと食べ終わって岩片の視線から逃げたかった俺は大口でそれを平らげる。具飲みするあまり息が詰まりそうになったところを、「焦りすぎ」と呆れる岩片に水の入ったグラスを手渡された。
「……どうして……」
なんで、今日に限ってそんなに優しいんだ。
何を考えてるのかわからないとはいつものことだが、それでも理解しようと努力した。けれどどんどん岩片が見えなくなるのだ。
グラスを受け取れば、水面に自分の情けない顔が映り込み、慌てて俺は水を飲んで誤魔化す。
喉の乾きだけが潤されるが気持ちは焦燥したままだ。
「……何を考えてるんだよ、お前」
「何って、どれのこと言ってるんだ? 俺が塩と梅を選んだこと? ……それとも、神楽に言ったやつのことか?」
「……」
「考えてることもなにもそのままだろ」
「そのままって……」
俺が惚れないだとか……渡さないだとか、それをそのままで受け取れと言われてハイそうですかと納得できるわけがない。
好き勝手捲し立てる岩片のことを思い出し、収まりかけていた熱が込み上げる。
やつの顔を見ることができなかった。自分の顔を見られるのも嫌で、無意識に俺は自分の顔を覆い隠そうとしていた。
「……あんな煽るような言って、誤解されたらどうするんだ?言ってたことと違うだろ、お前は俺に任せるって……」
「ああ、確かに言ったな」
「……なら」
「俺は『生徒会を全員惚れさせ負けさせることができればハジメの勝ち。お前が誰かに惚れでもしてリタイアしたら親衛隊隊長除名』とも言ったな」
笑顔のまま言葉を吐き出す岩片。
何気なく発せられた一言に部屋の中の温度が下がった。
忘れていた、わけではない。元々それが目的だった。分かっていたけど、こうして今この状況でそのルールを改めてぶつけられると違う感情が込み上げてくる。そのこと自体にも自分で動揺した。
「……そう、だな。覚えてるよ」
なんで、そんなことを言い出すんだ。
じっとりと全身に汗が滲む。熱だけのせいではないはずだ。体はアホみたいに熱いのに、頭の中は恐ろしいほど冷え切っていた。
「お前、もう親衛隊長辞めろ」
岩片の言葉に一瞬、あれだけうるさかった鼓動すらも遠くなる。
恐ろしいほど、岩片の態度はいつもと変わらなかった。
けれどその姿は最早霧がかったように見えない。何を言ってるかも理解できない。
理解したくなかった。……それ以上、聞きたくなかった。
「な、に言ってんだよ……いきなり……全然面白くねーんだけど」
「親衛隊長解任だって言ってるんだよ」
「ハジメ、耳悪くねえだろ。それとももっと近くで囁いてやらなきゃわかんねえのか?」茶化したように笑う岩片だが、俺はなんでこいつが笑ってるのか全く持って理解できなかった。
元々この関係に書類契約があるわけでもない。
岩片が気まぐれで俺を雇った。俺はそれを従うしかなかった。そういう約束だからだ。
つまり、岩片がそれを破棄すると言えばそこまでだ。
岩片が俺を不要だと考えたと同時にそこで何もかもが終わる。
「……っ、本気で言ってんのか? ……それ」
何も、考えられなかった。
真っ白になった頭の中、辛うじて出た言葉は自分でも笑えるくらい震えていた。
どうしていきなりとか、心当たりなんてありすぎる。俺が岩片に逆らったからだ。そんなこと分かってたくせに、予想してたくせに、それでも俺はまだ心の何処かで岩片を信じていたのかもしれない。
こいつなら俺を捨てないと。
だからこそ、余計、最後の砦を崩されたような衝撃を受けた。
「ああ、本気だ。もう俺の世話もしなくていいし俺のことなんて考えなくていい。好きにすりゃいいんだよ」
「なんだよ……それ……」
「お前さ、俺の親衛隊長になるって言ったときのこと覚えてるか?」
……忘れるはずもない。
自暴自棄になって退学処分受ける寸前、岩片により退学を撤回してもらったあの日。
――あんたと一緒に笑いたい。
そう、馬鹿みたいにストレートな言葉で口説いてきた岩片の言葉にヤケになってた俺の心は確かに揺さぶられた。
だからこそ余計、今になってそのことに触れてくる岩片に動揺する。
そこまで否定されたら、俺はなんのためにここまでやってきたのかわからなくなる。
やめてくれ、と心が軋む。これ以上、俺の思い出を壊されたくなかった。だから、俺は。
「――覚えてるわけないだろ、そんな大昔のこと」
存外、軽口は簡単に口から出るらしい。取ってつけたような笑みが溢れ、自分でも呆れた。何一つ笑えないのに、嘘つくときの習慣というのは染み付いてるものらしい。
岩片は、「そうだな」とぽつりと呟いた。
なんで忘れてんだよと嫌味の一つでも言ってくれれば良かった。罵倒してもいい。なのに、このときだけは素直に俺の言葉を受け止める岩片にムカついて、それと同時に、自分に嫌気を覚える。
「なら丁度いいだろ。もうおしまいだ。これからは俺の命令に気にしなくてもいい、好きにしろ。自分で決めていけ。……そうしたかったんだろ?ずっと」
「だから政岡に唆されたんだろ、お前は」否定の言葉も出なかった。違う、と喉先まで出かかったそれは固唾と一緒に飲み込んだ。
従わないどころか噛み付いてくる駄犬は要らない。そう言ってるのだろう。
先程、あれほど人を所有物のように扱って神楽に偉そうなことを言っていたとは思えない発言だ。
腹立った。正直死ぬほどムカついた。それ以上に、胸にポッカリと穴が空いたような喪失感に何も考えられなかった。
あれは、嘘だったのか。大見得切って生徒会を挑発しただけなのか。
「……おい、ハジメ?」
「……っ、触るな……」
「何……泣いてるのか?」
「泣くわけないだろ、寧ろ、呆れてるんだよ。あんなこと言っといて、今度は俺に勝手にしろって……無茶苦茶だよ、お前」
「あんなこと? あぁ、神楽のやつに言ったことか」
「誰にも渡さないだとか言っておいて、なんだよそれ」
「ああ、お前を手放す気はねえよ」
「はあ?! いい加減にしろよ、お前、人をおちょくるのも大概に……」
『親衛隊長解任してやる、自由になれるだろ?喜べよ』とか言い出したかと思えば今度は『手放す気はねえ』発言。
流石の俺もこいつの勝手さにキレそうになる。
大概にしろ、そう思わず岩片に掴みかかりそうになったときだった。岩片は小さく吹き出す。
「何笑って……」
「いや、お前がそんなに怒るのって初めて会ったとき以来だよなって思って」
ギクリと全身が強張った。
レンズ越し、やつの目が細められる。視線がぶつかり合ったとき、やり場を失った固めた拳を握り締められた。
なよなよとした見た目とは裏腹に硬い指先が手の甲を撫でる。
「岩片」話を反らすな、と睨み返せば、岩片は仕方ないなとでもいうかのように肩を竦めてみせた。
そして、すっと細められる目。先程までとは違う、爬虫類に類似したその冷たく絡みついてくる目にぞくりと背筋が震える。形のいい紅い唇はゆっくりと開かれる。
「俺がお前を惚れさせる」
「お前はもう親衛隊長でもなんでもない、俺は『尾張元』……お前個人をお前の意思で俺を選ばせてやる。……そう言ってんだ」笑いなんて一つもない。捕食者の目をした岩片に、今度こそ俺は言葉を失った。いつもなら今度はなにを言い出すんだこの男はと呆れて笑っていたかもしれない。なのに何故だが全く笑えなかった。
捨てられた不安で冷え切っていた心が、痛くなるほど張り詰める。笑え、笑えよ。馬鹿なことを言うなと。自惚れるなこのナルシスト野郎と。
言いたいのに、言い返してやりたいのに、熱で侵された頭では何も考えることができなかった。
親衛隊長である俺と親衛対象である岩片、その契約が終わった日。
ラブゲームと呼ぶにはお粗末なこの歪でエゴに満ちた悪趣味なお遊びに、狡猾老獪百戦錬磨のプレイヤーが参戦することになるなんて誰が予想しただろうか。
悲しむ暇も落ち込む暇もなく、俺の気持ちなんて全部知ったこっちゃないと言わんばかりに事は動き出す。
最悪な展開へと、どんどん深みに嵌っていく。
最後の頼りは潰えた。そう、俺が潰したのだ。
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