三十にして二児の父親でもある秋山は、そこでいったん話を切ると、家族の話や高校時代の部活の話をしはじめる。彼と飲むのは初めてだが、すごく楽しそうに話す姿に胸がじわじわと暖かくなった。 「そういえば、桜井君の家族は？　嫌なら話さなくていいけど、これまで聞いたことがないからさ」 「家族は……母が一人ですが、中学の頃に他界していて……兄弟にも会ったことがないので、秋山さんの話、すごく楽しいです」 　こんな時、尊敬している先輩に対して嘘を吐くなんてできやしない。だから遥人が本当のことを、なるべく言葉を選んで告げると、一瞬だけ息を飲むような空気がその場を包んだが、すぐに大きな手が伸びてきて、髪をグシャグシャと撫でられた。 　 「そうだったか。そりゃ、よく頑張ったな」 　労う言葉と笑顔を向けられ泣きたいような気持ちになる。遥人の過去を全く知らない相手に話ができたことで、胸につかえている膿が、少しだけ出せたような気がした。 「よし、終電前に帰らないとな」 　飲み始めてから二時間ほどが過ぎたころ、腕時計を見た秋山に言われ、時の流れの速さに驚く。 　こうしてゆっくり同僚と話す機会は初めてだったのだが、こんな時間の過ごし方もいいものだと素直に思えた。 　幸せそうな彼の話を、羨む気持ちにならなかったのは、自分と比べる材料としてはかけ離れ過ぎていたからで、その心情は、ノンフィクションの本を読む時とあまり変わらないものだった。 「大丈夫か？」 「はい。大丈夫です」 　出張が決まった時、ゆっくりとしか歩けない遥人は断ろうとしたけれど、それでもいい、今後の仕事に必要だからと彼に言われて頷いた。