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第2話 罪と罰

漂う気の濃さのせいか、実際にそうなのか分からないが、廊下が仄暗い。 気を抜くと、視界がぐにゃりと歪む。 廊下を右に曲がると、脇に小さな行燈がはんなりと灯っている襖があった。 ぴりぴりと刺すように肌が痛む。 襖の前に膝をついたが、引き手にかけた指が震えるのを止められない。 「失礼いたします」 我知らず、雅仁は奥歯を噛み締めて襖を開け頭を下げた。 俯いたまま室内ににじり入ると、振り返って襖を閉める。 思い切って正面に向き直ると、畳に手をついて深く深く頭を下げた。 「ご無沙汰しております。咲原でございます」 部屋の中は香が焚かれており、ほんのりと麝香(じゃこう)が渦を巻いていた。 その向こうで、この屋敷の主がくつくつと笑っている。 「本当に無沙汰だったねえ?てっきり私は忘れられてしまったのかと思ったよ」 雅仁より10ほど若い男の声だ。実際は気が遠くなるほどに年上だが。 「とんでもございません、若草様」 威圧感で頭を上げられない。髪を掴んで畳に押し付けられているような気さえする。 主はやや声音を和らげた。 「まあいい、そんな端にいないでこちらにおいで」 「ご勘弁ください。私のような若輩者にはこれ以上は厳しゅうございます」 強烈な妖気にあてられて、頭がぼうっとしてくる。 「ふふふふふ。あはは。私をほったらかしにするとどうなるか、少しは分かったかい?」 心底楽しそうな笑い声が、麝香とともに柔らかく部屋を漂った。 雅仁の頭の中に入り込んで脳をじわじわと侵食する。 「申し訳ございません。どうかご堪忍をば」 「これに懲りたなら、もう少し遠慮無く遊びにおいで」 その言葉と共に、突如として威圧感が嘘のように消え去った。 極限まで気を張っていた雅仁は突然のことに腕の力が抜けて、俯いたまま前に崩れ伏した。 「おやまあ。大丈夫かい?」 主が立ち上がり、こちらにやって来る。 裸足の足が見えたかと思うと、腕を捕まれ強い力で引き上げられた。 視界に入ったのは、烏の濡れ羽色の髪、見る者全てを惹き込む闇色の大きな瞳に、淫らなほどに蠱惑的な紅い唇。 年は20前後に見える。 「不調法をいたしました。申し訳ありません」 座り直した雅仁は再び頭を下げる。 「ところで。いつまでそんな態度でいるつもりだい?つまらないよ」 目を細めた主は上座に戻り、脇の小さな文机に頬杖をついてしなだれかかった。金赤の着物に、蜂蜜色に蝶が舞う女物の打掛を羽織っていて、倒錯した色気が溢れている。 「まずはこちらにおいで」 主が手招きをする。 雅仁はふらふらと主の前に寄り、座り直した。 「若草様」 雅仁が名を呼ぶと、即座に訂正される。 「紅月(こうげつ)。そう呼びなさい」 「はい」 「それから、その態度も止めなさい。昔はそうじゃなかったろう?」 「はい」 雅仁は返事をすると、天井を仰いで幾度か深呼吸をした。 ごくりと唾を飲み込むと、目の前の男を見つめ直す。口を開いた。 「紅月、久しぶりだな」 漸くにこりと紅月が笑んだ。 紅い唇が綺麗な弧を描く。 「そうだねえ。何年ぶりか分からないけれど」 「すまんな。世俗に染まると時が経つのが速くなる」 雅仁は言いながら正座していた足を崩し、胡座をかいた。 「雅仁は相変わらず人間が好きだねえ」 「まあな。変化が絶えなくて飽きない」 「よく言うねえ。昔は食ってたくせに」 「それも込みで、だ」 雅仁は片頬でにやりと笑った。

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