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「悪いと思ってるよ、ひさしぶりだし……うん……いつもいってるだろ、俺にはアイツが一番大事なんだって」
史晴は暗いリビングを抜けて、奥にある自室へ向かった。
電話口の〝コウさん〟は、誘いを反故にされてずいぶんと激昂しているようだ。後ろにいる千彰の耳にまで、野太い批難の声が聞こえてくる。
「ていうかさ、そっちも納得してるんだと思ってたけど、もしかして俺の勘違い? もしそうなら、悪いけどこれ以上はつきあえないよ」
どうやら事は穏便には済まなかったらしい。
溜め息ついでの史晴が振り返る。
自分に続いていつの間にか部屋に入ってきていた千彰を、史晴は毒虫でも見るような目で睨み付けた。
「なに入ってきてるんだよ」
一応は送話口を塞いでの抗議の声に、千彰は手振りで「まあまあ」と応えた。
扉を閉めて、勝手知ったるといった様子で部屋の電気を点ける。
もとは千彰が物置として使っていた部屋は、いまは背丈が天井まであるワードローブで大部分が占められていた。
あとは男ひとりがギリギリ横たわれるほどのパイプベッドだけというシンプルなこの部屋で、史晴はいつも寝起きしている。
「俺もそれ、一緒に観ようと思って」
後生大事に握られているメモリーカードを指差す。
「はあ? なんでお前と――」
「だって俺のだし。それよりもいいの、電話。切れてるみたいだけど」
「え? ……あ」
史晴は暗くなった液晶画面に目を落とした。
「怒ってたね、コウさん」
「あたりまえだ、バカ」
ここのところ史晴の会社は新店舗の起ち上げでバタバタしていた。必然週末の夜遊びが減って、便利なセフレが何人か離れていったと史晴が――上司にしこたま呑まされて帰ってきたときのことなので、史晴自身は覚えていないだろうが――なにかの拍子に千彰へ漏らしたこともある。
その中でも、関係を保っていたうちのひとりが、10歳年上の〝コウさん〟だった。史晴と歩いているのを遠目に何度か見ただけだが、無精髭の似合う落ち着いた雰囲気の男で、仏頂面の史晴に対しても始終穏やかな笑顔を向けていたことを覚えている。
これが年上の余裕というヤツなのかと感心したこともあった。史晴は同性にも異性にもモテる端正な顔だちをしてはいるが、勤務時間中は徹底して愛想が悪い。
が、どうやらコウの態度は精一杯の虚勢だったらしい。さっきの取り乱しようをみれば、明日には勤務先に乗り込むくらいのことはやりそうだ。
そしてその行為を、史晴はけっして許さないだろう。朝になれば連絡先も消しているかもしれない。
結局、この虚しい関係にどっぷりとハマっていたのはコウだけなのだ。
史晴は誰も本気で好きにはならない。
ただひとりの例外を除いて。
「出て行けよ、もう」
床に立てかけていたビジネスバッグの中からノートPCを取り出しながら史晴がいった。足元でぐしゃぐしゃに丸まったままの毛布の上で電源を入れる。
夜の静寂に、チリチリとした電子音がやけに大きく響く。
「邪魔はしないって」
「そういう問題じゃない」
「シコるんだろ? 別にはじめて見るわけじゃないじゃん、兄貴のオナニーなんて」
じろ、とPCのロックを解除していた史晴が睨んでくる。
「俺のことは気にしないでどんどんやってよ。なんなら手伝ってやろうか、いつかみたいにさあ」
「……ほんっと悪趣味だな、お前」
蔑むような視線を向けられて、千彰はあえてにっこりと微笑んだ。
「それくらいの楽しみがなきゃやってらんないだろ、こんな危ないこと」
まるでそれが天の声であったかのように、史晴は大人しくなった。はあ、と深い溜め息をつくと、薄い唇を一度ぎり、と噛んで、ベッドの端を指差した。
そこへ座れ、ということらしい。
「いいか。絶対に邪魔するなよ」
「大丈夫。約束する」
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