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⑥‐2

比呂くんが他の作品を、他の誰かを、他の何かを褒める言葉を聞くと、僕の心の中がどんどんどんどん黒く染まっていく気がした。 心臓がギュッと掴まれみたいに苦しくなって、比呂くんが僕から離れて遠くに行ってしまうように感じる。 「ほら、真音。こっちの絵もすごいぞ? 見てみろよ」 「ほ、他の絵なんか、見ないでよ!」 思わず、叫んでいた。 静かな館内に僕の声だけがこだまする。 比呂くんがキョトンとした顔で僕を振り返った。 周囲の人々も驚いたように僕を見ている。 「あ……」 顔に熱が集まっていく。 僕はキュッと下唇を噛むと、居たたまれなさにその場を駆け出していた。 「真音!」 比呂くんの声が追いかけてくる。 だけど僕は立ち止まらず、美術館の玄関を飛び出す。 「……はあ、……はあっ」 薔薇の咲く庭を通り過ぎて、いつの間にか、美術館の建物を取り囲む雑木林の中に迷い込んでいた。 足元が落ち葉でふかふかしている。 「真音っ!」 鋭い声とともに、肩を掴まれ、ぐいっと後ろに引かれた。 無理やり振り返らされた僕の前に、肩で息をする比呂くんが現れる。 「急にどうしたんだ、真音」 困惑しきった表情に見下ろされた。 「だって……、」 僕は項垂れて、苦しい胸の内そのままの苦い声を漏らした。 「嫌で嫌で、堪らないんだ……」 「え?」 比呂くんの戸惑う声に、顔を上げた。 僕より頭一つ背が高い比呂くんの眼鏡の奥の瞳を、まっすぐに見上げる。 「僕のだけ、見てよ。比呂くんのその目に、僕の絵しか映さないでよ!」 言いながら、比呂くんの手首を掴んだ。 「僕を見てよ! 僕だけを見てよ! 嫌なんだ、比呂くんが僕以外のものを褒めるのが、僕以外を見るのが嫌なんだっ」 知らず知らず、涙が滲んでいた。 目の前にある比呂くんの驚いた顔がぼやけて見える。 僕は比呂くんがどこにも行かないように、その手首をきつく握り締めた。 「真音」 比呂くんは硬い声音で僕の名前を呼ぶと、まるで小さな子供を叱るかのように眉根を寄せて、少しだけ、背を屈めた。 そして僕に掴まれていないほうの手を、僕の肩にそっと載せる。 「真音にも見えるんだろう? この世の中には美しくて、心躍る素晴らしいものが溢れてる」 静かに、諭すように、比呂くんが僕に語りかける。 「こんなに素晴らしい世界を俺一人で見ても、絶対につまらない。俺はこの世界の美しさを、素晴らしさを、胸が痛くなるほどの感動を、真音と分かち合いたいんだ」 比呂くんは眼鏡のブリッジを押し上げながら背筋を伸ばすと、ちょっぴり肩を竦めた。 「真音、だからだよ」 一気に柔らかくなった声と表情に僕の目から大粒の涙がひとつ、零れた。 「俺はこれからも、真音と、この気持ちを分かち合っていきたいんだ。だめかな?」 「う……っ、」 次から次へと涙は溢れ出し、俯いた僕の頬を濡らしていく。 僕は比呂くんの手首を掴んでいた手を、やっと離した。 「ほら、顔を上げて?」 比呂くんは僕のその手を拾い上げ、ギュッと繋いでくれる。 「太陽が傾き始めてるよ。夕焼けがとても綺麗だね」 比呂くんの穏やかな声に、僕は洟を啜りながら、顔を上げた。 闇に染まり始めた木立の輪郭から残照が零れていた。 藍色の空の中を橙色に染められたうろこ雲が流れていく。 いつもと代わり映えのしない夕焼けなのに、なぜか僕の胸の奥をきゅううっと切なく締めつけた。 「……うん、とっても、綺麗だね」 僕は比呂くんのあたたかい手のひらを握り返す。 比呂くんと一緒に見た夕焼けは、ひとりで見るよりずっとずっと、心に沁み込んだ。 ***「僕だけの水玉」終わり

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