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翌日の夜ツキヤがまたやってきた。手には木箱を提げている。
「昨日のお礼」
今日は窓からではなく玄関から入ってきたが、上り込むのが当たり前の様に靴を脱いでいる。
「おい」
「包丁とか、まな板とか、ある?」
「あるけどよ……」
「食べようよ」
旭日がとがめる暇も無くツキヤは吸い込まれるようにこたつに入った。
こたつの上に箱を置いたツキヤは箱に掛けられた紐を外そうとして悪戦苦闘していた。よくわからないまま、包丁とまな板を部屋に持ってきた旭日は見ていられなくなって、「切っちまえばいいだろ」と包丁で紐を切った。
「ありがとう」
ツキヤがふたを開けると、網目のついたメロンが鎮座ましましていた。
「おぉ」
メロンの下には紫の布が敷かれていて、二人よりもよっぽどエラそうだ。
「高そうだなぁ……」
「もらいものだけど、食べて」
「もらいもん?」
「うん、お客さんがくれた」
ツキヤは長い指を箱に入れてそろっと緑の球体をささげ持ち、全く似つかわしくない樹脂製のまな板の上に載せた。全体の見かけほど中性的な手ではない。先が細く整っているのですんなり見えるが、骨はしっかりしていて手首は弱弱しくはなかった。綺麗に筋が浮き、青い血管が絡みつくように透けている。少し植物的でメロンと一続きの生き物のようだ。
「切って」
と促されるが刃をあてるのがためらわれた。網目は鎖かたびらのようでホームセンターで買ってきた一番安い包丁などパチンと軽くはねかえされそうだ。
おそるおそる切れ目を入れると、早速甘い香りが広がった。ごくっと喉が鳴る。さらに力をこめてメロンを真っ二つにすると包丁の刃に果汁が滴たった。
「おいしそうだね」
「ああ……あ、スプーンが一本しかねぇ……」
箸一組にスプーン一本、茶碗と汁椀に皿とコップが一つずつ。食器と言えばこれだけだ。
『あんまりだな』
この五年間飲み食いを共にするような来客が無かったことに今更ながら愕然とした。
「食べさせて」
ツキヤは肩までこたつに入り込んで、ミルク飲み人形のように口を開けた。
「アホか、嫌だよそんなの。お前んちから持って来いよ」
「うん」
ふらぁっとツキヤは自室に戻ってすぐに帰ってきた。手には何も持っていなかった。
「無かった」
さらに上手がいた。どうもツキヤといると調子が狂う。
「スプーンぐらいあるだろ普通……どうせ料理とか全然しねぇんだろ。箸も持ってねぇとか」
「箸くらいあるし料理もするよ。目玉焼きとか味噌汁くらいなら……あ、おたまはある」
「それでなんでスプーンがないんだよ」
「さぁ」
「しょうがねぇなぁ」
旭日は半分になったメロンを二つに割り、それをまた半分にして櫛型にした。
「がぶっといくか」
二人して西瓜のようにかぶりつく。西瓜と違って柔らかい果肉が歯にまとわりつくようだ。
「贅沢だね」
口の端から果汁を溢れさせながらツキヤが言った。
「そうだな、逆に」
旭日も舌でぺろっと口の端をなめた。
「スプーン使えばいいのに」
「一人使うのも、なんだろ」
季節はずれのメロンはそれでも旭日が食べてきたメロンの中で一番旨かった。偉そうにしていただけのことはある。
「はぁ、食った食った」
「結構、おいしかったね」
そう言うツキヤの顔は大しておいしそうでもない。旭日はまな板の上にメロンの皮や包丁をまとめて台所に持っていき、ウェットティッシュをツキヤに放り投げた。受け取ったツキヤは手をぬぐってからこたつの上に落ちた果汁を拭きとった。旭日は皮の始末をして包丁とまな板を洗う。
「お客さんに礼言っとけよ」
「うん、店来たら、言っとく」
さっきからちょっと気になってはいた。ツキヤの装いはどう見ても昼間に働くサラリーマンといった風ではない。
「店って、水商売か?」
「うん、バーテン」
「ああ、そう」
バーテンダーならまだホストよりは現実味がある。しかしどっちにしろ客商売だ。このぼーっとした男に勤まるのだろうか。
「の見習い」
「……見習いかよ」
「だって、酒飲めないんだもん」
「はぁ?」
「苦手……」
「そんなんで仕事できんのかよ」
「いつ来てもいいし……帰ってもいいし……、黙ってグラス磨いて……立ってれば……いいって」
「バーテンっていうか、客寄せか」
ツキヤが白いドレスシャツに黒い蝶ネクタイをしているところを想像してみた。似合わなくもない。口を開かず澄ましていればきれいなマネキンになるだろう。
「俺……朝、苦手……だから……」
「お前苦手多いなぁ」
「うん……色々……だから丁度……いいなって……」
なんだかまた返事があやふやになってきた。部屋を見ると、またツキヤはうとうとしはじめている。
「寝るなって言っただろ」
「うん……」
「寝るなら帰って寝ろよ」
「……う……ん」
ツキヤはまただるそうにこたつから身を引き出し、目をこすりながら旭日の横を通り過ぎた。ぺたりぺたりと台所の床を素足で歩いていく。旭日は流しの前を動かずツキヤを見送った。
「客って、女か」
「うん」
「……まぁどっちでも、隣連れてくるんじゃねぇぞ」
「もうしないよ。携帯壊れたまんまだし」
『うっ』
それを言われると、つらい。
「おやすみ」
「あ、ああ。おやすみ」
ツキヤが姿を消すと、旭日は肩で息をついた。
「……やっぱ弁償した方がいいのかなぁ……」
何も言われないのがかえって気にかかる。
それにしてもツキヤは携帯が無くても平気なのだろうか。女、いや男もか。彼らと連絡を取り合うのに困らないのか。
『アホらし、なんで俺がそんな心配しなくちゃいけないんだ』
洗い終わったまな板を立てかけ、包丁を流しの下の扉の裏にもどした。
扉を閉めた途端、
『あ、包丁で細かくして箸で食べてもよかったんだ』
と思いついた。
『でもまぁ、あんまり旨そうじゃないな』
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