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⑤‐5

「……っ」  百合亜は息を呑んで俺と三条の顔を怯えた瞳で見やったあと、今にも泣きそうな顔になって踵を返す。 「お、おい? 百合亜!? ……っ」  追いかけようと立ち上がった俺の腕が引っ張られた。 「先輩、行かないで」  三条のか細い声と冷たい指先が絡みついていた。 「さ、三条?」 「……ごめんなさい、先輩の彼女に酷いこと言って、ごめんなさい、ごめんなさい」  何かに追い詰められ、途方に暮れたような瞳で俺を見上げ、三条は「ごめんなさい」という言葉を繰り返す。 「ごめんなさい、僕、もう、早く死にたい」  三条は腹に手をやると、さっき取り換えられたばかりのガーゼを引き剥がした。黄色い膿がガーゼに染み込んでいる。 「な、何してんだ!」  俺は慌ててその手を掴む。 「ごめんなさい、僕、先輩のことが好きで、好きで、好きで堪らなくて、先輩に僕を食べて欲しくて、だから……」 「な、何言ってる……」 「毎日、先輩に僕を食べてもらうことだけが僕の幸せで、でもこうなったらもう、先輩に食べてもらうことさえできないからっ。だから僕は……」  三条はうわ言のように喋り続ける。  その両目は俺に向けられてはいたが、焦点を結んではいなかった。 「どういう意味だ! 俺はおまえを食べてなんか……」  混乱する頭でそう言いかけたときだった。  毎日、屋上で三条から手渡されるおにぎりが脳裏を過った。  あの中の肉は……?  三条の抉れた腹が目に入る。 「…………っ」  猛烈な嘔吐感が俺を襲った。 「先輩、好きになってごめんなさい……っ」  それは、人肉を食べたという不快感からくるものではなかった。 「ごめんなさい、ごめんなさい……」  こんなにも三条の身も心も傷つけていたことに、微塵も気づかなかった自分自身に対しての途方もない後悔からだった。 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」 誰かを好きになって、「ごめんなさい」という言葉しか口にできない三条。  そうさせてしまった俺。 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」  胸の奥が痛いほどに熱くなって、掴んでいた三条の手を自分の元に引き寄せた。窓から入る飴色の夕陽が、俺と三条を照らす。 「三条……」  込み上げてくるこの感情が何なのかはわからない。俺は三条の病衣の袖を捲った。心臓がドクリ、と音を立てて強く鳴る。 「もう、謝らなくていい」  俺は静かに言って、三条の真っ白な腕の内側に顔を寄せた。 「あ……」  唇が触れると、三条の口元からあえかな声が零れる。  舌で肉の柔らかさを確かめたあと、俺はそこに歯を立てた。 「あああっ、先……輩、」  三条が背筋をのけ反らせ、喉元を晒す。絶望に浸されていた瞳は、恍惚の色を灯し始める。  ギリリと歯に力を込めると、微かな鉄の味がしてきた。 「……っ」  三条の目尻から、涙が一筋、流れ落ちた。 「三条は、すごく、美味しいよ……」  滴り落ちる鮮血に唇を染めながら、俺は忘我の声を出した。  身体の芯が疼き、初めて味わう幸せに胸が満たされていく。   ――と同時に、どこか深い奈落に、堕ちていく感覚がした。 ***「Shangri-la」終わり

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