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第14話 出立
スゥエンは馬に鞍を乗せ、大きくひとつ息をついた。
オルテガの傲岸な笑みが目に浮かぶ。
ナヴィアが、スゥエンが慈悲を乞う。その力を恃み身を擦り寄せる様を、あの男はどのような言葉で嘲るのだろう。ふと思い巡らすだけで、怒りがこみ上げ、目眩すら覚える。
ーだが------ー
何としても、ナヴィアを国を守らねばならない。スゥエンは、ぎゅ---と唇を噛んだ。
「スゥエンさま---。」
エラータが心配そうにスゥエンを見上げた。アクアマリンの瞳が今にも泣き出しそうに揺らめいている。
「私がお供できれば、良かったのですが---。」
「心配するな。国を思えば、頭を下げるくらいは如何程のことでもない。オレにも分別くらいはある。」
ひらり---と馬に跨がる姿は、もう一人前の騎士だ。その眩しい凛とした横顔に、エラータはもっと泣きそうになった。
ーそうではない。そうではないのです、スゥエンさま---。ー
オルテガは、会談の場所にあの離宮を指定してきた。それは紛れもなく、スゥエンを己のが物にする、囲い込むという明確な意思表示だった。スゥエン自身も、そこはかとなく、得体の知れない不安-恐怖のようなものを感じていたが、必死にそれを頭から振り払った。
ー考え過ぎだ。それに---。ー
オルテガは武人としての自分を認めてくれていたではないか。よしんば刃に倒れることがあっても、男と男として正々堂々と向き合える。---それだけは信じていたかった。
「大丈夫だ。エラータ。抑制剤もある。あいつはオレがΩとは知らないはずだ。もし万が一の時には、急な病気になるさ。」
エラータは堪えきれず、馬の首に顔を押し付け、涙した。
ー知らないのだ、スゥエンさまは---。ー
オルテガの真の狙いを。Ωであるスゥエンが負わされた性の重さを。それ以上に、『奇跡のΩ』と呼ばれたあの御方と良く似た姿、気質、そして-----運命。
「行くぞ。」
スゥエンが、つ---と頭を上げた。
手綱を絞り、向い風を睨み付ける。
「どうかご無事で---。」
「心配し過ぎだ。うまく交渉を成立させて、すぐに戻る。」
自らを鼓舞し、意気揚々とバスティアに向かうその背を、エラータは涙に濡れた目で見詰めていた。その肩をそっと抱くラウルの目も心なしか赤くなっていた。今回は、国内の警戒のため---とラウルすら随行を許されなかった。
ラウルは真実を知っている。同盟の交渉など偽りだと。先立って、父の宰相から使者として遣わされた時、届けた書状に何が書かれていたかを。
それを見たオルテガが一瞬、呆れたように鼻で笑い、そして高らかに哄笑した声を忘れることは出来なかった。
ーこれは良い。戴冠式の婚儀の日まで、しっかりと花嫁修業に励んでいただこう。ー
その獣じみた、舌舐めずりまでしかねない男の劣情を浮かばせて、オルテガは冷酷な裁断を下したのだ。則ち、
ー自分との婚儀が調うまで、スゥエンはナヴィア国には帰さぬ。ー
それはもはや、生涯ナヴィアには帰れない----という言葉と同義だった。
宰相ファーガソンは、ラウルがスゥエンに真実を明かすこと、スゥエンを逃がすことを恐れ、随行を禁じたのだ。
ースゥエンさまをお救いすることはおろか、真実を告げることすら出来ぬ---。ー
ラウルは口惜しさに拳を握りしめた。皮膚が破れ血が滲むほどに。その手をエラータが静かに包んだ。
ースゥエン様は強いお方。あの御方の生まれ変わり。だから---。ー
きっと帰ってくる。二人は、ただそれを信じたかった。
ファーガソン宰相に言い含められた随行者達は、何事も無いように周囲を固める。オルテガに引き渡すまでにスゥエンが逃げ出さぬよう、真実を悟られないよう---オルテガへの進物の荷の中に、オルテガから贈られた婚儀の支度の品々を隠して。
皇子が王妃となるまでの『護衛』のために配置された伴を従えて、スゥエンは住み慣れた愛しいナヴィアナーダの街から旅立っていった。
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