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第4話 銀の猫
そうしていると、するすると襖が開いて紅月が戻ってきた。
「おやおや、良かったね藍。雅仁に可愛がってもらえて」
藍が照れたようにそっと雅仁の後ろに隠れる。
「隠れなくてもいいじゃないか、藍」
「いえ、あの」
何と答えていいのか、藍が初めて顔を赤らめてもじもじしている。
一方紅月は元の文机にもたれて手でぱたぱたと顔を扇いだ。
「ああ、楡の聞きわけが悪くて私がのぼせかけたよ。まったく、風呂くらい素直に入れないものかねえ」
今度は暗紅色の浴衣に、薄葡萄に大輪の白菊の打掛を肩に掛けている。湯で温まってより紅くなった唇と相まって色気を増している。
「あ、あの、只今酒肴の準備をいたします」
藍が慌てて立ち上がると、紅月が手のひらで押し留めた。
「いいよ。今楡 が支度しているから。……ああ、立ったついでにそろそろ香を片付けておくれ」
「畏まりました」
文机の前にあった香箱を持って、藍が部屋を出て行く。
「紅月。酒、美味いぞ」
雅仁は紅月に向かって猪口を掲げて見せた。
「だろう?今日のために用意したんだからねえ。雅仁に気に入ってもらえて良かったよ」
にぃっと目を細めて満足そうに紅月が笑った。
「もう、楡ったら遅いねえ。雅仁、一杯おくれ。私も楽しみにしてたんだよ」
雅仁は空になった猪口に酒を注ぎ直して紅月に渡した。
紅月は白魚のようなすんなりした指で猪口を持つと、紅い唇をつけた。
「はあ。いいじゃないか。香りがいい」
嘗めるように少しずつ酒を口に含む。
うっとりと目を閉じて、文机に体を預けている。
まるで一枚の絵のような光景だ。思わず雅仁は紅月に見惚れていた。
「失礼いたします」
藍ではない少年の声が廊下から聞こえ、雅仁ははっと我に返った。
ややむすっとした雰囲気の少年が、紅月の分の酒肴の膳を運んできた。
藍より少しだけ年嵩に見える。9、10くらい。
「ふふ。楡、ようやく乾いたのかい」
紅月は手にしていた猪口をぐっと干すと、雅仁に返した。
膳を紅月の前に置いた少年を抱き寄せると、耳に口づける。
ただし、耳とは言っても猫の耳だ。
銀色の髪をした彼の頭には、ぴんとした猫の耳が二つ立っていた。
大きな目は少し目つきが悪いが、瞳が金色をしていて、瞳孔が三日月のようだ。
腰の辺りからは銀色で長く細い尻尾が二本生えている。
「猫、又、か?」
雅仁は唖然としながら訊いた。
「そうだよ。先月拾ってね。まだ成りたてだから変化が上手くできないのさ。ふふ。可愛らしいだろう?」
紅月が腰を抱いたまま頬に唇を触れると、恐れを知らない楡はふーっ!、と総毛立てて主を威嚇した。
紅月は構わず笑顔で猫耳を撫で付ける。
「楡、貴方どなたに向かって何をやっているのか解っているの?」
意外な所から叱責の言葉が飛んできた。
楡を睨んでいるのは、ちょうど戻ってきた藍だった。
どうやら本気で怒っている。膝の上の握りこぶしが震えている。
「藍。これくらいいいだろう。落ち着きなさい」
逆に紅月が藍を止める。
「でも、ぬし様に牙を剥くなんて、そんなこと」
「可愛いものじゃないか。大丈夫、度が過ぎたらちゃんと仕置きをするから、ね」
仕置き、の言葉に、楡がびくりと飛び上がり、しゅんと大人しくなる。
ようやく徳利に手を伸ばし、しぶしぶといった感じで紅月に酌をした。
「そうそう。ちゃんとしてれば可愛がってあげるよ……なんだい雅仁、楡はあげないよ」
思わず楡を凝視していた雅仁は我に返った。
「いや、猫又の友人はいるんだが、人と猫が混じっている姿は初めて見たもので、驚いた」
京が猫又だが、猫の姿の時は完全に猫だし、人の形の時は、雅仁同様他の人間と見分けがつかない。
現に、今は人に化けて塾の講師をして糊口を凌いでいる。
「そうだね。この姿じゃ色々不便だからね。でもああ、ずっとこうだったらいいのに。ねえ楡」
「すぐにちゃんと化けられるようになります」
楡が強がる。それすらも紅月は好ましく感じるらしい。愛おしそうに頬ずりをした。
「ふふふ……。ああすまない雅仁。お前も湯殿を使っておいで。いつまでもその格好じゃ肩が凝るだろう?藍に案内させよう」
紅月は片手を上げると出入り口を示した。
「咲原様、ご案内いたします」
立ち上がった藍がにっこりと微笑んだ。
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