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第3話 ④

 翌日は昼前に起きて事務所に顔を出すと、実華子は重箱などの洗い物を持って家へ戻ったらしく、亮次はソファで眠っていた。  一応、一言伝えてから出かけようと思ったが起こすのをやめて、快と悠利は途中のコンビニで昼食を買いながら初音家の本家へと向かった。  車は徐々に民家の少ない方へと向かっていた。  走っていたのは一時間ほどだった。  ここだと悠利に言われて、木製の大きな門の前で車を車を止めた。人通りも車通りもあまりなさそうな道沿いだった。  悠利がかんぬきを外して門を開いた。  広い敷地の庭は、見通しが悪くなるほどに草が伸びっ放しになっていた。その奥に見える旅館のような日本家屋が初音家の本家だ。 「こんな状態になってしまっていたのか」  庭を見た悠利が小さくこぼした。 「知らなかったのか」 「ここに来るのは六年ぶりだからな」  両親が殺されたのも六年前と言っていた。つまり悠利はそれ以降ずっと家に戻ってきていなかったということだ。  だが彼は何も感じていないかのように躊躇なく中へ入っていく。  快もあとについて行った。足元から家へと続く石畳だけが草の生えていない空間だった。  離れたところから見た家はそれなりに背が高く見えたが、目の前に立って見上げると、どうやら平屋のようだった。  悠利が持っていた鍵で戸を開けた。からからと音を立てて開いた引き戸の向こうに広めの玄関土間と、そこから一段上がった先にはフローリングと呼ぶには古風な木板の廊下が続いている。 「なんか、綺麗だよな。ちゃんと掃除されてるっていうか」 「ああ。誰かが手入れをしているようだな」  悠利は靴を脱いで上がると廊下を進んでいくので、快は一応おじゃましますと小さく声をかけてからあとに続いた。 「で、どうするんだ?」 「一通り見て回るつもりだが、まず確認したい部屋がある」  迷わず歩いていく悠利についていた快だったが、ふとふすまが開けっ放しになっている部屋の前で立ち止まった。  二間続きの広い和室だった。  床の間の上に飾られているものはなくがらんとしていた。真っ白な紙の貼られた障子戸はきっちりと閉められていて、庭の景色を見ることはできない。 「どうした」  快が立ち止まっていることに気づいた悠利が振り返ってたずねた。 「ああ、悪い。ここだけふすまが開いてたから」  他の部屋は戸が閉まっているので目立って感じた。 「来客のときによく使っていた部屋だ」  悠利が部屋に入って障子戸を開けると、外の明るい光が一気に入り込んでくる。  縁側のある庭もやはり草が伸びっ放しになっていたが、その隙間からは立派に庭を飾っていたのだろう大きな石やのぞいていた。 「俺も来たことあるのか」 「ああ。よく走り回っていた」 「人の家でかよ」  だが小学生くらいの頃ならそんなものだろうか。  よく日の入る温かい部屋だった。  なんとなく懐かしいような感覚になったのは、ここへ来た頃の遠い記憶がどこかに残っているからなのか。それとも、単に昔ながらの和室がそういう感覚にさせているだけかもしれない。  それにしてもよく掃除されているなと、部屋を見回した快はある一点が目に入ってぎくりとした。 「この部屋だ。両親と伯母が亡くなっていたのは」  ということはやはり畳の縁(へり)にある黒ずんだ痕は、血だ。  殺されたという話は聞いていたが、快はそれ以上のことは知らない。彼の伯母も一緒に亡くなっていたことを知ったのも今だ。  両親が亡くなった部屋にいて何も思っていないはずはないが、窓際に立つ悠利は平然として見えた。 「箱もそのときに盗られたんだよな」 「いや、盗られたわけじゃない。今はこの家とは別の場所で保管をしていたらしいんだが、その場所を知る者がいなくなったんだ」  そういえば彼は箱を〝盗られた〟ではなく、〝行方不明になった〟と言っていた。  六年前、ここで何があったのか。  知りたい気持ちはあったが聞きづらくて快は黙った。  そんな快の気持ちを、悠利は察しているようだった。 「当時のことについて俺も詳しくは知らない。亮次さんが、父と連絡を取れないことを不審に思ってこの家に来たときには、すでに警察が来ていたと」  六年前なら快はすでに事務所の入っている今のアパートの部屋で暮らしていた。だが亮次が初音家の本家に来ていたことも、悠利の両親と伯母が殺されていたことも知らない。  悠利についての記憶がなくなっている快に、亮次はわざわざ言わなかったのだろう。 それなら当時事件現場に遭遇した亮次がいつもと様子が違っていたのか、なんて覚えているはずがない。  窓際に立つ悠利は、縁側のある草ばかりの庭を見つめていた。  そのせいで表情がわからない。 「俺は大学へ進学するために家を出て、ここにはいなかった。だが大学は口実だ。普通とは違うこの家と、折り合いの良くなかった父から逃げるためにわざと離れた大学を」 「おい」  快は思わず話を遮った。 「お前が辛くなることなんか話さなくていいから」 「別に辛くはない」  声も、振り返ったその顔もいつもと変わらなかったが、快にはそれが余計に気になった。  彼は気づいていなかったのだろうか。話している口調が少しずつ早くなっていたことに。  悠利が部屋の押入れの戸を開けると、中には二組の布団が収まっていた。だがそれ以外には何もなくて、そのまま戸を閉じる。 「やはりここには何もないな」 「そういや確認したい部屋があるって言ってたよな」 「ああ。こっちだ」  二間続きの和室を出て、さらに奥へと廊下を進んだ悠利が立ち止まったのは、他とは違う洋風なドアの前だった。 「ここは書斎で、主に父が使っていた」  ドアには鍵穴がついていたが、鍵はかかっていなかった。  書斎だというその少し小さな部屋には、他の部屋や廊下とは違う深い色の木の板が床に敷かれていた。  重量感のある机と、背もたれの肘置きのついた椅子。両側の壁には本棚が並んでいて、様々な本が今も綺麗に並んでおさまっている。 「もし何かが残っているとすればここの可能性が高い。見てみてくれ」 「わかった」  そうは返事をしたものの、どこをどう勝手に触っていいのかわからなくて快は部屋を見回した。  目に留まったのは本棚の一つにびっしりと並んでいた黒いファイルだった。背表紙に文字はなく、番号だけが一つずつにつけられている。  快は、その中の一つを手に取った。中を開くと目に入ったのは榎本探偵事務所の文字。 「何かあったのか」  悠利がのぞき込んできた。  ファイルに挟まっていたのは、初音家の本家と榎本事務所が交わした書面だった。しかもどうやら年代順に並べられている。 「なんかすげえしっかり管理されてるな。うちとは大違いだ」 「父は几帳面な人だったからな。だが祖父はそうではなかった」 「じゃあファイルに整理したのは親父さんか」 「おそらくな」 「ちなみにうちは先代のじいさんも適当だったらしいけど」 「そうだろうな」  事務所の本棚に積まれている書類を見れば、誰でも納得するだろう。ちなみに亮次にいたっては言うまでもない。  屋敷へ侵入してきた人物の調査や防犯カメラの映像記録など、初音家が榎本探偵事務所と関わった内容ごとに一枚ずつ書類が作成されている。  ぱらぱらとめくりながら、快はふと思った。 「なあ、なんでうちの事務所との付き合いが始まったかって知ってるか?」 「いや。一番のファイルを見ればわかるんじゃないのか」  気になったのはお互い同じのようだった。  快は背表紙に①と記されたファイルを手に取った。その一番上に挟まれている内容に目を通す。 「……なんか金庫の鍵を失くしたとかって書いてあるけど」 「ああ。書いてあるな」 「もしかして、中に入ってたのって俺らが探してる〝箱〟か?」 「だろうな。祖父が当主だった頃はこの家の金庫に保管してあったと聞いている」  そして鍵を失くして榎本探偵事務所に相談したのも、悠利の祖父だ。  おいおい、と快は心の中で呟いた。今までよく無事だったなとつい思ってしまったが、さすがに口には出せない。 「いつから金庫で保管しなくなったんだ?」 「祖父が入院して、当主が父に代わったときだ」  悠利の父親には姉と弟がいる。弟はあまり体が強くなく、若くして亡くなってしまった。  姉は結婚して家を出ていたが、本家にたびたび戻ってきては当主となった悠利の父親の相談に乗っていた。 「古風な考えの祖父は、代々守っているものを家から出すことを頑なに拒んでいたが、父と伯母は家の中で守っていくことに限界を感じていたそうだ」  だがその父と伯母が亡くなってしまった今、〝箱〟を守っている場所はわからなくなってしまった。 「このファイルの中の書類って、たぶんうちにもあるよな。あの本棚に積まれてる中に」 「あの中か」  事務所の本棚には平積みにされている大量の書類があるが、全てが初音家の本家と交わしたものとは限らない。  おそらく色々な書類が混ざっていることだろう。 「読みたけりゃ事務所で読めるってことだな」 「その前に書類を整理するべきだと思うが」 「あーまぁ……悠利も手伝ってくれるって言ってたよな」 「手伝うのはいいがお前自身にやる気がないだろう」  ホームセンターで買い込んだファイルはまだ一冊の途中までしか使われておらず、残りは棚にしまい込まれている。 「いや、やるつもりではいるんだけどさ」  ため息をついて、快はファイルを元の位置に戻した。事務所の本棚に無造作に積まれている書類を目の前にすると、途端にやる気がなくなってしまう。  書斎の本棚を一通り見たが、他に気になるものはなかった。  あとは机の周りだ。 「机の引き出しって開けてもいいのか?」 「ああ。好きに見てくれ」  悠利は自分好みの本でも見つけたのか、〝箱〟の手がかりとは全く関係のない本を開いている。  快は机の引き出しを開けた。一段目には筆記具が几帳面に整理されておさまっている。二段目には紙をまとめるクリップや郵便用の封筒が入っているだけだった。  三段目に入っていたのはコピー機のインクの予備だった。他のものが入る隙のないくらいに敷き詰まっていたが、一応奥まで引き出そうとした快は違和感を覚えた。 (あれ? この引き出しってこんなに浅かったか?)  もう一度、二段目を引き出してみる。やはりこちらのほうが三段目よりも奥がある。  何かひっかかっているのだろうか。  快は三段目を引き抜いてみた。するとそもそもが二段目よりも浅い作りになっていることがわかった。  だがわざわざ引き出しを浅く作るなんて、何か理由がなければしないはずだ。  引き出しを抜いて空いた部分をのぞき込んでみる。 「あ」  快の声に、本を読んでいた悠利が振り返った。 「どうした」 「いやなんか、引き出しの奥に取っ手が」  のぞき込んだ空間の奥に取っ手が見えた。  つかんで引っ張り出してみると、引き出しになっていた。 「引き出しの後ろに、さらに引き出しがあったのか」  だから手前の引き出しが浅く作られていたのだ。 「よく気づいたな」 「ああ。一応奥まで確認して正解だったな」  最後まで引き出さずに閉まっていたら気づくことはできなかった。 「探偵事務所の所員という感じだな」 「そうか? けど俺、探偵じゃねえんだけどな」  ただ探偵事務所で働いているというだけだ。しかもその事務所はほぼ廃業の状態が続いている。  奥から出てきた引き出しに入っていたのは、小さな南京鍵付きのノートと一本の万年筆。 「母の日記だ」  悠利がノートを手に取った。レザー調のカバーに英語でダイアリーとつづられただけのシンプルなものだった。  引き出しに南京錠を開ける鍵らしきものは見当たらなかった。 「鍵開けないと中は見れそうにねえな」 「このくらいの鍵なら壊せそうだが」 「壊すってお前……」  微かに聞こえた音に、快が言葉を止める。 「今、聞こえたか」 「ああ」  部屋の外から足音らしき音が聞こえた。そして今もまた、足音のような物音が聞こえてくる。  この部屋に、快と悠利以外の誰かがいる。 「ちょっと見てくる」  ドアのほうへ向かおうとする快の腕を、悠利がぐっとつかんで止めた。 「なんだよ……あ、おい。力は使うなよ」 「今のは引きとめただけだ。それより足音が近づいてきている」  言われて耳を澄ますと、確かにこちらへ歩いてきている音がする。 (……誰だかわからねえけど、とりあえず悠利だけでも隠れる場所は)  見回しながら、快は悠利の手から腕を離した。  それが気になったらしい。 「なぜ離れようとする」 「は? いやだって、お前すぐ力使おうとするから」 「それが一番手っ取り早い」 「だから絶対駄目だって何度も」  がちゃ、とドアの開く音がした。 「え……悠利さん?」  ドアの向こうから姿を見せたのは、大学生くらいの男だった。眼鏡の奥の目は真っ直ぐに悠利を見ている。 「朋希か」 「お久しぶりです悠利さんっ」  朋希と呼ばれた男は、快の後ろにいる悠利のほうへと駆け寄った。 「この町に戻ってきてたんですね。教えてくれればよかったのに」  彼は嬉しそうな顔で悠利を見上げている。 「知り合いか?」 「ああ。親戚だ」  つまり彼も初音家の人間だ。分家の子、ということだろうか。その辺りに事情が快にはいまだにわからない。 「もしかしてあんた、榎本快?」  朋希に突然名指しされて、快はぎくっとした。 「えっ。えっと、君、俺のこと知ってる?」 「は? なにふざけたことを言って」 「朋希。お前はなぜここにいるんだ」  たずねた悠利のほうへ、朋希がぱっと顔を向ける。 「この家の掃除をするために月に一度くらい来るんですよ。放っておくと埃だらけになっちゃうから」 「朋希くん、どうかしたのかい?」  声とともに開いているドアから一人の男が顔を出した。 「あ、すみません。今悠利さんがここに」 「……誠二郎さん?」  悠利が呟いた。  気づいた男が悠利のほうを見て目を丸くする。 「悠利君か! 久しぶりだなぁ。元気そうでよかった」 「お久しぶりです」  悠利は軽く頭を下げたあと、快のほうを振り返る。 「伯父の誠二郎さんだ。誠二郎さん、彼は榎本さんの息子です」 「榎本……ってことは快君か。いや立派になったものだ」  どうやら誠二郎という人も快のことを知っているらしい。だが快自身は彼のことを覚えていなくて、どう返していいかわからず笑うことしかできない。 「ところで君たちはどうしてここに?」 「俺が彼についてきてもらったんです。六年前のあの日以来、ずっと家に戻っていなかったので」 「そうか……そうだな」  頷いたままで、誠二郎は黙った。  伯母もここで亡くなったと、先ほど悠利が言っていた。  つまり彼の妻だ。ここへ来るのが辛いのは、おそらく彼も同じだろう。だがそれでも、家を維持するためにたびたびここを訪れている。 「ね、悠利さん。今も一人暮らしをしてるんですよね」  朋希が悠利にたずねた。 「よかったらうちに来ませんか。僕、今誠二郎さんと一緒に生活してるんです」 「いや、今は」 「一人でいるよりずっと安全ですよ。ね、そうしましょうよ」  朋希が悠利の腕をつかんだ。  それを見た快は、思わず引きとめるようにもう片方の悠利の腕をつかんで、自分のほうへと引き寄せた。  少し驚いた顔で振り返ってくる悠利の向こうで、朋希がにらむような目を快に向けてくる。 「なんですか」 「あーいや、悠利は今俺のところにいるから。だからお前のとこに行く必要はねえよ」  自分で思っていた以上に、はっきりとした言葉が口から出た。その手はなおも悠利の腕を離さずにいる。 「な、なんであんたが勝手に」 「だから今は一人じゃないから大丈夫だって言ってんだよ」 「そんなのあんたが決めることじゃ」 「そろそろ行くぞ」  言い合う二人に割って入った悠利が、快に言った。 「え、ああ。もういいのか」 「ああ。では誠二郎さん、朋希。また」  部屋を出て行く悠利と快に、誠二郎は笑顔で手を振った。  だが朋希は相変わらずにらむような目線を快に送っていた。

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