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「遥人」  人通りの途切れた路地で、すぐ後ろから自分を呼ぶ声。  刹那、ふわりと鼻孔をくすぐる匂いに遥人の目眩は激しくなる。    ――うそ……だ。  抱き締めてくる長い腕。  それを振り払うことも、ましてや背後を見ることも、遥人にはできなかった。 「待たせてごめん。迎えにきたよ」  甘く囁くその声音には、ありすぎるくらい覚えがある。  ――逃げないと。  まわらなくなった頭の中に、警鐘が大きく鳴り響いた。  それと同時に遥人の身体はガタガタと震え始めるが、それでもなんとか逃げようとして、細い身体を懸命に捩る。すると、急に呼吸が苦しくなり――。 「あ……あっ」 「遥人、ようやく会えた」  愛おしそうに自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた刹那、心身共に衰弱していた遥人は痙攣を引き起こし……現実から逃避するようにプツリと意識を手放した。

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