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第2話
キクは盛大なくしゃみをした。
室内に、埃が舞っている。
窓から入り込む光にキラキラと光るそれは、きれいにも見えたが、鼻に入ると凶器と化す。
くしゅん、くしゅん、くしゅん。
くしゃみを連発するキクを、脚立に上った青年が、呆れ顔で見下ろしてきた。
「マスクをしないからだよ」
そう言った彼の顔には、白いマスクがある。
キクは鼻を啜って、顔にくしゃっとしわを作った。
「せやかて、マスクしたら、耳が痛うなるし……」
「ちょっとの時間だったら大丈夫だって。っていうか、あ~き~た~っ。なんで菖蒲 たちが掃除させられてんの?」
脚立の上でじたばたと足を踏み鳴らした彼……菖蒲は、マスクを外して、ぷぅっと頬を膨らませる。
キクは菖蒲を見上げて、小首を傾げた。
「キクは、罰やいうてここへ連れてこられたんやけど……菖蒲さんはなにしはったんどす?」
「さんとか付けなくていいって。僕はアレだよアレ。超ビッチだからさ~。苺にもそれでよく怒られるんだけど。今回はでも運が悪かったんだよね。一回男衆の味見がしたくって誘ってるとこ、青藍にばっちり見つかっちゃって。あのお節介バカが楼主にチクったから、僕がこんな目に遭ってるってワケ」
「はぁ……」
キクは地味だ地味だとよく言われる目をパチパチと瞬かせた。
「なんや、知らん名前ばっかり出てきますけど……っていうか菖蒲……ちゃん? のこともキクは知らんのやけど……もしかして、ゆうずい邸のお方なんどすか?」
「そうそう。菖蒲はゆうずい邸の男娼なんどす~」
軽い調子で頷いた菖蒲が、脚立から降りてきて着物の裾を整えた。
ゆうずい邸、というのは現代の遊郭・淫花廓の中に於いて、客を抱く立場の男娼が揃う場所だと聞く。
対して、キクの居るしずい邸は、客に抱かれる立場の男娼(そう、男娼、である。ここで働く者は皆男性だ)が所属していた。
「ゆうずい邸のお方は、こっちへは来 ぃひんと思うてました。行き来は禁止やて言われた気が……」
「ふつうはそうなんだろうけど、僕に限ってはたぶん、こっちに追いやる方が罰になると思ったんじゃない? だって、すれ違う男娼すれ違う男娼、みんな雌臭いんだもん~。菖蒲こんな場所我慢できないよ~。あ~、早くあっちに戻りたい~」
早く戻りたい、という割りに菖蒲の手は遅い。
二人はいま、楼主からの言いつけで、しずい邸の敷地の奥にある倉庫の清掃を行っていた。
ここをきれいにすれば放免されるはずだが……掃除なんてさらさらする気のない菖蒲と、要領の悪いキクの組み合わせなので終わるものも終わらない。
室内はすでに、散らかしているのか片付けているのかよくわからない状態だ。
「それで?」
「へ?」
「キクちゃんはなにをしてお仕置きされてるワケ?」
問われて、キクはへぇと頷いた。
「キクは昨夜、お客様のお膳をひっくり返してしまったんどす」
「へぇ~」
「あと、出したらあかん言われてたお客様の上着を、洗濯用のカゴに間違えて入れてしもうて……朝になって気づいたんやけど、まだ乾いてへんて言われて……」
「あらま」
「お客様より寝坊もしたし、なによりお客様に満足してもらわれへんかったみたいで……もう指名せぇへんってカンカンに怒らせてしもて……」
菖蒲が、キクのくせのない髪をさらりと撫でてきた。
彼の手には綿埃があったので、キクの頭についていたものを取ってくれたのだろう。
「おおきに」
キクがお礼を言うと、菖蒲が顔をしかめて眉間にしわを寄せた。
「っていうかそんな一回のミスぐらいでペナルティって、ちょっとあんまりじゃない?」
「一度やないんです」
「え?」
「もう何度目かわからへんクレームやったから」
「そ、そっかぁ……」
菖蒲がさすがに絶句した。
キクはしょぼんと肩を落として、
「キクは男娼に向いてへんのどす」
と呟きを落とした。
「なんで?」
「キクは……キクは、エッチが大好きなんどす」
「えっ! 菖蒲も! 菖蒲も菖蒲も!」
ものすごい食いつきを見せた菖蒲が、キクの両手をガシっと握ってくる。
「いいじゃん。エッチ大好き。なんにも悪いことじゃないじゃん」
「しずい邸の男娼はそれじゃあかんのやと言われます。キクはいつも、自分が気持ちようなることばかり考えてしもうて……お客様に喜んでもろてこその男娼やて、いつも叱られます」
「え~、でもさ~」
菖蒲がくりくりとした大きな瞳にキクを映して、可愛い顔で笑った。
「アソコにおちんちん挿れてもらったら、頭ふわふわしてもうエッチのことしか考えられなくなるよね~」
「そうどす! そうなんどす!」
今度はキクが菖蒲のセリフに食いついた。
何度も頷き、彼の手に指を絡めてぎゅっと握る。
「キクは阿呆やから、エッチのことしか考えられへんくなるんどす!」
「一緒一緒。僕も一緒~」
にこにことそう言った菖蒲が、キクの唇にちゅっとキスをしてきた。
キクは驚いて目を丸くする。
「菖蒲、キスも好きなんだよね」
ちろ……と舌先を覗かせて。
一気に色香を纏わせた微笑のままで、菖蒲が深いキスを仕掛けてくる。
くちゅ、ぺちゃ、と濡れた音を立てながら、彼の舌がキクの口腔を這いまわる。
「ふ、あ……」
「ん~、キクちゃんの唇、やわらかい」
「あ、菖蒲ちゃん……」
舌を引きずりだされ、ちゅばちゅばと吸われた。
お互いの唾液が混ざりあう。
キクの頭がふわふわしてきた。
気持ちいい。
菖蒲の巧みなキスに、体に火がともってくる。
キクの背が、棚に当たった。
キスをしたまま、至近距離で菖蒲の目が笑みの形に細まった。
菖蒲の手が、キクの腕を下へと引っ張る。
それにリードされるように、キクはずるずると座り込んだ。
埃っぽい床の、ひんやりとした感触を尻の下に感じる。
菖蒲がキクの体を左へと押した。
キクは逆らわずに、横倒しになった。
清潔とは言えない場所だったが、そのことを気にする余裕はどこかに飛んで行ってしまう。
キクは菖蒲の口づけを受けながら、自分でごそごそと帯をほどき、着物を開けさせた。襦袢の襟ぐりも左右に開いて……乳首をこりこりとつまんで弄りだす。
「ん、んん~っ、んっ、んっ」
「あ~、ずるい、キクちゃんだけ」
キクの手遊びに気づいた菖蒲がキスを止めて、自分の着物の帯をキク同様にほどいた。
そして、改めてキクに覆いかぶさる体勢になって……そこでピタリと動きを止めた。
「ど、どないしたん?」
「いや、あの箱なんだろ?」
菖蒲が地べたに置かれている段ボールを、腕を伸ばしてずりっと引き寄せる。
麻紐できっちりと縛られている、その結び目を苦戦しながらほどこうとする菖蒲に、身を起こしたキクが協力した。
そして、ようやく箱を開けることに成功した二人は、中身を見て……歓喜に目を輝かせた。
「これ、使っていいってことだよね?」
「使うてへんものやし……借りてもバレへんのとちゃいますか?」
「よし、使おう」
「使いましょ」
互いに、頷き合って。
キクと菖蒲は箱の中に手を突っ込んだのだった。
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