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⑧‐2
「うわっ、マジ可愛か!」
「あげんか子がマネージャーやったらなぁ」
入江と小森谷はその女子を見てこそこそと囁いたあと、俺を振り返った。
「こげんして見ると、やっぱ川瀬は男、やねぇ」
「ああ、俺、危うく道踏み外すとこやった」
入江がクスクスと肩を揺すって笑い始める。
「おまえら、いい加減……うわっ」
俺が呆れ顔で嘆息したときだった。
ぐいっと腕が引っ張られる。
驚いて顔を上げるとそこには俺の手首を掴んだ高峰が立っていた。
「な、なんやんっ、高み……っ」
俺の戸惑いの声は高峰の横顔を見て、喉の奥に呑み込まれる。
見たこともない表情だった。
怒り、困惑、後悔、躊躇、そして決意。
高峰は俺の手を引いて、大股で歩き始める。
「あ? どうしたっちゃん?」
小森谷が呆けた顔で声を掛けてくる。
「ちょっと、あんま乱暴に扱わんでよ! まだ仮止めやけんね!」
背後から町田の悲鳴も聞こえた。
けれど高峰は立ち止まらず、ぐいぐいと俺を引っ張って家庭科室を出る。
「ちょ、高峰っ」
俺はドレスを着たまま、引きずられるようにして廊下を歩いた。
長いスカートが脚に纏わりついて何度も転びそうになる。
すれ違った男子生徒が驚き顔で俺たちを振り返った。
(こげんかと、昔の映画であったよな。花嫁を教会から連れ出して……)
混乱した頭の中で俺はそんなことを思い出していた。
高峰の大きな手のひらに掴まれている手首が痛い。
そして、伝わる体温はひどく熱かった。
高峰は廊下の一番突き当りの教室の扉を勢いよく開ける。
顔を差し入れ、誰もいないことを確かめると、中に俺を押し込んだ。
「高峰、おまえ、どげんした?」
当惑の声を上げる。
しかし高峰は無言で俺にずかずかと歩み寄ってきた。
「な、なんやん」
思わず後ずさりする。背中に窓が当たった。
「……っ」
背の高い高峰から見下ろされる。
「川瀬」
高峰は俺の名を呼び、苦い塊でも呑み込んだかのように、眉根を寄せた。
「だから、なんやんって」
苛立った声を上げると、高峰は深い息を吐いて、まっすぐに俺の顔を見据えた。
「……あげんか女より、おまえのほうが綺麗か」
「……っ」
思い詰めたような低い声。
心臓が壊れてしまったかと思うくらいに飛び跳ねる。
頬がカッと熱くなった。
「おまえのほうが、ずっとずっと綺麗か」
俺は高峰を呆然と見上げたまま、喘ぐように浅い呼吸をした。
「俺は……ずっと、おまえが」
「わかっとるっ」
遮るように叫んで、高峰から勢いよく顔を背けた。
「わかっとる。わかっとる、けん……」
俺は同じ言葉を馬鹿みたいに繰り返しながら、ギュッとドレスの太腿辺りを握り締める。
夕焼けに染まる二人だけの教室。
影を伸ばす机の脚。
過ぎ行く季節を惜しむようにツクツクボウシが声を絞る。
あの頃の俺たちはまだ、何もわかっちゃいなかったんだ。
***「ブルーモーメント」終わり
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