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第3話 ⑤

 荒れ果てた庭を、二人は門へと向かって歩いた。 「結局、手がかりらしいものは見つからなかったな」 「ああ。だが来てよかった」  無理をして言っているのではないかと思った。箱の手がかりを探すために六年ぶりに来た家で、辛いことばかりが思い起こされてしまったのではないかと。  しかし振り返らずに家をあとにする彼の顔には、心なしかすがすがしささえ感じられた。 「そっか。ならよかった」  悠利からその言葉を聞けただけでもここに来た価値があった。  庭を出て車に乗り、シートベルトを締めた。助手席に座る悠利の膝には、書斎で見つけた彼の母の日記が乗せられている。 「俺も、ずっと帰ってないな」  ふと、快が呟いた。  悠利と同様に、快も記憶を失くして以来、自分の住んでいた家に一度も帰っていない。〝十一年前の事件〟の記憶だけはあるから、余計に帰ろうという気持ちになれない。 「帰ってみるか。一緒に」  快はシフトレバーをつかんだ手を止めた。  彼となら帰れるかもしれないと、一瞬思った。だが。 「や、すぐにはちょっと」 「そうか」  さすがに今ここで決断はできない。だけどついてきてくれるというのなら、もう一つ行きたいところがある。 「代わりってわけじゃないけど、一か所寄ってもいいか」 「ああ。どこへ行くんだ」 「俺も一人じゃ行きづらいところがあるんだよ」  快はアクセルを踏むと、車を走らせる。  事務所のあるアパートからそれほど遠くないところに、目的の場所はあった。  少しばかり坂を上ったところにある駐車場に車を止めて、さらに階段を上った先に広がる墓地。  快は桶に汲んできた水を、ひしゃくですくって墓石にかけた。 「ここ、俺の両親の墓なんだけどさ。年に一回しか来てねえんだ」  命日に、亮次さんとここに来る。  それ以外で立ち寄ったことはこの十一年間で一度もない。 「それにしては花が綺麗だな」 「亮次さんだよ。こういうとこはマメなくせに、事務所の片づけはしねえんだよな」  花や線香を持ってこなかったので、快はしっかりと手を合わせた。その隣で悠利も静かに手を合わせる。  周りよりも高台にあるせいか、冷えた風がよく通り抜けていた。そのぶん墓地の周囲は見晴らしの良い町の景色に囲まれている。  目線と同じ高さにある空は今まさに、夕日の色に染まり始めるころだった。 「俺、両親のことで覚えてるのって顔くらいでさ。だから……なんていうか、申し訳ない感じがして」 「申し訳ない?」 「覚えてないままでここに立ってるってのが、なんとなくな」  自分たちのことを覚えいないままで墓の前に立っている息子の姿を、どんな気持ちで見ているのだろうかと思うと、居たたまれなくなる。 「けど年に一度しか来ないってのも後ろめたかったから、来れてよかったよ。ありがとな悠利」  今度は一人で来られるかと聞かれたらわからないけれど、今日ここに来られたことで少し心が軽くなったような気がする。 「お前は相変わらず気にしすぎだ」 「それ、亮次さんにも言われたよ」 「細かいことなど気にせず、来たいときに来ればいい。そのほうがご両親も喜ぶ」 「うん。そうだよな」 「それに、これからは一人で来る機会などないだろう」  当たり前のように悠利が言った。俺がいるから、という意味だということに気づかないはずはなかった。 「そう、だな」  快が悠利のボディガードを引き受けている以上、基本的に彼と離れて行動することはない。  その関係は、きっと悠利の抱える初音家の問題が解決するまで続いていく。 「なあ、もし今の問題が解決したらどうするんだ」 「どうするというのは」 「狙われてて危ないから事務所に来たって亮次さんからは聞いてるから」  もし誰からも狙われることなく日常を送れる日が来たら、彼は一人暮らしに戻るのだろうか。 「すると思うか。解決」 「いや。正直、今の時点じゃ見当もつかねえな」 「俺もだ」  夕焼けが広がっていくとともに、空気も冷たくなっていく。  空になった桶を片手に階段を下りていく快に、前を歩く悠利が背を向けたままで呟いた。 「そうか。そうだったな」 「ん?」 「誰からも狙われなくなれば、俺はもうここにいる必要はなくなるんだな」  そのために箱を探しているはずだった。狙われなくなるのは当然いいことであるはずなのに、彼は少しもいいことだと思っていない声をしていた。  快もそうだ。  解決することがいいことだと、どうして思えないのかはもうわかっている。 「別に、理由がなくたっていればいいだろ」  悠利が快を振り返った。 「俺はお前にいてほしいと思ってるから。だから、行くところがないならここにいろよ」  階段の途中にいるせいで彼はいつもより少し快を見上げていた。目を丸くしたその表情には普段とは違う幼さが垣間見える。 「なぜだ」 「え?」 「俺にいてほしいなどと、なぜ」  なぜってそれは、どこへも行ってほしくないからだ。朋希という人のところにも、他の誰かのところにも。  今だけでなく、これからもずっと――…… 「それは、お前が好きだからだよ」  悠利は驚いたように目を見張った。普段はほとんど感情を表に出さない彼が、めずらしく見せた表情だった。その顔がどことなく赤く見えたのはたぶん夕日のせいだ。  伝えた快のほうも、自分の口から出た言葉に少し驚いていた。だけど。 (……そっか。そういうことなんだな)  同時に納得した。  最初は亮次に頼まれて一緒にいるだけだった。  それがいつしか自分の意思で守りたいと思うようになって、危険な目に遭わせたくなくて……これからもずっと一緒にいられたらなんて思うのは、彼のことが好きだからだ。 「けどごめん、お前のこと思い出したってわけじゃないんだ。でも俺、今目の前にいるお前のことを」 「わかっている。ありがとう」  悠利が頷いて、笑った。ほんの少しだけ、だけど確かに微笑んでいた。  彼からは気持ちを伝えるような直接的な言葉はなかったが、その表情だけで十分だった。

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