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08
俺は一体何をしてるのだろうか。五十嵐と飯を食う日が来るなんて思いもしなかった。
飯っつっても購買のパンを適当なベンチに座って食ってるだけだけど。
……旨いんだろうけど、まじで味わかんねえし。
「お前、岩片凪沙とは何かあったのか」
やぶから棒に聞いてくる五十嵐に、俺は飲みかけていたジュースを喉に詰まらせそうになる。
……そんな気はしていた。こいつがただ俺のことを心配して訪ねてくるような殊勝なやつなわけないか。
政岡と同じように岩片に何かを言われたのだろう。
何度目だ、この質問も。そろそろ気が滅入りそうになる。
「……どうしてそう思うんだよ」
「政岡が妙なことを言っていたのを聞いてな」
「どれのこと?」
「お前を落とすのは自分だとか吹いたらしいじゃねえか」
「…………」
ああ、そっちか。と思った。
五十嵐としては話が違うと文句を言いに来たのかもしれない。俺だって文句を言いたい内の一人の人間だ。
「どういうことなんだよ」と五十嵐に聞かれたところでそれはこっちのセリフなのだ。
「……面倒なことになったな」
「文句ならあいつに言ってくれ。俺はもうお役目御免らしいからな」
「なんだって?」
「…………そのままの意味だよ」
軽い調子で言いたかったのになんとなく言葉尻が落ち込んでしまうのはどうしょうもない。面白くもないのに笑えるほどの気力もない。
「っつっても、約束は守るつもりだから。……『ゲームを終わらせる』ってやつ。誰も勝たせねえから安心しろ、勝敗もつかなきゃゲームは破綻するんだろ?」
「お前にそれ、出来んのか?」
「出来るよ。……どういう意味だよ、それ」
「そのままだ。あいつに迫られてお前拒否できんのかよ」
当たり前のように聞いてくる五十嵐に、その言葉を理解した瞬間顔が熱くなる。恥ずかしいとか照れるとかそういうものではない。
俺があいつに迫られたらころっと傾きそう、と言われてるようで……いや、実際にこの男はそう言ってるのだろう。だからこそ余計ムカついて、怒りのあまりに顔が熱くなる。
「……っ、できるに……決まってんだろ。お前ら散々勘違いしてるけど俺が好きなのは女の子だから、いくら岩片でもベクトルがちげーだろ」
「お前あいつに抱かれたんだろ」
「……ッは?」
「有人に聞いた」
さらりと口に出すその言葉に、目の前が真っ赤になる。
あのド変態チンポ野郎。
怒りのあまりに五十嵐に殴りかかりそうになるが、体が岩のようになって動けなかった。声も出なかった。
その俺の反応が、暗にその事実を認めてるものと判断したのだろう。五十嵐は「別に誰にも言わねえよ」と付け加える。
「寧ろ、初めてってのが驚いたんだけどな。……お前ら付き合ってなかったのか」
「そんなわけないだろ!」
「声がでけえな、聞かれるぞ」
「……ッ、そんなわけ…………あるわけないだろ……!」
「そうか? お前がそのつもりでも、向こうは違うかもしれないだろ」
「前々からあいつのお前に対する執着は普通じゃねえとは思ってたがな」と対して興味なさそうに続ける五十嵐に、俺はやり場のない怒りに震えていた。
これならまだ尻軽だとか言われてた方がましだ。
「……なんだよ、何が言いたいんだよ」
「お前は岩片凪沙のことが本当に好きじゃないのか?」
「……あんなやつ、もうどうでもいいんだよ」
拗ねた子供じみた言葉しか出すことができない。
そう言ったっきり何も言えなくなる俺に、やっぱり何考えてんのかわかんねえ顔で五十嵐は「そうか」と頷いた。
「お前がそのつもりでも、お前は案外流されやすいところがあるからな」
「ねえよ。……流されるかよ、こんな……」
「いやこれだけは断言できる。お前このままじゃ負けるぞ」
「岩片凪沙に落ちるだろうな」と冷静に口にする五十嵐に、今度こそ俺は顔が熱くなるのを感じた。
そんなわけ無いだろ、誰があんなやつ。適当に言うのもいい加減にしろ。
言いたいことは山ほどあったが、五十嵐の真剣な目で睨まれ、その先の言葉を口にすることは忍ばれた。
「……あの男もかなりの負けず嫌いだとは思ってたが、こんな形で負けず嫌いを発揮させてくるとは思わなかった」
「……五十嵐は、あいつが勝っていいと思ってんのかよ」
「勘違いするなよ。俺は別に応援してるつもりはない。ただ、約束が違う。……本来ならすぐにでも辞めさせたいが、あの男のことだ、一筋縄では行かないだろう」
「だから、お前に会いに来た」悪びれた様子もなくただ静かに言い放つ五十嵐に、俺は少しだけ目を反らした。
俺はお前の顔は見たくなかったが、そこで俺に話をつけに来たのは優秀だ。ああ、迷惑でもあるが最善の選択とも言えるだろう。あのどこかの色ボケモジャメガネは話が通じねえからな。
「俺に会いに来た……って言われてもなぁ、意味ないと思うけど」
「お前……馬鹿か?」
どうやらこいつは優しくするつもりもないらしい。
それも思いっきり呆れたような顔してそんなことを吐き出す五十嵐に俺は内心ムッとするが、それも束の間。腹に溜まった空気を吐き出すように溜息をつく五十嵐になんだか本当に自分が馬鹿みたいに思えてくるのだ。不思議だ。
「人が凹んでんのに馬鹿馬鹿言ってんじゃねーよ」
「馬鹿なやつとは思ってたがここまで来るとあいつに同情するな」
「このやろ……」
「あいつと喧嘩したのか知らねえけど、岩片みたいなやつがどうでもいいやつにここまですると思うか、普通」
「…………するだろ、あいつなら」
「…………しそうだな」
お前も自信なくなってんじゃねえ。
五十嵐は岩片は少なからず俺に情があり、独占欲もあり、それがあってあんなこと言ったんじゃねえのかなんて言う。
五十嵐はあいつのこと何も知らないから冷血漢岩片に対して情だの云々言えるのだ。
あいつにそんな人の心があるってんならそこらへんの凶悪犯罪者だっていいやつだ。
「とにかく、お前には協力してもらうぞ」
「協力って……別に心配しなくてもゲームを成立させる気はねえって……」
言ってるだろ。と、いい加減にしつこい五十嵐に反論しようとベンチから腰を上げたのと伸びてきた手にネクタイを掴まれたのはほぼ同時だった。
「っ、お、い」
「……あと1センチ」
「な、にがだよ……つーか近い……!」
「キスできる距離。……俺が止めなかったら普通にキスできるぞ、これ」
「……っ」
完全に誂われてる。
笑いもせずそんなことを至近距離で口にするやつに、覗き込んでくる目に、息が詰まりそうになる。
同時にムカついてきて、俺は咄嗟にネクタイを掴む五十嵐の腕を引き剥がす。
……今度はあっさり離れた。
「今のは……不可抗力だろ。どうしようもねえよ」
「隙があり過ぎだって言ってんだよ。俺に何されたかも忘れたのかよ」
「……ッ、お前……」
当たり前のように掘り返され、顔が熱くなる。人が必死に押し殺し、なかったことにしようとしていた部分を遠慮なしに踏み込んでくる五十嵐に構えれば、「それでいい」なんてやつは頷くのだ。
何様だよ、本当にこいつは。
「とにかく、あまり一人でチョロチョロすんじゃねえ。それと、岩片と仲直りしろ」
「何言い出すんだよ、急に」
「急ではないだろ。……今この状態は面倒だって言ってんだ。不安分子は早々に芽を摘むに越したことはない。あいつを野放しにしておいていいことはないからな」
「仲直りって、別に喧嘩したわけじゃ……」
……いや、喧嘩なのか。違うな、喧嘩で済めばよかったんだ。確かに俺が売ったのは喧嘩だったが、少なくともあんな展開は望んでなかった。
「ゴネるな。お前が言ったんだからな、俺に協力すると」
「……正確には岩片だろ」
「岩片凪沙があの調子だ。なら誰が約束を果たすんだ?」
「って、なんだよそれ……………………俺?」
「それが嫌ならさっさとあいつの頭を冷やしてやれ。…………それと、お前もな」
五十嵐はそれだけを言い残し、そのままどっか行く。
本当に自分勝手というか、強引というか、人の話聞かねえやつというか。
その背中に文句の一つや二つ投げかけてやりたかったが、飯を口に含んでいた俺は結局何も言い返せず無言でその背中を睨んでた。
岩片と仲直りって言われても、無理だろ。
散々人の気持ちがわからないだとか言われてきた俺だけど、それだけは確かにわかる。
……少なくとも、俺はあいつと今まで通りでいるのなんて無理だ。
それは違いない。
食べカスをゴミ箱に投げ入れ、俺はベンチの背もたれに思いっきり凭れ掛かる。
何時限目かのチャイムが聞こえてくる。どっかの窓が割れる音ともに騒がしい声も聞こえてきた。また馬鹿が馬鹿騒ぎしてるのだろう。喧騒を聞きながら、なんだか俺は自分の居場所を失ったような感覚になりながら少しだけぼんやりしていた。
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