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7-2
俺はドアを閉める。
鍵を掛けたりはしない。そういうのじゃないから。
「丹羽先生」
「ン」
「お願いしても?」
「ン……」
この人、返事は『おぅ』か『ン』しかないのか。
でもまぁそんな事を言ってても仕方ない。とりあえずはやる気持ちを抑えながら、息を整えて彼に歩み寄る。
「……ン」
手を広げて待っている美丈夫。
その盛り上がった胸筋に飛び込むように抱きついた。
「ン」
背中に回された両腕はまるで閉じ込めるように、柔らかく締め付ける。それがやけに心地よくて、全身の力が抜けてしまう。
それでも彼が支えてくれるから崩れ落ちずにすむ。温度と適度な圧迫感。絶妙な具合に癒されて、思わず息が漏れた。
「ふぅ」
「……落ち着いたか」
あ、喋った。
でもその声がまた低くて、聞いていて耳がホッとするというか。イケメンは声も良いんだなってよく分かる。
「ええ。……すいません」
俺は名残惜しい気持ちを隠しつつ、引き離すような想いで彼と距離を作った。
あっさり開放された背中が寒々しい。
「いつもありがとうございます。丹羽先生」
「ン。気にするな」
―――俺と彼、この美術教師はいわゆるハグフレンドだ。
早くいえばハグする、されるだけの関係。
あの日初めて抱き締められて、この落ち着く感じに病みつきになってしまった。
本当に癒し効果あるじゃん、って恥を忍んで頭を下げれば『おぅ』と潔の良い返事。
それから度々こうやって美術室へ通うようになった。
この筋骨隆々で大きな身体に包まれると、なんとも言えない温かな気持ちになる。
言っとくがそこに性愛や恋愛感情、ムラムラするとかそういうモノはないからな。
橘じゃないんだ。そうホイホイ男にそんな感情持ってたまるかよ。
ただ子供が両親の腕に抱かれるのを好むのに近いかもしれない。
「あの。いつもお世話になって……」
俺はなんのお礼もしてない。必要ない、と彼が言うがそれが唯一気にしていたところだ。
「気にするな」
そう短く言って、彼は俺に背を向ける。
黙々と授業の準備を始めるその姿には特段何も意志も感じなかった。
だからこちらも気にする事はないのだろうが。
「じゃあ。失礼しました」
幾分軽くなった心を抱えて、教室を出ようと歩き出す。
普段嗅いだことのない美術室特有の匂いに今更気がついて、どれだけ切羽詰まってたんだと自分自身を笑った。
「……茶久」
丹羽先生が珍しく名前で呼び止めるものだから、振り返る。
「俺だって相談くらいなら乗る……何かあったのか」
「丹羽、先生」
相変わらず表情筋が仕事しない無表情なのに、その瞳は温かな色を映しているのだからズルい。
そんな顔されたら……すがってしまいたくなるじゃないか。
「なんかてめぇは放っておけない弟のような奴だ」
「弟って……丹羽先生、鈍感いわれません?」
それともなにか牽制されている? まさか! この男はそういう駆け引きには向かないのだろう。
何考えてるか分からない、彫像のような男だが。それでもその腕の中には確かに熱も優しさもある。
教師としても芸術家としても、俺には測りきれない魅力があるのだと思う。
「鈍感……ン。まぁよく言われるな。その意味を考えた事もなかったが」
「でしょうね。」
「もう一度するか?」
「えぇ。もう一度だけ」
腕を広げた男の胸に再び飛び込んだ。
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