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8.その褥、悲哀につき
「また抱き合ってた」
そう言って彼は睨んだ。
「だからなんだ」
と俺はそっぽ向く。
放課後の廊下。
突然気配なく背後に立って囁いてきてなんなんだ。
……分厚い雲が空を覆って、灰色で水分を含んだ窓の外。傘、持ってきたっけな。とぼんやり考える余裕すらあった。
「まだストーカーしてんのか」
脅す材料ならいくらでもあるだろうに。
呆れを言葉で返せば、鼻白んだような表情が窓に映る。
まったく、このガキは彼と違って表情に色々出やすい。
「先生、今日も来てよ」
「一昨日行っただろ」
明日も仕事だ。手加減されたって平日の夜に抱き潰された身体を朝までになんとかするのは厳しい。
俺だって年齢も年齢だしな。
「ね。良いでしょ」
「ダメだ」
「どうしても?」
「どうしても、だ」
今度はぷぅーっと頬を膨らませた。
幼児かよ、と内心少しおかしくなったがまぁ俺は顔に出さない。
「じゃ、丹羽先生との写真ばらまいてやる」
「お好きにどうぞ」
別に好きにすればいい。
そりゃあえらいことになるだろうけど、あんな事に比べたら……。
「なに。堂々としちゃって」
「ふん。脅すなら、あのハメ撮りでも晒すって言えよ」
それなら多分……突っぱねられない。脅す立場なら、それらしくしていろよ。変に色気出すそういう態度がムカつくし嫌いなんだよ。クソガキめ。
……すると彼は短く息を吐いて言った。
「やだよ。それ、他人に見せる用じゃないから」
「はぁ? なんだそれ」
「とにかく、お願い。今日だけ……もう、最後でいいからさ」
「橘?」
突然、語尾が震え弱々しくなった彼の言葉に振り返る。
そこには予想に反して薄ら微笑んだ男。
「ね、お願い」
……初めてお願いされた。
俺はその雰囲気に押されて、情けなくも頷く。
「ありがと」
殊勝な様子に、俺が何か言う前に彼は足早にその場を立ち去ってしまった。
残されたのは何やらモヤモヤとした感情を抱えた俺が一人。
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まぁその日だって特に変わらず身体を重ねただけで。
でも何故か仕切りと『抱きしめて』と強請る態度に、柄にもなくセンチメンタルになったのかと訝しんだっけ。
「ねぇもっと抱きしめてくれよ……」
「お前ね、俺のこと母親だとでも思ってんの」
「うるさいよ、優希」
「名前で呼ぶなっつーの」
なんだかイチャついてるカップルみたいだろ。
こいつとそういう関係とかゾッとすること考えちまった。あくまで俺たちは『こういう』関係。
「……」
「……」
「……なんか言ってよ」
「お前がうるさいって言ったんだろうが」
自分勝手過ぎて呆れる。大人である俺は振り回されてばっかりだ。
男二人分の体重を掛けられたベッドは身動ぎすると少し鳴る。
でもまぁ俺の部屋のベッドよりはいい奴みたいだな。くそ、ガキのくせに。
嗚呼、それにしても温かい。さっきまでの行為で高まった熱がそろそろ引いてもいい頃なのに。
人肌というのはここまで暖かいものなのか。
あまり女としても、終わったあとこうやってくっついて寝ることなかったかもしれない。背中を向けて寝るなんて酷い男じゃなかったと思うが分からない。
なにせ出した後って、男は全力疾走したみたいに体力消耗するし色々と抜けきって面倒になるんだよ。
そんな事より寝たい。そういう生き物だろう?
そういう所を詰られた事、そういやあったな……うん、あった。
苦い過去を思い出しつつ、やっぱりこういうのも悪くないかもしれないとうっかり錯覚してしまう。
「そういえばさ」
「ん」
思いついた言葉を並べよう。このまま眠ってしまえばまずい。
もう少ししたら起きて服着て帰らないと。明日仕事だ。このまま朝ってパターンだけは避けないと。
「設定、どうしたよ」
「設定?」
「心臓病の設定。余命1ヶ月だっけ」
遅咲きの厨二病め。
1ヶ月前に言ったことで恥ずかし悶え苦しめ。馬鹿野郎。
「そうだねぇ。そろそろそんな時期だ」
意に反して、彼は呟くように言ってすがりつく手に力を込めた。
「……先生、ありがとね。もう解放してあげる」
という言葉を添えて。
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