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第4話 ④
はあ、と吐き出した息に熱を感じた。
「痛って……」
石のつぶてを受けた腕や足が痛んで、快はコンクリートの壁を背に座り込んでいた。
辺りには物音一つなく静かで、足音が近づいてくる気配もない。当然といえば当然だが、超能力のような力があっても特定の人間の居場所を知ることができるわけでないようだ。
快はズボンのポケットに入れていた携帯電話を握った。亮次に連絡を取るべきか迷っていると、メールを受信した携帯電話が振動する。
(! 悠利っ……)
今どこにいる、と。
短い文を送ってきた彼はどうやら無事なようだ。
(今……どこだ、ここ)
快は辺りを見回した。
周囲はコンクリートブロックを積んだ塀で囲まれて、片手をついている地面は雑草で覆われている。
背にしている建物を見上げると見覚えがあった。民家にしては少々特殊な造りをしているそこは歯科医院だった。ただし何年か前に廃業したままで、庭は荒れ放題になっている。おかげで身を隠すにはちょうどいい。
伝えたところでこの場所がわかるだろうかと思いながらも一応伝えて、それよりお前はどこにいるんだと返信をすると再び息を吐いた。
悠利の居場所がわかったらすぐに向かわなければ。
おそらくはまだ近くにいて快を探しているだろうユキムラに、できれば見つからないようにしたいができるだろうか。もし見つかったとして、今の快に対処できるだろうか。
見つかれば今度こそ逃げられないかもしれない。悠利を巻き込む可能性だってあるのに、朋希に連れて行かれたあの瞬間を思い返すと冷静でいられない。
早く会って、無事な姿を――……
ざっ、と草を踏む音に、快はとっさに腰を浮かせた。
ユキムラだろうか。
いくら考えを巡らせていたとはいえ、こんなに近くで足音がするまで近づかれていたことに気づかないなんて。
だが姿を見せたのは悠利だった。
彼はめずらしく息が上がっていた。吐く息が白くなるほど空気が冷えている中で額には薄らと汗も見える。
だが怪我はなさそうだ。
「お前、その傷は……」
顔をしかめてたずねてくる悠利の手をつかんで、快は自分のほうへと引いた。半ば倒れ込むように膝をついた悠利の体を受け止めて、両腕にしっかりと抱きしめる。
「よかった、無事で」
伝わってくる体温に、心の底からほっとする。
「……お前はもう少し自分の心配をしろ」
悠利が赤く血が滲んでいる足の傷に思いきり手を乗せた。
「いっ……! おま、痛いって」
「ユキムラか」
「このくらいですんだだけましだろ」
「ましなものか」
呆れ混じりに言って、悠利は隣に座った。
「それでユキムラはどうした」
「たぶんまだこの辺にいると思う。お前こそ、あいつはどうしたんだよ」
「朋希か。適当にごまかした」
「適当にって、力使って逃げてきたんじゃないだろな」
悠利が軽く口を開いたままで沈黙する。
「おい」
「そんなことより」
「そんなことよりじゃねえだろ」
だが無事に隣で座っている彼を思うと、力を使ったことを否定しきれない。
「少し行ってくる。お前はここにいてくれ」
「は? ちょ、おい待てって
立ち上がろうとした悠利を、快が慌てて引きとめた。
「どこ行くんだよ」
「ユキムラに聞きたいことがある」
「聞きたいこと? つーか一人で行こうとすんなって」
「怪我人は大人しくしていろ」
「このくらいなんてことねえって。ていうか俺もあいつに聞きたいことがあるんだよ」
「そうか。ならすぐにでも引っ張ってくる」
言い回しと口調からどうやら彼が怒っているらしいことはわかったが、当然一人で行かせるわけにはいかない。
「だから待てって! お前にも話したいことが」
「なんだ、悠利も合流しちゃったのか。だめだなあ朋希くん」
はっと顔を上げた先で、塀からユキムラが顔を出していた。
とっさに悠利の前へ出た快が、背後の彼に言う。
「ほら見つかっちまったじゃねえか」
「お前が大きな声を出したせいだ」
言い合う二人の前に、ユキムラが塀を乗り越えて下り立った。その不自然なほどに軽い身のこなしは、力をうまく使って作り出したものに違いない。
「ま、いいや。で? 所長には電話した?」
「するわけねえだろ」
すかさず答えた快に、悠利がたずねてくる。
「どういうことだ」
「亮次さんが鍵のありかを知ってるはずだって言ってきかねえんだよ」
もしかしたら知っているかもしれない、という思いは快の中でもぬぐいきれていない。
だが知っているとしてもいないとしても、この場に呼び出すようなことなど絶対にしない。
「箱を手に入れてどうするつもりだ」
悠利の冷静な声がユキムラに問いかけた。
「なに? 教えてあげたら箱を渡してくれるって?」
「そんなことは言っていない」
大体、悠利も快も箱のありかを知らないのに教えられるはずがない。
ユキムラは腕を組んで、少しだけ悩むような仕草をする。
「どうするつもりって、君たちと一緒じゃないかなと思うけど」
「一緒?」
問い返した快に、そう、とユキムラが頷く。
「廃棄するんだよ。二度と誰の手にも渡ることがないようにね」
意外だった。
悪用するつもりに決まっていると、快は勝手にそう思っていた。まさか彼らも廃棄することが目的だったなんて。
だが一緒なのはそこまでだった。
「で、そのあと俺と誠二郎さんは死ぬから。もちろん朋希もね」
冗談で言っているわけではないことは、ユキムラの目を見れば嫌でもわかった。
そのうえで、彼が当たり前のように言う。
「悠利、君も一緒に死ぬよね」
「なっ」
快が思わず声を上げた。
「だって初音の力をこの世から失くすにはそれしか方法がないって、誠二郎さんが言ってたから。君もそう思ってるんでしょ?」
この世から初音家の力を失くしたいと思っているのなら、おそらくそれは正しい。力を持つ人たちが全員いなくなれば、力を持つ人間がこれ以上生まれることもなくなる。
黙ったままでいる背後の悠利が何を考えているのか気になったが、それよりも目の前のこの男だ。
「勝手に決めつけるんじゃねえよ」
「そうかな。決めつけてるのは君のほうかもよ」
そうかもしれない。
だが何と言われようと快の気持ちは変わらない。
「かもな。けど、もしそうだとしても悠利は俺が絶対に死なせねえ」
たとえそれが快のわがままだとしても。
そんな快の言葉を予想していたかのように、ユキムラが笑う。
「だろうね。君ならそう言うと思ってたよ。だから、やっぱり箱より先に始末しておこうかな」
ユキムラが手のひらに乗せた小さなカプセルを口の中に放り込む。
(! あの薬)
さっきもカプセルのような薬を飲んでいた。そのあと彼は力を使い始めて――……
ユキムラが腕を伸ばして両手を広げた先は、快と悠利の背後の建物だった。
ミシ、と嫌な音がした。建物が軋んだ音だと気づいて振り返った直後、ガラガラと崩れてくる壁が目に飛び込んでくる。
快はとっさに悠利を抱え込んだ。だが一向に瓦礫が降ってくる気配はない。
不思議に思った快がそっと目を開けて見上げると、落ちてくるはずの瓦礫が頭の上で浮いていた。
止めたのは、悠利だった。彼が掲げている右手も、地面について体を支えている左手も震えている。
「悠利っ」
「っ……逃げろ、快」
「んなことできるわけ」
「すごいなぁ、これだけのコンクリートの塊を支えるなんて。だけど、いつまでもつかな」
ユキムラに言われるまでもなく、悠利は見るからに限界だった。彼の腕を引っ張ってここから離れるべきか。だが、彼が動いた途端に落ちてくるだろう瓦礫を避けきることができるとは
到底思えない。
どうする。どうすればいい。早く何とかしないと悠利が。
地面についている悠利の手が、いつの間にか快の足首をつかんでぎゅっと握った。
気づいて、ぎくっとする。
「ばっ……」
これ以上力を使っていいはずがないのに、止める間もなく悠利は快とともに浮かぶ瓦礫の下から姿を消した。
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