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「……え?」
それって、どういうこと――。
声にならない千彰の疑問を、史晴は拾い上げた。
「俺は、可哀想な子どもになりたかった」
そういって、ふ、と口元に力ない笑みを浮かべる。
「叔父さんや叔母さんにはもちろん感謝してるし、いままで頑張ってきた俺自身や、おまえを否定するつもりはないよ。でも……正直、ちょっと疲れてた」
たしかに、千彰の目に史晴はいつだって理想的な〝子ども〟に映った。
我が儘をいわず、適度に甘え、弟の面倒もよくみる。そんな子どもだった。
「いい子でいるのに、疲れた?」
だから全部を――自分自身をも――投げ出して、誰かに寄りかかりたかったのかと訊くと、史晴はちがう、と答える。
「そんな綺麗なモノじゃない。たしかにきっかけはそうだったのかもしれない。でも……そうだな、これは嗜好の問題ってヤツだ」
「あの人……コウさんは、兄貴が変になったのは俺のせいだって」
史晴はちょっと驚いた顔をして、首を振る。
「俺があの世界でああいう役割でいたのは、望んでやってたことだ。ゲイだってことずっと隠してきた俺が、あの人たちに会ってようやく自分を曝け出せる場所を見つけた。俺を受け容れてくれた人たちに俺自身が返せることといえば、あいつらが望む俺を演じることだけだったから。だから……いまは本当の〝俺〟が抑えきれなくなっただけ。それだけの話だ」
ひとつ手に入ると、また次の欲が出てくるんだ――史晴は自嘲した。
「結局、本当のことは誰にも打ち明けられなかった。怖かったんだ、また居場所を失うのが。それで、みんな離れていって……」
「そんなの兄貴のせいじゃねえだろ!」
勝手に理想を押しつけてきたのは彼らのほうだ。
「隠してたからって、べつに悪いことしてたわけじゃない。少しくらい思ってたのとちがうったって、なにも全員が離れていかなくたっていいだろ。揃いも揃って……ホモってのは、みんなそうなのかよ。勝手に夢見て勝手にチヤホヤして、ちょっとでも思い通りにならなかったら捨てるのかよ……くそっ!」
「ちがう! ちがうんだ、アキ。みんなが離れていったのは、そのせいだけじゃない。たのむから……わかってくれ! 悪いのは俺だから。だから、あの人たちのこと誤解しないでくれ!」
「わかんねえよ! じゃあ、なんなんだよ! 史晴のなにが悪いってんだよ!」
「おまえとのことがバレたんだ!」
酔いすぎたんだ――史晴は千彰に縋った。
「俺の様子がおかしいって、最初に疑われた。俺はあの人たちの誰かと深い関係にならないようにしてた、けど、そのうちのひとりが原因探ろうとして……たぶん、酒になにか混ぜたんだと思う。俺は覚えてない、全然。でも気づいたときには、そいつはおまえのことを知ってた。祐司のことと、それを知ってるおまえが俺を好きなこと――それに流されたいと思ってる、俺の気持ちも」
「流され、たい?」
薄い目尻が真っ赤に染まっている。
史晴は泣いていた。
「きいてくれアキ。俺は最低なんだ。弟に欲情した。好きじゃないのにだ。おまえに触られて興奮したのも、おまえのことが好きだからじゃない。その反対だ。おまえが弟だから。血の繋がった弟に押し倒されて、そんな可哀想な人間いないだろ。祐司のことだってそうだ。アイツがノンケで、絶対に俺に振り向かないってわかってたから追いかけた。それだけだ。俺は可哀想な自分に酔って、ひとりで愉しんでただけだ!」
祐司の史晴に対する違和感は正しかった。
史晴は最初から祐司のことなど好きじゃなかった。
相手が誰だってかまわない。
絶対に叶わない恋。史晴に必要だったのはそれだけだった。
「最初は誰も信じなかった。馬鹿げた話だって。コウさんだって最後まで信じてくれたよ。いくら自分を堕としたいからって、実の弟まで誘惑するかって、そんな話あるかって! なのに!」
そのコウも結局は真実を知ってしまった。
何度説得したにもかかわらず、史晴が頑なに千彰のそばを離れないせいで。
「だから俺みたいなクズが、おまえの側にいちゃダメだ!」
背を向ける史晴を抱きしめようとする千彰を、震える手が押し返す。
「おまえは俺の弟だから。おまえを守るのは、兄である俺の役目なんだ!」
なのに、身体は心を裏切り続ける。
抱かれてしまえと。
二度と這い上がれない場所まで堕ちてしまえと。
誰も自分が望む愛をくれないのなら、ちょうどいい〝愛〟が目の前にあるじゃないかと。
そう耳元で甘く囁き続ける。
「気が狂いそうだった。ずっと苦しかった。おまえが俺のことそういう目で見るたび、優越感と罪悪感でぐちゃぐちゃになった。どうしたらいい? こんなクソみたいな欲望弟に押しつけて、父さんと母さんに、俺はなんていえば……!」
死んだふたりに顔向けできないじゃないか――。
腕の中で肩を震わせるの史晴を――千彰は強く掻き抱いた。
「……いいよ。それでも」
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