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⑩‐3

*** 完璧に答辞を読み終えた鳥海先輩は壇上から降りていった。 その後、校歌の斉唱も終わると、「卒業生退場!」という号令で三年生が一気に立ち上がる。 そして一列になり、会場の中央を通って出口へと進んでいく。 その列の中から、僕の目はやっぱり鳥海先輩を捜していた。 (あ……) ほんの一瞬だったけれど、僕の横を通り過ぎる鳥海先輩と目が合った気がした。 僕は瞬時に自分の頬が染まるのを感じて、慌てて目を伏せる。 あれ……? ……でも、『一回目』の卒業式の時、先輩と目が合ったっけ? 僕の頭の中でそんな疑問が浮かぶ。 だけど、はっきりしたことはやはり思い出せない。 「なあ榛名、今日は寮の昼飯出ねーし、帰りに酒井(さかい)と吉松屋の牛丼でも食ってかね?」 卒業生が全て退場し終わると、田辺がのんきな声をかけてきた。 「ああ、そうだね……あっ」 田辺に返事をしようとしたが、「吉松屋」というワードから僕の脳裏に一気に記憶が蘇ってきた。 吉松屋! そうだ、吉松屋の目の前の交差点……! 『榛名くんっ!』 急ブレーキの音。 激しい衝突音。 鉄臭い匂い。 そして生温かい液体の感触。 青い空に赤い丸。 たくさんの断片化された光景が僕の目の前にフラッシュバックする。 あの声は……鳥海先輩!? 「ご、ごめん、田辺。僕、用事あるから!」 そう答えた僕の声は少し上ずっていた。 「え、そうなのか? じゃあ、酒井と二人で行ってくるわ」 田辺は残念そうに答えると、酒井に向かって声を掛けている。 僕は震えそうになる脚を必死に堪え、思考を巡らす。 あの光景は……事故? きっと自動車事故だ! しかも、鳥海先輩が……? 背中にはじわりと冷たい汗が滲み、心臓は早鐘を打ち始めた。 だったら……!あんなことになるくらいなら……、僕は鳥海先輩に自分の気持ちを……!  いや、その前に! なぜだかわからないけれど、僕はもう一度、卒業式から今日をやり直せてるんだ。 そうだ! 僕があの事故を防いでみせる! そう決意すると、僕は痛いほど手のひらを握り締めた。 *** ホームルームが終わると僕はカバンを掴んで教室を飛び出した。 『一回目』の卒業式のあと、鳥海先輩は正門の前で二年の徳田直子(とくだ なおこ)先輩と話をしていた。 その横を吉松屋に向かう僕と田辺と酒井で通り過ぎたんだ。 * 『うわっ、やっぱり噂はホントだったんだな』 田辺が鳥海先輩と徳田先輩を見やって、からかうような声を上げた。 『ああ、あの二人、生徒会で一緒だったもんな』 酒井が頷く。先輩たちは向かい合って何か話をしていた。 徳田先輩は他校でも評判になるほどの美人で、成績もよく、鳥海先輩の後を継いだ新たな生徒会長だった。 早春の風が徳田先輩の長い黒髪をなびかせている。 その視線は鳥海先輩だけを見つめていて、傍目からも彼女の恋情が窺い知れた。 『第二ボタンでももらってんのかな』 田辺が面白そうに酒井に耳打ちする。 僕はふたりの姿を認めると途端に胸が苦しくなった。 鳥海先輩と徳田先輩が並んだ姿は、どこからどう見てもお似合いで、胸が潰れるような絶望感を味わう。 ……でも、明日から、先輩と会うことは、もうないのだし……。 初めから伝えるつもりなんてなかった鳥海先輩への想いを、僕はさらに心の奥深くへと封じ込めた。 そして、田辺と酒井の後ろを俯いたままついていく。 『……名くん!』 その時、僕を呼ぶ声が聞こえた気がして、振り返ろうとしたが、 『おい榛名、そんな下向いてどうした?』 田辺が肩を組んできた。 『……いや、なんでもないよ』 僕は振り返ることはせず、田辺たちと歩き続けた。

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