6 / 30
第6話 オルテガの企み
ふ---と何かが頬に触れた。
スゥエンは重い瞼を開けて、気配のする方に視線を向けた。
「う、うわっ------!」
目線の先、肌が触れるほど間近で、鳶色の二つの瞳が、じっ----とスゥエンを見ていた。大きな体躯で覆い被さるように、スゥエンを真上からまじまじと眺めていた。
「オ、オルテガ殿下---?!」
スゥエンはバネに弾かれたように、身を起こし長椅子の隅に飛びすさった。
「目が醒めたか?」
驚いて眼を真ん丸くして、身体を縮こませるスゥエン。オルテガは小動物でも見るような視線で、片眉を上げてふっ------と笑った。
「も、申し訳ございません、殿下。」
暖かな日差しの中で、いつの間にか微睡みに落ちていたのだろう。サテンのクッションを抱えるように眠っていたスゥエンの頬に触れたのは、オルテガの指先だった。
「良い。慣れぬに外国で気疲れしたのだろう。
メイドにお茶の用意をさせた。ゆっくりと寛ぐがよい。」
落ち着いた年頃のメイドが、大理石の卓に銀の盆を置いた。アフタヌーンティのポットとカップ、それに焼き立てらしい甘い香りのする焼き菓子が添えられていた。
「パティシエ自慢のアップルパイだ。シナモンは苦手かね?」
「い、いえ大好きです。」
メイドが、安心したように笑みを溢す。
オルテガは、悠然と身体を起こし、す------とスゥエンの髪に触れた。
スゥエンの心臓がドクン---と大きく震えた。
「綺麗な黒髪だ-----。柔らかくて真っ直ぐで羨ましい。」
ふっと目を上げて見るオルテガの髪は大きくウェーブし、まんま獅子の鬣(たてがみ)のようだった。窓から差し込む光を弾いて、金色がいっそう眩しかった。
「それを食し終わったら、広間に戻ってくるんだ。じきに御開きになったら皆に挨拶をして、父上達を見送って、エントランスで待ちなさい。」
オルテガは、指を軽く顎に当て、教え諭すような口振りで言った。
「え、見送るって---。」
「君は私と共に離宮に行くのだ。しばらく滞在させるからと、父上の承諾は得ている。」
「あ、はい---。」
ビクッと身を震わせ、スゥエンは居住まいを糺した。真っ直ぐに自分を見るオルテガの瞳には、既に笑みは無かった。
ー逆らってはならない。ー
父の言葉が脳裏に蘇った。スゥエンは自分をじっと見下ろすオルテガの眼差しに、背中に冷たいものが流れる気がした。
「承知いたしました。」
スゥエンがやっとのことで、既に干からびそうになっていた喉から言葉を絞りだした。
「よろしい。」
オルテガは、一言そう言い残すと、メイドに何やら指示を伝え、広間へと立ち去った。オルテガが去った後もスゥエンの鼓動は収まらなかった。
不安が胸の中で渦巻いて、せっかくのパイの味もわからなかった。
宴の後、他国の、ナヴィアの使節を見送るスゥエンはひたすらに心細く、去っていく馬車の列を茫然と見詰めていた。
そして、傍らでオルテガが密かにその背を見て口元にうっすらと笑みを浮かべていたことすら気付かなかった。
ともだちにシェアしよう!