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A

「ねえ、アカネくん。これから僕がいうことは自己満足で自分勝手な話なんだけど…」 「前置きとかいいよ。時間なんてたっぷりあるし聞くからさ」  アカネくんは再びポケットにタバコをしまった。出番を失ったライターを指先で弄ぶ。  アカネくんは聞くと言い切った。ここまで来たらもう後戻りはできない。話を遮られようが嫌われようが、続けるしかない。あの時伝えればよかったと、止めるべきだと後悔するくらいなら嫌われる方を選ぶ。 「確かにアカネくんは、馬鹿だよ。人に恨まれるようなことして無事に過ごせるわけないじゃん。今すぐじゃなかったとしても、きっと誰かに取り返しがつかないほど傷つけられると思う。…人を脅すってそういうことだよ」 「いつか俺が誰かにぶっ殺されるってこと?」  僕は尻込みしたが結局頷いた。 「確かに君の相手した人にも非があったかもしれないよ。でも、牧原が君について話してるのを聞いてからそう思った。現に僕たち殴られたしね。  ……それに僕は、これ以上アカネくんがそうやって傷付くところを見たくない。アカネくんがいつか居なくなるんじゃないかってすごく不安になるから。怖いんだよ」  そうだった。僕は、アカネくんが自分の隣からいなくなってしまうことが一番怖かったのだ。だからさっきは泣いてしまったし、こうやって自分の思いをぶつけることを恐れていたのだ。  黙って聞いていたアカネくんがいきなり僕の肩を掴んだ。少し震えていた。それが僕の体なのか、アカネくんの腕だったのかは分からない。彼はかすれた声で言った。 「俺が死んで倉井くんの目の前から消えるのが嫌ってことか?何で倉井くんはそんなに俺を心配するの?俺なんかを…」  最後の方はほとんど叫び声だった。冷たい風に掻き消されそうなほど、小さなものだった。 「だって僕は…」  涙が溢れてきた。声が震えて、喉が腫れてきた。胸に何かが迫り上がるのを感じた。それでも僕は鼻をすすりながら言葉を続けた。 「アカネくんのことが好きだからだよ。だから僕はアカネくんから離れたくない。これ以上傷ついて欲しくない」 「好き…。そんな大事な言葉、俺に向けていいの?俺はそんな感情を向けられるような奴じゃ…」  アカネくんの指からライターが落ちた。それを気にする様子もなく、必死に涙を拭う。 「倉井くんが俺といると、敵が増えるだろ。今日みたいなことがこれからたくさん起こるよ。だからやめときなって…」 「それでもいい。怖くなんかない。僕はアカネくんと一緒に過ごしたい。君さえ良ければ、隣にいたい」  僕の言葉に、アカネくんは何度も頷いた。小さな子供みたいにうんうん唸って。 「俺も倉井くんと一緒がいい。本当はずっとそう思ってた」  ♢  田圃道が終わり、見慣れた住宅街に差し掛かる。僕たちは青い自動販売機の横で座り込んだ。そこだけ闇の寄り付かない場所だったのだ。買ったばかりの缶コーヒーで手の平を温めながら、意味もなく空を見上げた。今日は月が綺麗だった。 「倉井くんは凄いよ。自分が思っていたことを怖がらずに伝えたから。最初に自分勝手な警告だって言ってたけどそれでも良かった。ああやって俺を止めようとしたのは倉井くんが初めてだった」  自販機の唸り声がちょうど良かった。完全に無音な環境だったら、恥ずかしくて彼の顔が見られなかったから。人前であそこまで泣いたのは初めてだった。 「僕も最初、嫌われるのが怖くて言うのやめようかと思ってた。月が綺麗だとか言ってはぐらかすつもりだったから、勇気なんてあまり持ってないよ」 「それでもちゃんと言ったじゃん。  ……俺、正直今まで誰が隣に居ようがどうでも良かったんだよね。暇と寂しささえ埋められるならどんな奴でもよかった。でもね」  言葉を切って、アカネくんは僕の手を握った。先程まで握っていた缶コーヒーの名残か、温かかった。 「初めて、この人じゃなきゃ嫌だと思った。隣にいるのが倉井くんが良いと思った。だから俺、決めた。俺が早死にしそうなことは金輪際やめにする。自分がやったことに向き合ってケリつけるよ」  そう言ってアカネくんはポケットから取り出した煙草の箱とライターをゴミ箱に捨てた。 「倉井くんは、初めて俺に好きだと言ってくれた人だ。だから俺は倉井くんのためにやれることをやる。…でも俺が前に進めるようになるまで、時間がかかるかもしれない。それでも待ってくれる?」 「当たり前だよ。ずっと待つし、なんなら助けるよ」  僕も立ち上がった。アカネくんの両手を握る。既に冷え始めていた。真横に自販機があるせいか、少し眩しかった。 「俺も言葉で伝えないとな」  そう言ってアカネくんは僕の耳元で、囁いた。 「俺も好きだよ」  これからは誤魔化したりしないから、なんてアカネくんは笑ったけど、僕は熱くなった耳を冷やすのに必死だった。  ♢  窓の外では色の付いた葉が雨のように散り落ちていた。影絵のようになった街並みの背景は紺と黄色のグラデーション。  すっかり日が落ちてしまったので、僕は電気をつけるために席を立った。スイッチを押すと、後頭部に何かが当たった。振り向くと、床に何かが落ちている。真っ新なルーズリーフで作った紙飛行機だった。 「もう、勿体ないことして」 「ごめーん。再利用するから怒らないでよ」  窓際の席にアカネくんが悪戯っぽい表情を浮かべて座っていた。教室は二人で使おうとすると広すぎる。でも僕はこんな風にがらんどうになった部屋で過ごすのは好きだった。  あの日を境に、アカネくんと僕は放課後になると一緒に勉強するようになった。 「俺も倉井くんと同じ大学受ける」と言い切ったのだ。  そんな風に進路を決めて良いのかと心配になったが彼曰く、このまま夢もなく過ごしていたら学校を中退して適当な奴のヒモになるつもりだったと、怖いことを平然と言い放つものだから、僕は引きつった笑いを浮かべるしかなかった。ああ、それが現実にならなくて良かったと安堵した。  そして、今まで学校を休むことが多かったアカネくんが毎日欠かさず僕と勉強するようになったのだ。 「将来の夢とか目標があるってこんな感じなんだな。初めて分かったかも」  アカネくんが微笑みながら呟いた。もう、以前のように苦い香りが彼からすることはない。それに、アカネくんを睨むような視線や飛び交っていた噂が以前より減ったような気がした。  前に進む。彼はその最中なのだろう。  僕は頷きながら、思わず身震いをした。冬はもう間近。そんな時期の教室はかなり冷える。そろそろ新しい自習室を見つけないと。 「もう寒くなってきたね」 「教室はそろそろ限界か。使える時間も決まってるしな。…そうだ」  アカネくんは眼をきらりと光らせた。 「思いついた。明日からは俺の部屋を使おう。あそこなら暖かいし」 「いいね。でも毎日って、迷惑にならない?」 「母さんは俺が家に人呼ぶの大歓迎って感じだけど、確かに毎日は悪いかも…」 「じゃあ僕の部屋も使おうか。勉強って言ったらオッケーもらえるよ」  明日からの勉強プランが決まったということもあって、これ以上勉強する空気では無くなった。テキストを開いてもやる気にならなかったので僕はノートの端に落書きをしていた。向かいのアカネくんも何か描いている。コッソリ覗き込んだ僕は思わずのけぞった。 「も、もしかしてその絵…」 「流石。気付くのが早い」  ノートを僕に見せた。そこには僕たちの好きな漫画のキャラクターが描かれていた。 「これ、アカネくんが描いたの?」 「そうそう。俺も結構こういうの好きなのよ」  アカネくんは絵が上手だった。 「まだ君について知らないこと沢山あるんだろうね。絵を描くの好きだったんだ」 「俺だって倉井くんが勉強教えるの上手なの知らなかった。先生みたいだよな」  笑い声が教室に響く。  まだ僕らは知り合ったばかり。お互いに知らないことが多い。教えてない秘密もたくさんあるだろう。それでもいい。ゆっくりと時間をかけて鍵を開けていけばいいから。  アカネくんと言葉を交わしていることが幸せだ。隣でこうして座っていられることも。  そんな感情をどんな言葉にして伝えようか。僕は口を開いた。

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