168 / 338
30
「遥人」
人通りの途切れた路地で、すぐ後ろから自分を呼ぶ声。
刹那、ふわりと鼻孔をくすぐる匂いに遥人の目眩は激しくなる。
――うそ……だ。
抱き締めてくる長い腕。
それを振り払うことも、ましてや背後を見ることも、遥人にはできなかった。
「待たせてごめん。迎えにきたよ」
甘く囁くその声音には、ありすぎるくらい覚えがある。
――逃げないと。
まわらなくなった頭の中に、警鐘が大きく鳴り響いた。
それと同時に遥人の身体はガタガタと震え始めるが、それでもなんとか逃げようとして、細い身体を懸命に捩る。すると、急に呼吸が苦しくなり――。
「あ……あっ」
「遥人、ようやく会えた」
愛おしそうに自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた刹那、心身共に衰弱していた遥人は痙攣を引き起こし……現実から逃避するようにプツリと意識を手放した。
ともだちにシェアしよう!