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「おい、岩片……っ!」
いきなり引っ張られ、連れ出される。
人を解放したかと思った途端これだ。何が好きにしろ、だ。無茶苦茶なのも自分勝手なのもなんら変わらない。
「ッ、お……」
おい、と岩片を止めようと思いっきり踏ん張ったときだった。こちら振り返る岩片と目が合い、一瞬、言葉を飲んだ。
そして、伸びてきた手は俺の道を塞ぐように壁に叩きつけられる。ドン、と鈍い音が響き、反射で身構えた。
すぐ目の前には岩片がいる。
相変わらずの珍妙な格好だが、その口元にいつもの笑みはない。
「――首輪外してやりゃこれか。……お転婆にも程があるだろ。それとも、欲求不満だったか?」
「あれから構ってやれなかったもんな」と皮肉を込められ、顔が引き攣る。
五十嵐、岡部、お前らは仲直りをしろなんて言っていたが……わかるか?こいつはこういうやつなんだ、仲直りもクソもない。
ムカつきのあまり一発殴ってやりたかったが、ぐっと堪えた。この男を相手にするとき真に受けては相手のペースだ。必死に怒りを抑え、平常心を装う。
「勝手なことばっか言って……俺は、お前を探してたんだよ」
「ふうん、やっぱり一人は寂しかったか?俺がいないと、物足りないとか」
いつもの軽口だと分かってるのに、なんでだ。
普段なら流せるのに、今はその岩片の軽口すらも傷口を抉るように動揺してしまう。
そんなわけがないと笑ってやれ、お前が居なくて清々すると。思うのに、上手く笑えない。
人の気持ちも知らないで、この男は。
「……迷惑なんだよ、お前が余計なことするせいで他の連中からごちゃごちゃ言われるのは全部俺だし。……なんで俺がお前の尻拭いしなきゃなんねーんだよ。お前のせいだよ、全部」
言い終わって、ああ、と思った。
溢れ出す言葉を止めることも出来なくて、それでもあとになって血の気が引いた。
こんな言い方するつもりじゃなかった。もっと、笑って流したかったのに、無理だ。
「……だから、もう放っておいてくれ」
失望されるならそれでいい、今更こいつのご機嫌取りなんてしたくない。なんと言おうがこの気持ちはもうどうしょうもない。
そう、思ってたのに。
「嘘だな」
岩片渚沙は、恥を忍んだ俺の願いをそう、たった一言で切り捨てる。
「は?」と言う声も出なかった。
いきなり伸びてきた手に顎を掴まれ、無理矢理顔を上げさせられる。至近距離、分厚いレンズの向こう、細められたやつの目と視線がぶつかった瞬間鼓動が跳ね上がった。
「俺の性格分かってるんだろ、ハジメ。どうすれば俺が飽きるのか分かってるくせに、なあ、……なんでわざわざ煽りに来たんだ?」
「ただそれを言うためだけにきたのか、お前は。わざわざ色んな奴らから俺の居場所を聞いて」なあ、ハジメ。そう絡みつくような声で名前を呼ばれ、背筋がぞくりと震えた。
今まではこんなことはなかったはずなのに。心の裏側まで見透かされるような視線に耐えられず、俺は岩片の手を振り払おうとする。
「っ、離せ……っ、おい」
「本当、脳味噌まで可愛いやつだな」
「……っ、な」
にを、と言いかけた瞬間、視界が陰に覆われる。鼻先がぶつかりそうなほど近づく岩片の顔に全身が硬直し、思わずぎゅっと目を瞑ったとき。
閉じた視界の向こうで、岩片が笑う気配がした。
「なあにかわいい顔してキス待ちしてんだ? 本当に嫌なら唯一の取り柄のこの腕で自力で振り払えよ」
「っ、この……!!」
鼻で笑う岩片に、頭に血が昇る。目を開き、ぶん殴ってやろうと固めて拳を抑え込まれた。相変わらず細っこい腕からは信じられないほどの馬鹿力。
この野郎、と片方の手でやつの胸倉を掴むよりも先に、唇を重ねられる。
柔らかく暖かいその唇の感触に、頭の中が真っ白になった。
「や、め……っ、ん、このっ、……ん、むぅ……っ!」
唇から逃れようと顔を逸らそうとする都度、無理矢理重ねられる。眼鏡が当たるのも関係なしに、執拗にキスをしてくるこの男が恨めしくて、なけなしの力を振り絞って俺はやつの腹を蹴り上げる。
しかし、当たるよりも先に避けられた。
「い、わかた……ッ」
「……ハジメ、お前が俺を探しに来てたのは寂しかったからだろ。構ってほしかったんだ、お前は。俺に」
「んなわけ……」
「ないわけねえよな。俺に本当に辞めさせたいんなら無視するだろ、手応えねえやつほどつまんねえものはねーんだから」
「知ってるだろ、俺は追われるのが好きだって。知ってて、わざとやってんだろ?お前」岩片は無茶苦茶なやつだって、とにかく威圧してペース乱して自分の言いように言い包めるのが得意なやつだ、ムキになったら終わりだとわかってるのに。
その指摘に図星を指されたみたいにギクリとして、顔が、耳までもが熱くなる。
「自惚れんな、この……」
「……この、なんだ?」
怒ったところでこいつは「ほら、やっぱりそうだろ」と手を叩いて喜ぶだけだ。
それならば、とぐっと堪え、言葉を飲む。
「分かんねえか、ハジメには。……そういう反応が堪らなくなるんだよ」
言葉に詰まる俺に、岩片は頭の湧いたようなことを言い出す。触れる指先を払い除け、俺は、岩片を睨みつけた。
「……岡部や、五十嵐にお前と仲直りするようにって言われたけど……やっぱ無理だな、離れて分かったけどお前は本当にろくでなしだ」
「どの辺りが?」
「散々言わせておいてまだ言わせようとするそういうところだよ」
そう言い返してやれば、岩片は、ハッと鼻を鳴らして笑う。
「それはこっちのセリフだ、ハジメ。……目を離せばフラフラフラフラ、まともに大人しくも出来ねえ。オマケになんだ、俺が居なけりゃ自分の身も守れねえのか。……それとも、元々がソレか?俺が邪魔してたのか?」
「……どういう意味だよ」
「俺以外のやつに抱かれて気持ちよかったか、って聞いてんだよ」
息を、飲んだ。
一瞬、その言葉の意味を理解することを脳が拒否した。いつもと変わらない口調、いつもと変わらない笑み、それなのに、こちらを見るその目には得体の知れないドス黒いものが滲んでいた。
岩片に、知られていた。
その事実を頭が理解した瞬間、足場が崩れていくような錯覚に、目眩を覚える。いっそ、ここで意識を飛ばしていた方がましだとすら思えた。
平常心。顔に出すな。悟られるな。しらばっくれろ。
そんなわけないと、堂々としてろ。
焼けるように顔が、喉が熱くなる。
笑って誤魔化そうとするのに、表情筋は石になったみたいに固まって動こうとしない。
こいつは知ってて、俺のことを滑稽なやつだとわかってて何も言わなかったのか。
「……っ、離せ……岩片……っ」
「質問に答えろ、ハジメ」
名前を呼ばれると身体が反応する。
勝手に動きなりそうになる唇を噛み、俺は岩片を睨んだ。
「あぁ……そうだよ、お前の言う通りだよ。全部」
「お前に抱かれるよりも何千倍も最ッ高だったわ」口にしてから自分はなぜこんな子供じみた意地を張ってるのかと呆れた。けれど、死んでもこいつには言いたくなかった。
お前に抱かれた方がマシだったとか、本当は助けに来てくれると思ってたとか、そんなことだけは絶対に。
岩片の目が細められる、ああ、今度こそ怒っただろうか。
見限られるかもしれない。それでいい、もうこれ以上掻き乱されるくらいならいっそのこと放ってほしかった。
なのに、こいつは。
「……なら、なんでもっと嬉しそうな面できねえんだよ。良かったんだろ?俺よりも、何千倍も」
自分が口に出した言葉を岩片になぞられるとそれだけで胸に突き刺さる。苦しくて、恥ずかしくて、今自分がどんな顔をしてるのかなんて考えたくもなかった。
なのに、岩片は俺から目を逸らさない。俺が目を逸らすことも許さない。
喉がひりつく。胸がジリジリと焼かれるような感覚が気持ち悪くて、嫌だった。
嬉しそうな顔なんてできるわけないだろ。そんくらい俺の性格わかってるくせに、なんでそんなことばかり言うんだ。
悔しいし腹立つけど、言葉が出なかった。罵倒してやりたいのに、口を開けば開くほど、虚勢張れば張るほど岩片に剥がされていくようで、怖かった。
本心を悟られたくない。気付かれたくない。
それなのに、こいつは黙る俺を責めるわけでもなく、抱き締めてくるのだ。
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