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第4話 ⑦

 目が覚めると、電気のついていない部屋は見慣れない景色だった。 (……そっか、実華子さんの家だっけ)  はー、と吐き出した息がいつもより少し熱かった。もしかしたら熱が出ているかもしれない。  顔を横に向ければ、隣では悠利が静かに眠っていた。顔色も、路地にいたときと比べればだいぶ良くなっているように見える。  起こさないように布団から出ると、快は部屋をあとにした。  廊下を通って向かった先のキッチンは電気がついていて明るかった。のぞくと、亮次がグラスを片手にダイニングのイスに座っていた。 「何飲んでんだよ、怪我人のくせに」  顔を上げた亮次が飲み物の入ったグラスを振ってみせる。 「酒じゃねえよ。水だ、水。お前こそ怪我人のくせにこんな時間まで起きてんじゃねえよ」 「寝てたけど目が覚めちゃったんだよ」  快が亮次の向かいの椅子に座り込む。 「お前、顔赤くねえか」 「あー、うん。なんかちょっと暑くて」 「熱あるんじゃねえのか。ったく、ちょっと待ってろ」  亮次は立ち上がると、冷蔵庫を開けてスポーツドリンクのペットボトルを出した。それをマグカップに注ぐと電子レンジに入れる。 「なんであっためるんだよ。熱いって言ってるのに」 「ちょっとぬるくしただけだ。冷えすぎてるとかえって良くねえんだよ。ほら」  快の前にマグカップを置いて、亮次が椅子に座り直す。 「実華子さんの家って何でもあるんだな」 「あいつ、ジム行ってるからスポーツドリンク常備してんだよ。それ飲んだら寝ろよ」  マグカップの中のドリンクに口をつけると、確かに少しだけぬるくなっていて、冷たすぎるよりも飲みやすい気がした。 「なあ。亮次さんって、箱のありかを知ってるのか」 「なんだ、いきなり」 「初音家と関わっていて箱を持ってる可能性があるのは亮次さんしかいないって、そう言われたから」 「あのユキムラってやつにか?」 「そう」  短く頷いて、快は亮次の言葉を待った。  亮次に動揺している様子はなく、いつもと変わらないように見えた。 「俺が知らないって言ったら、お前はどっちを信じる?」  冗談なのか本気なのかわからない口調も相変わらずだった。普段通りに軽く笑いながらたずねてくる亮次に、快も迷わず答えた。 「そりゃ亮次さんを信じるよ」 「あっさりだな。俺が嘘ついてたらどうすんだ」 「どうするって言われても困るけど、そもそも亮次さんが俺たちを困らせるような嘘をついたりするとは思ってないし」 「そりゃずいぶん信頼されてんな」 「まあ一応ね」  長く一緒に暮らしてきた、快にとっては親代わりのような人だ。そのくらいは信頼している。  亮次がいつもより長く息を吐いた。 「お前の言うとおり、俺が持ってる」  驚いたのは少しだけだった。それ以上にやっぱりという思いが勝っていたのは、快の中でも亮次以外に思い当たる人がいなかったからかもしれない。 「それ、悠利にも言ってないんだよな」 「ああ。言ってない」 「なんか理由があるんだろ?」 「理由ってほどのもんがあるわけじゃねえよ。ただ、ずっと迷ってた。あの箱は初音のもんだから、あいつに言うべきだとは思ってたんだが」  一度言葉を切って、亮次が再び息を吐いた。 「言ったらあいつ、箱持って一人でどっか行っちまいそうだろ」 「あー……まあ、確かに」  今の彼でもやりかねないのだから、以前の彼は余計にそういう雰囲気だったのだろう。 「そうでなくてもなかなか捕まらなくて、ずっと困ってたんだからよ」 「それ、俺の面倒見てたからだろ」  そのくらいのことは快だって気づいているし、本当は知っている。亮次が、なるべく快と一緒にいるために仕事を控えるようになったことを。  悠利のことも、快のほうを優先していたからなかなか話をする機会を作れずにいたのだろう。 「俺、もう二十五だし。平気なのに」 「子供ってのはいつまでたっても心配なもんさ。お前は俺と真治の大事な息子だからな」 「なんだよそれ」  はじめて言われた言葉に、快がばつの悪そうな顔をする。 「なんだ、照れてんのか」 「うるさいな。それよりなんで最近事務所にいなかったんだよ。亮次さんが箱を持ってるってことは、当然箱のことを調べてたわけじゃなかったんだろ」  箱のありかを調べる、みたいなことを亮次は言っていたが、自分が持っていたのならその必要はなかったはずだ。 「実華子のとこに相談に行ってたんだよ。あいつは昔っから事情を知ってるからな」  これからどうするべきなのか。  箱のことを快や悠利に話すべきか。それとも箱を処分してしまったほうが彼らのためになるのか。  結論が出るとは思っていなかったが、それでも一人で抱え込むよりは亮次も話す相手がほしかった。そしてその相手は、初音家の事情をそれなりにわかっている実華子しかいなかった。 「箱がどこにあるのかって、聞いてもいいのか」  快は少し控えめにたずねた。自分なんかが聞いてもいいのかという思いもあり、悠利よりも先に知っていいのかという思いもあった。  亮次はもう隠すことはしなかった。 「貸金庫だ」 「貸金庫?」 「銀行が貴重品を預かってくれるシステムのことだ。悠利の両親が生きてたときからずっとそこに預けられてる。で、ここにその鍵が入ってる」  亮次がズボンのポケットから出したファスナーつきの小銭入れは、ウォレットチェーンでベルトとつながっていた。 「そんなとこに入ってんのかよ」 「事務所に置いとくのも不安でな。だから金庫が開けられることは絶対にありえねえはずなんだが」  亮次が言っているのはユキムラのことだった。  初音家以外の人が力を得る方法は、貸金庫の中にある箱の中を見ればわかるという。 だが貸金庫の鍵は亮次が肌身離さず持っている。  箱の中を見ることができるはずもなく、初音家の血縁でもないユキムラがなぜ超能力のような初音の力を持っているのか。 「なあ。確認したほうがいいんじゃないのか」  ずっと預けられたままになっている貸金庫。  万が一開けられていたなどということになれば大変なことだ。 「そうだな、一度確認するか。ま、お前の病院が先だがな」 「なんだよいきなり」 「まずその怪我を何とかしろって言ってんだよ。熱まで出しやがって、お前も悠利もこれ以上心配させるんじゃねえよ。ほれ、さっさと寝ろ寝ろ」 「亮次さんだって怪我してるくせに」 「俺はいいんだよ」 「よくねえよ」 「いいからお前は早く悠利のとこに戻ってやれ。あいつも相当無理したんだろ。様子見ててやれよ」  そう言われると部屋に戻らないわけにはいかなくなって、快がイスから立ち上がる。 「亮次さんも早く寝ろよ」  キッチンを出る前に念を押した快に、亮次はまるで素直に聞く気がなさそうに軽く手を振った。

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