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6.世界で一番の感情論

まだら雲だ。ひつじ雲、地震雲などとも呼ばれているらしい。 雲やその隙間が綺麗に列になって並んでいる。 ……雲って凄いよなぁ。見ていて全然飽きないし、その種類も沢山あるんだぜ。 そう詳しいわけじゃないけれど、多少調べてこうして眺めているだけで楽しい。 「また空見てる」 「っ! ……ああ、亮二か」 突然ガランとした教室内に響いた声。驚いて振り向いたら見慣れた長身。 「今日は静かに入ってきた」 言いつけを守った犬みたいな顔をして言う。 そしてすごく静かに、足音すら潜んだようにそっといつもの場所に立った。 「ね。先輩」 「なんだ、後輩」 ……また今日も先輩呼びに挑戦かよ。 付き合ってやる僕もまぁ暇人でお人好しだよな、と自画自賛。 「あの子、先輩のカノジョ?」 「はぁ? ……ああ、京子か」 突然なんなんだ。まさかああいうのがタイプだったりするのか? 変わってんなぁ……。 「ふーん。で、付き合ってんの?」 「馬鹿言え。幼馴染だよ。ただの」 表情のイマイチ読めない声に思わず見上げると、じっとこちらを向いていた亮二と目が合った。 真剣そのものの表情。僕と同じ色の瞳のはずなのに孕んだ熱が感じたことなくて、まるで別の生き物みたいだ。 「本当に?」 「嘘ついてなんになるんだよ」 変な奴だ。仮に僕が京子と付き合っていても、彼にはなんの関係も……ああ、なるほど。やっぱり。 「亮二はああいう女が好きなのか」 意外だな、と言葉を続けようとした時だった。 「違う……先輩って、鈍すぎ」 「!」 ダンッ、と音を立てて椅子近くの椅子を蹴り飛ばす。 そして呆気に取られる僕の腕を掴み上げ、無理矢理立たせた。 ギリギリと締めあげられた腕が痛くて、思わず悲鳴を上げるがなんの反応もない。 「痛ッ、なにしやがる! 離せっ……亮二!」 「やだよ。……ねぇ先輩」 両腕を後ろにひねり上げられ、背後から抱きしめられるような格好で窓に押し付けられる。 「『俺には…お前だけだ』って言ったら、信じてくれる?」 「い、意味がっ……分からない、な……悪ふざけはよせよ、馬鹿」 痛いし怖い。目の前の奴が知らない男に見える。 ああ、でも……僕はこいつの何も知らない。 「好きだよ、先輩」 「うるさい! 死ねっ、この変態野郎がっ」 彼の甘ったるい声が吐息と共に耳朶を撫でて震わせる。 ゾクゾクと背中を伝って這い上がる悪寒に似た感覚を、振り払いたくて声を上げた。 「ははっ……そういうとこ、好き」 ……頭おかしいんじゃないか。死ねって言われてなんで笑ってんだよ。 揶揄ってんのか、と問い詰めて蹴りあげてでも逃げ出せばいい。それなのに。 「俺のこと、見てよ」 「ヒッ……な、なにを……っ」 僕の腕を片手で捕まえて、残った手で事もあろうに身体をまさぐってくる。 服の上からでも這い回る指に、肩が震えて息が上がってしまう。 「や、やめっ……嫌だ、離せっ……このっ……」 怖い、怖い、怖いと心のなかで怯える。 昨日まで静かな時間過ごしてたじゃないか、何が何故変わったのか。ぐちゃぐちゃの思考はまとまる事無く、自分を無力にしていくのが分かる。 だから身を捩り嫌だ嫌だと言いながら、その手を振りほどく事すらできないんだ。 僕だって男だ。同じ男なのに、こんなふざけた事ひとつ止められないなんて。 「……本当に嫌だと思ってる?」 「な、何が言いたいっ……」 心の中を見透かすような目をやめてくれ。そんな目で見るな、だからお前なんか嫌いなんだ。 「ほら。ここから向こうの教室見える」 ヒヤリとする窓ガラスに押し当てられた顔。 向こう側は中庭を挟んで別棟になる。もしかしたら、ここが。この光景が向こうから見える、かも。 「本気で嫌なら抵抗、しなよ」 「うぅっ、や、だ……ぬ、脱がせる、な……」 ボタンを器用に外していく長い指。 空気に触れて、現実感と共に羞恥心で死にたくなる。 「こ、このや……ろ……」 「泣かないで、先輩」 「泣いて、なんかっ……」 「好きだよ、先輩」 耳元。ちゅ、と音が聞こえて軽く息を吹きかけられる。ぶるりと震えたら含むような笑い声が聞こえた。 「このっ……」 カッと脳内が焼かれたような熱を感じた瞬間、一気に心が凍てつくような気分になる。 きっとこれは揶揄われているんだ。こいつは、今ほくそ笑んでいる事だろう。 年上の男が、こんな風に動揺して掻き乱されていく様を嘲笑っているんだ。 「お前なんか、大嫌い、だ……!」 こいつにも自分にも言い聞かせるように言ってやる。 「せ、先輩……」 「聞こえなかったのか。嫌いだって言ったんだよ。さっさと離せ。そして……僕の目の前から消え失せろ」 語尾が震えないように、怖がってることや悲しんでいる事を悟られないよう努めた。 ただ怒りのみが伝わればいい。 僕はこいつが大嫌いだって、それだけが伝われば。 「くそっ……馬鹿野郎」 ―――呆気なく解放されバタバタと騒がしく出ていく足音を聞きながら、小さく毒づいた。

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