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第4話 ⑤
お酒の入ったグラスを片手に、カウンター席の誠二郎が見上げた。
「それにしても君は変わらないね」
「そう? ありがとう。あなたも元気そうで安心したわ」
実華子が彼と最後に会ったのは、もう五年以上は前のことだ。
彼の妻と、悠利の両親の葬式の日。
あの時の誠二郎はよく覚えている。見るからに憔悴して気落ちしている彼の姿に、実華子は声をかけることができなかった。
なので、最後に言葉を交わした日からはさらに年数が開いている。
「なにかつまむものでも用意しましょうか? 簡単なものならすぐにできるけど」
「いや、いいよ。すまないね。閉店の時間はとっくにすぎているのに」
「大丈夫よ。お店の子には先に帰ってもらったし、私もこうして片づけをさせてもらってるから」
「そうか」
誠二郎が空になったグラスを置いた。
「次も同じのでいいかしら」
「ああ、ありがとう。そういえば亮次君とは今も付き合いがあるのかい?」
「そうね。たまに来るわよ」
「よかったら連絡を取ってくれないかな。ぜひ彼とも久しぶりに話がしたいんだ」
「こんな夜中に?」
「どうせ彼は朝も夜も関係ないような生活をしているんだろう?」
誠二郎の容赦ない言いように、実華子がくすくすと笑う。
「そうでしょうね。でも私、残念ながら彼の個人的な番号は知らないの。事務所もこんな夜中じゃつながらないでしょうし」
「嘘をつくのがうまいね」
あっさりと誠二郎が言った。
「本当は知っているのだろう。君はあの事務所をよく出入りしているようだし、彼、昨日もここに来ていたようだからね」
「あら、よくご存知ね。でも、どちらにしてもこんな非常識な時間に連絡を取るつもりはないわよ」
「なら質問を変えよう。箱を持っているのは亮次君かね?」
「箱? なんのこと?」
「とぼけても無駄だよ。どちらかだ。亮次君をここに呼び出すか、箱のありかを言うか」
カタ、と、実華子の背後の棚に並んでいるウイスキーのボトルが不自然に揺れる音がした。
驚くことも慌てることもしなかったのは、先に亮次から聞いていたからだ。
誠二郎はもしかしたら初音家の力を持っているかもしれないと。
「困ったわ。そう言われても、私にはどちらもできそうにないし」
「そうか。それは残念だ」
ガタンという大きな音に、実華子は思わず振り返った。棚に置かれていた大量のキープボトルが、床にではなく、こちらに向かって降ってくる。
「実華子!」
カウンターの奥から飛び出してきたのは亮次だった。実華子を覆い隠すように抱え込んだ彼にボトルが落ちて、激しい音を立てて割れた。
「亮っ」
顔を上げた実華子に、血の混じったウイスキーの雫が落ちてくる。
「あーあ、こりゃ弁償するってなったら結構な額だぞ」
「そんなこと言ってる場合じゃ」
「店の奥に隠れていたのか」
誠二郎はいつの間にか立ち上がっていた。割れたボトルで傷を負った頭や手足から血を流して座り込んでいる亮次が、彼を見上げる。
「別に隠れてたわけじゃねえよ。閉店したら実華子とゆっくり飲もうかと思ったら、あんたがなかなか帰らねえからさ」
「まあどちらでも構わないよ。あなたには聞きたいことがあってね」
「聞きたいこと? ならうちの事務所に来りゃいいのに」
亮次は額に流れてきた血を服の袖で無造作にぬぐった。
「ここのほうが何かと都合がいいんだよ。それで、うちに代々引き継がれている箱をあなたが持っているんじゃないかと、私は思っているんだが」
「代々引き継がれてるものならお前が持ってるんじゃねえのか」
「持っていないから聞いているんだよ。悠利も朋希も知らないとなれば、あとはうちと関わりの深かったあなたしか考えられない」
「そう言われてもな」
「簡単には口を割らないだろうことはわかっているよ。だからここに来たんだ」
カウンターの向こうに立っていたはずの誠二郎が姿を消した。直後、目の前に現れると同時に実華子の腕をつかもうとする。
亮次がすかさず彼をつかんで止めた。
「おいおい、ひきょうだろっ……」
すると誠二郎が亮次の腕をつかみ返した。
「こうでもしなければ捕まらないと思ったんだ。あなたはすぐに逃げてしまうからね」
「……俺はいつだってあの事務所にいるんだ。逃げも隠れもしてねえよ」
「でも今、しらを切り通して逃げるつもりだったのだろう」
「だからそういうわけじゃ」
「亮、伏せて!」
実華子の声に、亮次はとっさに顔を伏せた。
ばしゃっと何かがかかる音とともに、ぐ、と誠二郎のうめく声がする。彼が亮次から手を離して自身の顔を覆ったその隙に、亮次と実華子はカウンターの奥へと駆け込んだ。
両側に棚の置かれた狭い通路を真っ直ぐに抜けた先のドアから出れば、そこには一台の車が止まっている。
実華子がこの店へ来るためにつかっているものだ。
「私が運転するから」
運転席に乗った実華子は、助手席に亮次が乗ったのを確認すると車を発進させた。
バッグミラーで確認したが、誠二郎が追ってくる様子はない。
「痛って!」
道路のくぼみにはまった車がガタッと揺れて、亮次が思わず声を上げた。
「ちょっと大丈夫?」
「なんかあちこち痛えんだよ」
「当たり前じゃない。あんなにたくさんの瓶の破片を被ったんだから。言っとくけど、これ以上にゆっくりは運転できないわよ」
「なに怒ってんだよ。で、あいつの顔に何かけたんだ」
「お酒よ。そばにあった瓶の中に残ってたの。店にある中でもかなり度数の高いものだったから、すぐには目が開かなかったんじゃないかしら」
「度数高いと目にしみるのか?」
「やってみたことはないからわからないけれどイメージよ、イメージ」
実際にどうなのかはわからないが、おかげでひとまずは誠二郎から逃れることができた。
「ねえ、それより。なんであの人、初音家の人と同じ力を持ってるの?」
婿養子として初音家に入った誠二郎は、初音の姓を名乗って入るが、初音の血は流れていない。
「さあな。んなもんは本人に聞けよ」
「聞けないからあなたに聞いてるんじゃない」
亮次は何も答えなかったが、一つ、ずっと気になっていたことがあった。
悠利の両親と彼の妻が殺される数日前、誠二郎は初音家が力を得るきっかけとなったと言われているものを持って行った。
それは木乃伊の粉だという代物で、当時の彼が勤めていた大学の研究室で成分調査をするために許可を得てその一部を持ち出した。
その後事件が起こってしまい、成分調査をしたのかはわからない。だが、どちらにしてもおそらく彼の手元に残っているはずだ。
だから、考えてしまう。
もしかしたら彼はそれを飲んで力を得たのではないかと。
「で、どうするの?」
暗く静かな道路を運転しながら実華子がたずねてくる。
「ちょっとこのまま走っててくれ。あいつらが心配だ」
亮次は携帯電話を取り出して操作すると、耳に当てた。
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