「失礼いたします。」 「入れ。」 　執務室の分厚いオークの扉が重い音をたて、側近のヴｪーチェがゆっくりと歩み入ってきた。オルテガは、束の間、書類から眼を上げたが、ペンを取り、書面に走らせた。 「サルフィカの内乱は収まったか。」 　低い、冷ややかな声が問うた。サルフィカは、バスティアの西、ナヴィアとは山塊を隔てた平原の国だ。数多の部族がおり、常に争乱が絶えなかった。オルテガは、その争乱に介入し、力づくで反対勢力の部族を鎮圧し、一掃した。 「わが国の精鋭が援軍に向かいましたゆえ---ただ残念ながら、現国王の退位は免れませぬ。ひどいお怪我をされたようで---。」 「致し方あるまい。王位は嗣子さまに継いでいただけばよい。」 「まだお若うございますが、殿下に後見人を---と願い出ておりました。なかなかに聡明なお方ですな。」 「良いことだ。」 　オルテガはペンを起き、ヴェーチェにサインしたばかりの書類の束を差し出した。 「いずれも豊作の見込みとは結構なことだ。」 「改革の甲斐がありましたな。」 　ヴェーチェは恭しく書類を受け取り、オルテガの言葉を待った。オルテガの待っている報告は、他にもあるはずだ。 「どうなっている？」 　オルテガは、口元を隠すように机上で両の手を組み、呟くように言った。ヴェーチェは、小さく頷き、一歩、主のほうに歩み寄った。 「スゥエンさまにおかれましては、まずはご健勝のようです。発情はまだ起きておらぬようで、浮いた噂も無く、ひたすら文武に励まれているとか---。容姿にも知勇にも一層磨きがかかったとの評判にございます。」 「幾つになった？」 「18才---立派に成人ですな。」 「では----」 　オルテガの眼が暗く光った。 「結婚の申し出をするとしよう。」 「外堀は？」 「厳重に埋めよ。駒は十分にある。」 　肉厚の口元が、ニヤリ---と歪んだ。 ヴェーチェは恭しく頭を下げ、満足げに微笑んだ。 「ナヴィアは我らが『母の国』。閣下が再び、かの国のΩを娶られるは、目出度き事この上ありませぬ。」 「スゥエンは我が国に残る、あのお方の肖像と瓜二つ。再びの我が国の『国母』にこれ以上ふさわしい者もおるまい。」 　オルテガは葉巻を手に取り、ひとしきり香りを楽しむと、ゆっくり火をつけた。ナヴィア産のハーブの葉を巻いた葉巻で、燻らすと存外に爽やかな香りがする。 　滞在後、スゥエンからのもてなしの返礼品にあったもので、気に入って度々、取り寄せている代物だ。 「今度こそ、しっかりと我が国に尽くして貰わねば、な。」 「左様にございますな。」 　ヴェーチェは、深く一礼して、ニッ---と笑った。 　おもむろに退出しようとするその背に思い出したようにオルテガが声をかけた。 「くれぐれも慎重に、な。『母の国』相手にあまり無体なことはしたくない。よくよくと言っておけ。」 「承知してございます。あの者とて、可愛い養い子。その行く末をよくよく考えるよう伝えてございます。」 「うむ。下がってよいぞ。」 「では。」 　再び重い音をたてて扉が閉まった。 　静寂を取り戻した空間に、オルテガの不穏な笑みだけが残った。