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第一章
事の始まりは、ほんの数時間前だった。
それまで遥人は、今日も昨日と変わらぬ日になるであろうと思っていたのだ。
「ちょっと、話しいい?」
放課後の教室へ残り自主学習をしていた遥人は、突然上から降ってきた声に体を大きく震わせた。
「あ、驚かせちゃった?」
「……少し。何ですか?」
声を掛けてきた男の姿を瞳に映して動揺するが、それを表に出すことはせず、荷物を鞄に詰め始める。
「帰るの? 俺のせい?」
「いや、ちょうど終わったとこですから」
本当は、もう少し残るつもりだったけれど、そんな気持ちは吹き飛んだ。
まず、彼に話しかけられる理由が遥人にはまるで分からないし、用が済んだら一刻も早くこの場を立ち去り帰りたい。
「で、何ですか?」
眼鏡のフレームを指で上げながら、遥人が話を促すと、長い腕が伸びてきたから、咄嗟に体を引いて逃れた。
「髪、邪魔そうだから」
「そんなことない。用がないなら、帰りますけど」
触れられることに慣れていないから無意識のうちに逃げてしまったが、前髪は少し長めなだけで顔が見えない程じゃない。
一体何がしたいのか分からず、遥人が席を立ちかけた時、「まあそう言わずに話そうよ」と、微笑んだまま言った男が、背もたれを抱くようにして前の席へとこちらを向いて腰を降ろし、「座れよ」と告げてきた。
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