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03
「……なんだよ、それ……」
政岡の目の色が変わる。
滲み出るそれは怒りだ。なんでこいつが怒ってるのかわからなかった。政岡は、岩片の言いなりになるのをやめろとあれほど言ってたのに。
なんでそんなに怒るのか、寧ろ喜ぶところじゃないのか。
「……何、怒ってんだよ。清々するところだろ、ここ。お前岩片のこと嫌ってたし……あんだけ心配してくれたもんな」
「……っ、……」
「……これからお前と遊びに行くのだってあいつの許可いらねーんだよ。そう考えたら面倒臭いのなくなっていいだろ。……なあ?」
そうだ、もう、あいつのことなんて気にする必要ない。
政岡だって喜んでくれるだろう。そう思ったのに、こちらを見るその目は可哀想なものでも見るかのような色すらあって、なんで、どうしてそんな顔するんだと混乱する。
ずっとあいつの我儘に振り回されて、こんな辺鄙な学校まで連れて来られて、本当だったら退学になって適当に過ごそうとしてた俺の人生を狂わせた。
人の手を無理矢理引っ張ってきて、俺に役目を与えてくれた。
それが昨日、あいつのたった一言で終わったのだ。
……親衛隊長として捨てられたのだ。
「……っ、尾張……!」
なんで、どうして政岡に抱き締められてるのかわからなかった。
開いた扉から部屋に押し込められ、まるで慰めるように頭を撫でられ、俺よりもでかい男に抱き締められてその暑苦しさに堪えられずに「おい」とか「離せ」とか言おうとするのに声が出ない。
焼けるように目の奥が熱くなる。
「……っ、ま……さおか……」
やめてくれ、これ以上惨めにさせないでくれ。
「尾張……俺は何も見てねえ、見てねえから、だから……これ以上我慢しないでくれ……」
子供でも宥めるかのような似つかない優しい声に、唇が震える。
なんでこんな子供扱いをされなければならないのか理解できなかった。
けれど、大きな掌に背中を撫でられると波立っていた心が落ち着いていくようだった。
胸の中吹き荒れていた感情の熱が溢れ出し、そして引いていく。
どれくらいこうしていたのかわからない。
けれど、政岡は言葉通り俺の顔を見ることはなかった。ただ、何も言わずに俺を抱き締めていた。
次第に心が落ち着いていく。
あんだけ会いたくなかった政岡に抱き締められて落ち着くわけがない、そう思っていたのに実際はどうだ。
流れ込んでくる熱い体温、煙草と香水の匂いが混ざった匂い。そして。
「……落ち着いたか?」
心配そうに、それでも俺の顔は見ないようにして政岡は静かに問いかけてくる。耳元で問いかけてくるその声に、俺は小さく頷いた。
「…………悪い、みっともないところ……見せて」
政岡の顔も見れなかった。
幸い、玄関口の電気は消灯したままだったので相手の顔を直視せず済んだが……それでもいつまでも抱き締められてるわけにはいかなかった。
そっと胸を押し返せば、政岡は「いや……」と何かを言いかけながら、そして俺から手を離す。
「……俺の方こそ、悪かった。……一番ムカついてるのは、俺じゃなくてお前だよな」
「……」
ああ、そうだな。とあいつへの嫌味の一つや二つ言ってやろうと思うのに、まともに声が出なかった。笑えなかった。自分が今までどんな風に立ち振る舞ってきたのかわからなくなって、何も言えなくなる俺に政岡は何かを言いかけ……そして、俺の肩を掴んだ。
「……尾張、遊びに行くぞ」
それは、突拍子もない提案だった。
人の気分なんてお構いなしにそんなことを言い出す政岡に、今度は俺が驚かされる番だった。
「何……言ってんだよ、いきなり……」
「どこかスカッとできるとこ行こうぜ、お前が行きたいところまで連れて行ってやる。どこがいい? バッセン? カラオケ? それとも……」
「おい、ちょっと待て、勝手に決めんなよ。俺は行くなんて一言も……」
言ってない。そう顔を上げたとき、政岡と視線がガチ合う。そしてやつは笑い、尖った歯を覗かせた。
「……せっかくあのクソモジャ野郎直々にお達しがあったんだ。あいつが自分の行動後悔するまで楽しんでやろうぜ」
「お前にはその権利はあるはずだろ」政岡は当たり前のように言ってのけるのだ。俺には、言い切る政岡が眩しかった。他人事なのだからそう言い切れるのか、それともゲームがあるからか?そう色んな思考が脳裏を支配するが、そんなもの政岡の前では関係なかった。
強引で無茶苦茶、それでも俺の手を引っ張ってくれるその笑顔に数年前の記憶と目の前の政岡が重なる。
「……っ」
心臓が焼けるように熱くなる。
対照的でウマも合わない二人がダブって見えるなんて俺は相当重症なのかもしれない。自分で呆れ果て、俺は、つい笑ってしまう。
「おい、何笑ってるんだよ」
「……いや、スゲーなって思って。……流石、生徒会長に選ばれただけはあるよな」
「な、なんだよそれ……褒めてんのか?」
「……褒めてる、褒めてるよ。……アンタはスゲーよ。……俺には無理だ、そんな熱血みたいな真似……」
「何言ってんだ。……お前は十分やってたろ、あんなクソ野郎の側にずっといて……」
言い掛けて、政岡は言葉を飲む。しまった、と言いたげに咳払いして誤魔化す政岡。別にもう、変に気遣わなくていいのに。そう思ったが、そうさせるような態度をとってしまったのもまた俺自身だ。
「とにかく、俺はお前のそういうところ好……す……っ、すっげー……いい……っと、思ってた……けど……! ……アンタが我慢する必要はないんだろ。……なら、好きなだけ楽しもうぜ。アンタはずっと我慢してきたんだ、それくらい……バチ当たんねえよ」
不器用だけど、それでも真っ直ぐな政岡の言葉は素直なほどすとんと胸に落ちる。
本当にこいつは……これが全部計算だとしたら恐ろしい。
俺が欲しかった言葉も全部投げかけてくれるのだ、この男は。甘やかされていいことはない、分かってるはずなのに、この男の前ではどうしても調子が狂ってしまう。
「……」
「……お、尾張?」
「……ありがとな、政岡……悪い、気遣わせて」
「俺は、別に……気を遣ってなんか……」
だから余計、質が悪いのかもしれない。
ほんの一瞬でもこの男を勝たせれたら。そんなふうに考えてしまった自分を殴りたくなった。
ゲームがある手前、痛い目を見るのは分かってる。もう、他人に掻き回されるのは嫌だった。
「ありがとう、政岡。……もう、俺は大丈夫だから」
そう告げたとき、今度はちゃんとうまく笑えた。
うまく笑えたはずなのに、政岡の表情は強張った。
肩を掴む政岡の指先に力が入る。痛くはないが、俺を離そうとしないその指先に少し嫌な予感を覚えた。
「……尾張、俺は……っ」
何かを言おうとして、迷ったように目を泳がせる。
言い淀む政岡。やつがこんな風に弱気な態度を見せるのは珍しい。落ち込んでいるときとは違う、何かを躊躇うようなその動作に、先程とは違う胸のざわつきを感じた。
「政岡?」と呼びかけようとしたとき、尾張、と小さく名前を呼ばれる。
「……尾張、俺は……お前の負担になってるのか?」
「……え?」
「俺がこうしてお前に会いに来るのは、迷惑か?」
普段の不遜な態度からは考えられないほど、不安の色を色濃く出す政岡に内心動揺する。
政岡が負担になっている。
そんなこと言われれば、イエスと答えざるを得ない。
けれどソレは政岡に対するものだけではない、政岡を筆頭にした生徒会面々とのゲーム自体が俺にとっては甚だ迷惑というのは確かだ。
それに、負担云々抜けば、政岡には助けられた部分もある。
「……そ、れは……」
口籠る俺に、政岡は何かを察したのか。
眉間に寄せられた皺が更に深く刻まれる。悲しそうな、そんな表情に、あ、と思った。
政岡を傷つけた。それだけは確かに分かった。
「……俺は、尾張に無理してほしくない」
「尾張がもうあいつの言いなりになんなくていいってんなら……俺の役目は……」絞り出すようなその声。
やつが何を言おうとしているのか、その表情からして気取ることはできた。
けれど、それは俺にとって求めていたことのはずだ。それなのにどうしてだろうか、政岡の言葉、その態度に酷く胸が締め付けられる。
「まさ……」
政岡、そう名前を呼びかけた矢先だった。
重苦しい空気の中、ピーンポーンと気の抜けた音が部屋の中に響く。
「……」
「……」
来訪者に空気を読めとは言わないが、ここまで出鼻挫かれてしまうと何も言えなくなる。
俺と政岡は顔を見合わせる。政岡も政岡で深い溜息をついていた。
「……誰か来たみたいだな」
「……そうらしいな」
もしかしたら帰るかな、と思ったが政岡は帰るつもりはないらしい。それどころか。
「それより尾張、さっきの続きなんだが……」
来訪者を完全無視して切り出す政岡にまだ続けるのか?!と内心驚くのもつかの間、今度はドンドンと扉を叩き出す来訪者。
政岡も政岡だが、来訪者も来訪者らしい。
「しつけーな……」
苛ついたように吐き捨てる政岡は扉を蹴り返そうとして、慌てて止める。もし面倒な相手だったらどうするつもりなのか。
「政岡、ちょっと俺出るから……奥で待っててくれ」
「でも」
「すぐ終わらせるから」
な?と言い聞かせるように肩を叩けば、政岡は少しだけ照れたように「分かった」と頷いた。
こういうとき素直だからつい忘れがちなんだが……政岡の性格も大概短気だったな。
とにかくこいつは下がらせてた方が良いだろう。そう判断した俺は政岡が部屋の奥へ引っ込むのを確認して、扉を開いた。
「……はーい」
「おや、本当に具合悪そうですね」
「……」
そっと扉を閉める。そう、全部気のせいだ。まさか具合悪いときに見たくない男ナンバーワンがいるはずがない。そうだ、全部幻覚だ。
さあ政岡のところに戻るかとしたところ、ぎりぎり靴先を扉の隙間に捩じ込んでやがったこの男。
力技で扉を抉じ開けられ、扉ごと引きずり出される俺。逃げようかとしたが一歩遅かった。がしっと掴まれた手首に、見たくない清涼感溢れる笑顔。
「……確かに先日は無礼を働いてしまいましたがあんまりじゃないですか? 流石の私も心が折れてしまいそうですよ」
「アンタは一回折れた方が丁度いいんじゃないか」
「おや……またそんなことを言って。そんな太さじゃ貴方は満足できないんじゃないですか」
ぶん殴りそうになったのを寸でのところで堪えた俺を褒めてほしい。どの面下げてやってきたのは生徒会副会長様、もとい確実に俺の体調不良の原因1である能義有人だ。
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