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丹羽圭祐とは①
俺の名前は丹羽 圭祐。
今年26歳の男で赤印運輸の配達員をしている。
半年ほど前、お客さんとのちょっとしたいざこざに巻き込まれたのをきっかけに担当地区が変わった。
というのも、まあ、配達先の女性に好意を持たれたり、なんとなくそういう雰囲気になって、咄嗟に拒否をしてしまったり。
それが気にくわなかったのか、彼女によって本社にクレームが入ったり、入らなかったり。
日頃の行いのお蔭もあってか上司にはお前はそういうこと出来ないタイプだもんな、とむしろ同情してもらったのだが、更なるトラブルの回避のため俺は配達の担当地区を変更することとなった。
実を言うとこういう事は初めてではない。昔から顔と愛想だけはよかったし、女性に好意を持たれてアピールされることも少なくはなかったのだ。
けれど、なんというか、苦手なのだ。そういう、ぐいぐいくる女の人が。少し怖いとすら思う。
こんなんだから彼女なんて出来るはずもなかったし、そんなふうに適当にかわす毎日を送っているといつのまにか欲しいとも思わなくなっていた。
そしてそんな時、新しく請け負うことになった南区。そこに彼は住んでいたのだ。
烏丸 イトさん。俺が担当する前から週に一回は必ず利用される、常連の方だった。
宅配を頼む人は毎日でも頼む。だから決してイトさんのような常連は珍しいことでもなかったのだが、今思えば出会ったその時から何か、彼には普通の客とは違う何かを感じていた気がする。
「あれ、配達の人変わったんすね」
俺が彼の元に配達をするようになって一ヶ月くらい経ったある日、彼は控えにサインをしながらそう尋ねてきた。
話しかけられるとは思っていなかった俺は驚きで目を丸め、すぐには返事を返すことができなかった。
というのも、老年の方や主婦層のお客さんと雑談を交わすことはある。しかし彼、イトさんのような若い方……しかも、所謂家に閉じこもり系のお客さんと業務以外の、それこそ雑談をすることなどあまりに稀だったのである。
そしてこれが俺とイトさんの、業務以外での初めての会話となったのだった。
「ああ、ええっと、前任の者は転勤になりまして」
慌てて応える。
烏丸さんは少し驚いたように目を丸めると、ああ。と言ってまた紙に視線を落とした。
「そうだったんですね。俺てっきりお休みか何かかと思ってました」
少し伸びた髪を耳にかけ、流れるようにペンを走らせていく。白くて長い指と少し弛んだスウェットから見える、同じ男だとは思えない白い首筋に自然と目が行き、慌てて顔を逸らした。
彼の元に荷物を届けるようになって一ヶ月経つがこの人は、いつも、なんというか、隙がある様にしか見えない。同じ男相手に隙だとかそういう言葉を使うのは適当ではないのだろうけれども。
妙にドキドキしながら、彼の旋毛をなんとなく見つめる。寝癖がついている、そういえば少し眠そうな顔をしてたからもしかしたら寝起きなのかもしれない。といっても今の時刻は12時半、昼寝か…いや、どうだろう。この人午前中に届けに来てもまず出ないしな…。
そんな事を考えていると、サインを書き終えた烏丸さんは顔を上げ、「前任の人にはよくしてもらってたんで、少し寂しいですね」そう寂しそうに笑って、書き終えたサインをはい、と差し出した。
本来ならここで気の利いたことの一つや二つ、代わりが僕なんかですが、これからよろしくお願いしますね、くらい言うべきなのに。
それが当たり障りなく今後も上手く付き合っていくために必要な言葉なはずなのに、俺の口からは何も出てこないまま、ただ烏丸さんが差し出すペンを黙って受け取るしかできなかった。
何故。何も言えないんだろう。
笑顔を浮かべようとしても、上手く笑えない。おかしい、こんな事今までだって一度もなかったのに。自分が一番自分自身に困惑しているし、烏丸さんも何も言わない俺を不思議に思ったのか、小首を傾げながらじっと伺うように俺を見つめて、そして何かに気が付いたようはっとしたような顔をした。
「あ、あの、すみません…!俺別に新しい人が嫌だとかそういうつもりはなくって…」
「あっ、いえ!すみません、…えっと、これからよろしくお願いしますね!」
「それじゃあ次の配達がありますので、俺はこの辺で…」そう続けて言って、会釈と同時に帽子を軽く上げた。
まるで逃げているようだと思った。別にやましいことなど一つもないのに、ないはずだったのに。
ふと胸の内を渦巻くどす黒い部分に気が付いてしまって、自分自身に困惑する。わけがわからなかったけれど、とにかくこれ以上彼の前で笑えそうにない。
ペンを胸ポケットにしまい込み、控えを手に持って踵を返す。別に急ぎの配達などない。しかし一刻も早くこの場所から、彼の前からいなくなりたい、その一心で広い玄関から外へ出ようとした、時だった。
「あっ、あの!」
腕を掴まれる。
反射的に振り返り、烏丸さんと目が合った。
心臓が、脈打つ。
「あ、あの…、」
「俺、烏丸イトっていいます。お兄さんは?」
「あ……丹羽です。丹羽圭祐、」
俺のたどたどしい自己紹介に烏丸さんは笑う。
「丹羽さん、ご苦労様です。俺、赤印さん結構頻繁に利用するので、ええっと…これからよろしくおねがいしますね」
はにかむように笑う烏丸さん。別になんて事のない。普通の挨拶のはずなのに。
今思えば、あの時俺の気持ちは奪われたのだと、そう思わずにはいられないのだ。
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