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06

「なに、すんだよ……っ」  とにかくこいつを黙らせなければ。  慌てて唇を拭い、咄嗟に神楽を引き離そうとした矢先だった。  それよりも先に、神楽は俺から離れた。というよりも、避けたと言った方が適切か。  吹っ飛んできた政岡の拳を避けるように後退した神楽は「あっぶねー」とけらけら笑う。 「今会長本気で殴りに来たでしょ……って、おわっ! 危ないな~……随分と荒れてんね」  誰のせいだと思ってんのか。  足取りは不安定なものの、猫のように政岡から逃げる神楽は俺の背後へと隠れた。 「神楽……テメェ自分が何やってんのか分かってんのか?」 「……何ってぇ? もしかしてそれ、元君にちゅーしたこと言ってるの?」 「……ッ!」 「でもさぁ、それをかいちょーが怒るのって変じゃない? かいちょーは元君の彼氏じゃないんだからさぁ」 「ねー元君」と首を傾げ、同意を求めてくる神楽。  一理あるが、今このタイミングで政岡にいうかと言う気持ちの方が大きかった。 「……第一、お前だって俺のなんでもないだろ」 「ええ~? 元君冷たくない? もしかして照れてるのぉ?」  そう、背後からするりと伸びてきた手に頬を撫でられ全身にサブイボが立つ。  抱き締めるように耳元に唇を寄せてくる神楽にぎょっとするのも束の間。 「かいちょーのこと、諦めさせたいんなら俺の言うとおりにしてみてよ」  政岡には聞こえない程の声で甘く囁いてくる神楽。  どういう意味だと顔を上げれば、神楽はウインクしてみせた。 「……かいちょーさぁ、最近元君にまじすぎじゃない? ……そんなのかいちょーらしくないってか、正直元君もドン引きだからねぇ? もっとフランクに楽しもうよ~」 「ねえ? 元君」と舌足らずな猫なで声で尋ねられる。  そんなこと、思ったことはないといえば嘘になる。   けれど、ドン引き……というよりは、その真摯さがあまりにも真っ直ぐすぎて俺には眩しくて仕方なかった。  言葉に詰まる。探るが、うまい言葉が出てこなくて。 「っ、尾張……そうなのか? ……神楽の言うとおりなのか?」  ショック受けたような政岡の顔が視界に入り、息を飲んだ。  そうじゃない。そう言えば、実質それは政岡を受け入れることと同意義である。それは早計すぎる。  そもそも俺は、政岡の心配をしてる場合なのか。  思考がこんがらがる。唇が、体がやけに熱くて、熱が上昇しているのがわかった。 「……俺のことを心配するんなら、ほっといてくれ」  それは、本音だった。政岡の気遣いは嬉しいが、政岡に優しくされるたびにそれを素直に喜べない自分が嫌になるのだ。  それが、ゲームのためだとしてもだ。  政岡の表情が凍りつく。それを見ることができなくて、俺は視線を落とした。 「うひゃあ、元君ってば過激~~」  そう、他人事のように笑う神楽の手を振り払う。 「言っておくけど、神楽お前もだからな。今あんたらに付き合ってられるほど余裕ねーんだよ」  これは本心だ。  それに俺にはこれに真剣に興じる理由もなくなった。  だからとはいえ、割り切ってこんな不純なゲームを楽しむ気持ちにもなれない。 「ちょっと、元君それはないでしょ~」  面倒になって、その場を離れようとしたところを神楽に掴まれ止められる。  簡単には逃してもらえないとは思ってたものの、厄介だな。思いながら振り返ったとき。  神楽の肩を掴む政岡と目があった。 「痛たた! ちょっと、関節外れちゃいそうなんですけど~!」 「……帰るぞ」 「えぇ?! 何? やっぱり妬いて……」 「いいから帰るぞ!」  そう、ジタバタする神楽の後ろ髪を掴んだ政岡はそれを手綱のようにして神楽を引っ張っていく。  こちらを見ようともしなかった政岡に違和感を覚えた。  確かにキツイことを言ったけど、それでも、相手が政岡だからだろうか。心の奥がざわつく。 「っ、……」  政岡、と呼び止めようとして、言葉を飲む。  呼び止めて、それでなんと言えばいいのかわからなかったのだ。  無言で何も言えずにいる俺に、政岡は足を止め、こちらに背を向けたまま口にした。 「……今まで悪かった」  そうたった一言だった。  今まで聞いたことのないような感情を押し殺したようなその声、言葉に俺は、とうとう最後までなにも言い返すことができなかった。  最初から後悔するなら言うなよ。自分で自分を叱咤したところで、一度口から出た言葉を撤回することは難しいことは理解していた。 「……はぁ」  気分は沈むばかりだ。  ――政岡を傷つけてしまった。  いつかは必ずきちんと言わなければならないときがあるとわかっていたが、こんな形で突き放すつもりはなかった。  自己嫌悪の波に襲われる。  部屋に籠もっていると余計気が沈みそうだった。けれど、今は一人になりたかった。  部屋の中、ベッドに包まり俺は一人ぼんやりとしていた。  ……政岡。あいつの傷ついた顔が頭から離れない。  忘れようとしても瞼裏にこびりついてるのだ。あのときの傷ついた声も、しっかりと鼓膜に染み付いてる。  ごめんなさいっていうのも、変な話だ。  良かったんだ、これで。これで政岡がゲームから手を引いてくれりゃそれでいい。そう思うのに、浮かぶのは政岡の真剣な目だ。  あいつは、きっかけがどうであれ俺のことを心配してくれていた。そりゃもうお節介なまでにだ。  物好きなやつだ、本当。……俺なんか放っておけばいいのに。  猪突猛進で、不器用なくらい変なところで真っ直ぐで……。  何度めかのため息とともに俺は布団から顔を出した。  神楽にキスされた感触までも思い出してしまい、慌てて拭う。  こんなことになったのも、全部あいつの……岩片のせいだ。あいつに抱かれたせいで、全てが狂いだした。 「……ックソ……」  やっぱりこう閉じこもってるのは性に合わない。余計なことばっか思い出しやがる。  熱の籠もった服の中、布団を蹴飛ばし、体を起こした。  このままふて寝してサボってやろうと思ったが、俺を休ませてやる気もないらしい。  けれど、かと言って大人しく教室に向かう気もなかった。  気分転換に顔を洗った俺は、熱っぽい体を動かして部屋を出た。  飯にでも食いに行こうと思った。生活リズムが狂った生徒たちがわんさかいるこの学園の売店は大体開いている。  うっしゃ、なんかバーガーでも買おう。なけりゃ、なんか腹の足しになるもんでも食べて……それから……。  …………それから。  ……なんも、やることねえなぁ……。  俺は岩片に出会う前どうやって時間を潰していたのだろうか。わからない。けれど、きっとくだらないことをしてたに違いない。記憶に残らないくらいだからな。……自分で言ってて悲しくなってきた。  悔しいけど、あいつに出会ってからの記憶の方が強すぎて昔のことが思い出せないのも事実だ。  しんみりしそうになる自分の頬を叩く。  しっかりしろ、俺。  パン、と乾いた音ともにヒリヒリとした痛みが頬に走る。痛え。  これでいい、これでいいんだ。そう自分に言い聞かせ、部屋を出た。  そして、そのまま周りをなるべく気にしないようにしながら売店へと向かう。

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