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第28話 ラウル

「お寒くはありませんか---」  ラウルは、サロンに入ると、自分の着ていたマントをスゥエンに着せかけた。 「ありがとう---」  暖炉には既に火が入れられ、パチパチと勢いのよい音がしていた。それでも不自然に縮こまるスゥエンを気遣ってのことだった。 「軽蔑しただろう?」    か細い消え入りそうな声で呟くスゥエン。両手は、膝の上で硬く握られている。ラウルの硬くしっかりとした手が、それを包んだ。暖かい、無骨だけれど頼もしい手---。 「私の妻は、エラータですよ、スゥエンさま。」 「そう------だったな。」  見上げたラウルの顔が小さく苦笑いした。ラウルの妻、スゥエンの師であるエラータは、Ωだ。発情のことも、男でありながら男に抱かれる性も分かっている。 「本当は、エラータがこちらに参るのが、一番良かったのですが---。」 「分かっているよ。」  エラータは、身体が弱い。幼い頃からどちらかというと病弱だったという。他国へ赴くという長旅が身体への負担になることは分かっているし、途中で発情期になれば、番のラウルがいなければ、辛い。だからエラータが来てくれるとは思ってはいなかった。 「でも、ラウルが来てくれて嬉しい。」  率直な気持ちだった。ナヴィアの者は皆帰ってしまった。ただひとり、異国の王宮に取り残されて、男の慰み者にされる---その孤独は深くスゥエンの心に滲みていた。 「エラータに手紙を書いたんだ---。でも、まだ---」 「返事は、私がお持ちしました。---オルテガ殿に見られたくはありませんでしょう?---エラータも見られたくない、と言っておりましたし。」  ラウルは、一通の書簡と、一冊の書物を懐から取り出し、スゥエンに手渡した。 「これは?---」  古い、小さな---だが立派な装丁の、ナヴィアの図書館でも見たことの無い本だった。題名も、記されていない。 「我が国の偉大なる『Ω』、アーシェル-ラドリック-ナヴィア公の記録---手記を書き写したものです。」 「『奇跡のΩ』---の?」  ラウルは、黙って頷いた。初代国王の兄を助け、ナヴィア建国の礎となった偉大な存在。『Ω』である宿命に立ち向かい、勝利した英雄。------その生涯の多くは謎だった。記録が残されていない------というのが理由だった。 「記録が、残っていたのか---。」 「はい。--------王家の、『Ω』がだけが見ることを許された、門外不出の書物だ-------とエラータが言っておりました。」 「なぜ、それをオレに?」 「スゥエンさま。スゥエンさまはナヴィア王家の『Ω』。エラータは、いつか『番』に出会った時に、大人になった時に、スゥエンさまに譲り渡すつもりだった---と言っておりました。」  エラータに子どもが無い今、ナヴィア王家の『Ω』はスゥエン唯ひとり---とも言える。そして、おそらくは最期の『Ω』---。ラウルは、書物に見入るスゥエンをじっと見詰めていた。 「オレは------結婚なんかしたくない。オルテガの妻になんか、なりたくないんだ。------分かっているけど-------もぅアイツに犯されて、キレイな身体じゃ無くなったけど-------普通の男に戻りたいんだ。」  ポツリ---と、一粒の滴が書物の深紫の表紙に落ちて、小さく染みた。ラウルは、その背をそっと擦った。そして、言い辛そうに口を開いた。 「エラータも、そう言っていました---。」 「え?」 「男に娶られたくなどない。結婚などしたくない。お前の妻になどなりたくない---と散々言われました。」  ラウルは、苦笑いしながら、だが懐かしそうに言った。 「でも、ラウルとエラータは幼馴染みだろう?」  スゥエンはエラータからそう聞いている。小さい頃から、ずっと一緒に育ってきた---と。 「ええ。」 と、ラウルは応えた。 「私達は、許嫁でしたから---。」  スゥエンは、びっくりして、まじまじとラウルの顔を見た。言葉が無かった。 「エラータが産まれて、Ωであることがわかった時に、私の父が申し出たのです。年頃になって発情期が来たら、自分の息子の番に、いただきたい---と。」  王家の『Ω』は、大変な苦難を強いられることも多い。その意味では、エラータは最も幸せな『Ω』とも言える。---現在のバスティア王、オルテガの父が愛人に---と言い出した時には、すでにラウルと番になっていた。それを理由に愛人になることを拒否できたのだから。 しかし----ーラウルは、自分を見上げるふたつのエメラルドの瞳に、すがるような眼差しに、本当の事は言えなかった。  そして、改めて思った。 ー美しくなられた---。ー  スゥエンの内の『Ω』性が目覚めたことは明白だった。いずれ、嫌でも本格的な発情期が来る。それはもはや避けられない事態だった。  「婚姻は------避けられません。」  ラウルは、重苦しい口調で言った。スゥエンには死刑宣告に等しい言葉だ。けれど--- 「婚儀の日までは、私がお側にいます。ナヴィア王にもタミル様にもお許しいただきました。」  ぱっ----とスゥエンの表情が明るくなった。が、す---と陰が差した。 「良いのか?-----エラータをひとりにして---?!」 「居てあげてください---と言われました。スゥエンさまの支えになれるのは、私だけだと---」 『Ω』の番のいるラウルだけが、スゥエンがこれから迎えるであろう『Ω』の試練を、苦難を乗り越える支えになる----エラータは、何重にもラウルに言い含めてきた。  だが、やっとほっ----とした表情を見せるスゥエンに、その言葉は言えなかった。 ーオルテガ殿下を、愛してください。  それが、スゥエンさまの宿命です------。ー と。

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